2009年8月23日日曜日

Fallacy of Composition

Fallacy of composition(合成の誤謬)というのは、多分経済学の概念で部分的には正しい事でも全体像の中では必ずしもそうではないと言う事象を表します。

教科書的な例としては、不況時に個々の家計が消費を減らして貯蓄に励むという話があります。不況時に消費を控えて貯蓄に励むと言う行為は家計というレベルでは正しい行為ですが全ての家計でこれをやられると経済全体では消費や投資が減少して経済全体が縮小してしまうという話です。

こんな話を思い出したのは、いよいよ本格的な広がりを見せ始めた新型インフルエンザのせいです。ある友人から面白いメールが来ました。その友人の会社で彼の所属する部署で感染者が出たようなのですが、その情報が共有されるや否やそれまで彼の部署に仕事関係の書類を取りに来ていた関連部署から部員を守る為に暫くは誰もそちらに行かせたくないので彼の部署の人間が書類を届けて欲しいと言う依頼が相次いだそうなのです。

彼のメールにはこう書いてありました。

これは一見正しい行為のようではあるけど、今度は向こうの部署で感染者が出たらどうなるのだろう?当方も同じ対応を取ったとしたらこっちからもむこうからも人が行く事も来る事も出来ないので結果的に必要書類の受け渡しが出来なくなるんだよね。

部分的には正しいけど全体のルールとしたら業務が停止すると言う意味ではこれも一種の合成の誤謬なのかなと言う気がしたのです。

そう言えば類似の話で、米国で働いている時にこういうことがありました。ある部署が新しいルールで社内FAXで何かを送信する時には送信書類に加えて送受信簿を先方に贈り、受信部署には受信記録を確認して署名したものを返信してもらうという事にしたのです。
 これは合成の誤謬とまでは言いませんが、もしも他の部署も同じルールを採択したらどうなるかと言うと受信部署が受信書類に添付されていた受信簿に署名して送り返すときに自部署の送受信簿を添付して・・・・・と言う事をやるとなれば・・・永久にFAXを送り合う作業が続くと言う事になってしまうのです。

コンプライアンスが強化され、どこの会社でも何かあると直ぐに再発防止策がどうこうと言うご時世になっているようですが、1つのチェックポイントとして他部署或いは会社全体がそれをやったらおかしなことにならないかどうかという切り口で考えてみると、行き過ぎた対応や過剰反応が防止できるのではないかと言う気がしてきました。

今テレビのニュースで現与党の要職にある人物がワクチンが足りない場合は輸入するとか言っているのを聞いたのですが、この新型インフルエンザは本格的な拡大フェーズに入るまでに相当な時間があったにもかかわらず今頃そのような発言をしている事に非常に失望しました。この分だと本当に月末の総選挙で与党は大敗を喫するような気がしてきました。

どこの党でも構わないし、どの政治家でも構わないので、せめてこういう事は先手先手で対応してくれませんかね・・・