2007年10月8日月曜日

Liquidity matters : 流動性についての考察

かつて、”貸し渋り”という言葉がありました。
今でも貸し渋りと言うのはあちこちであるのでしょうが、社会現象のように取り上げられていたのは90年代後半のことだったでしょうか?

バブル後遺症からの脱却が遅れ、未曾有のデフレにあえぐ日本経済において、多くの企業が資金繰りに問題を抱えており、日本の金融機関のバランスシート上には多くの企業に対する不良債権化した貸出しが膨らんでいた、日本中を停滞感が覆い尽くしていた時期です。

起業が必要な資金を調達しやすいように、そして調達の負担が少なくて済むようにする為に当局は最終的にゼロ金利となるまで金利を下げて、且つ量的緩和と言われる手法で金融市場に資金を溢れさせました。(これをジャブジャブにする等と言います)

ところが・・・この流動性が・・・お金の水が・・・・流れない。

これが日本経済長期低迷の多くの要因の中でも最も深刻だった主因の一つでした。

この流動性という”資金の水”を流すものが、今も問題になっているクレジット(信用)と言うものなのですが、簡単に言ってしまえば、返ってくる保証のない貸出し、返ってこないリスクが一定水準以上に高い貸出しは実行出来ないと言う事です。

邦銀の多くは、預金者の預金保護と言う意味合いからもクレジットの低下した取引先への追加融資には慎重になりますが、これが”貸し渋り”として当局、政治、メディアなどから一斉に叩かれたわけです。
 一方では、今抱えている不良債権をどうにかしろと叩かれ、一方では貸し渋りを叩かれると言う当時の邦銀と言うのはフェアに見て少し気の毒な部分もあったと思います。

さて・・・・今欧米において、いやグローバル化が進んでいると言う意味では世界規模で、当時の日本と類似の問題が発生している事は明らかです。その発生の仕方は少し違うのですが、どちらが良いのかは意見の分かれるところかもしれません。

一部で明らかな誤解がありますが、今世界で起きていることは基本的に住宅価格の下落とクレジットの悪化であり、二つの別々の潮流があります。
 米国では、サブプライムローンの延滞率上昇による混乱が引き金でしたが、ここへの投資額が大きかった欧州系金融機関(仏、独)およびその傘下のファンドの問題は米国サブプライム問題の余波と言えます。
 一方で、スペインの単純なバブル崩壊、英国で起きたモゲージレンダー救済や預金解約殺到による取り付け騒ぎ等はスペイン、英国独自の住宅バブル崩壊です。これらはかつての日本型バブル崩壊であり、米国のサブプライム問題とは本来一線を画す性質のものです。(米国のサブプライムには関係なく勝手にこけています)

結果的に多くの企業、金融機関、ヘッジファンドなどが資金繰りに苦労するようになり、事態収拾に向けて当局は潤沢な流動性の供給を継続し、米国では政策金利の引き下げ、他国では予定されていた利上げの凍結等も行ってきました。
 ところが、ここでもクレジットという壁が立ちはだかっており、供給している流動性がそれを必要としている所まで流れていかないと言う問題が起きています。

流動性を供給しているのに、必要な所まで流れていかない・・・・これはかつての日本と全く同様の問題なのです。そしてこれは金融当局は流動性の供給まではコントロール可能ですが、それを動かすクレジットに関しては基本的にコントロールする術が限られていると言う事実を露呈しています。
 
信用創造、信用供与というのは基本的に当局の範疇を超えた民間の経済活動だからです。ここで慎重になってメディアなどから「貸し渋り」と叩かれまくった本邦金融機関に業を煮やして国などが自ら保障制度を立ち上げて中小企業への融資を促すと言う行為もありましたが、その保障制度の驚異的な弁済率(結局借主が返済できずに国が債務を弁済した率)を見れば、ある意味で預金者や株主を抱えた本邦金融機関の判断が残念ながら正しかった事が明白になったのですが、そこにライトを当てるメディアは皆無であり、要するにメディアもそういうレベルでしかないということも同時に露呈しています。

システムのどこかに問題がある場合の、最も安易な対処方法の一つに”総量規制”と言う考え方があり、日本はこれを得意技にしています。つまり、不良債権を増やさないために貸し出し総額に上限を設けてしまうのですが、この縮小均衡的な手法により本来はクレジットに問題のない企業にも貸出しが制限されてしまい経済活動は長期停滞を余儀なくされました。

一方で欧米にはこの考えはあまり無い様で、潤沢な流動性がAvailableになった状況下、クレジットに問題のない企業や投資家たちはこれまでよりも大きな資金を安価に調達出来るようになっています。そして、狩猟民族的なリスクテイカー達はこの機会を最大限に利用して果敢に資金を借り入れ、それを株式市場、エマージング市場に大規模に投資しているのです。

これこそが現在進行形の株式市場、商品市場、エマージング市場の上昇であり、一体誰を助けているのかと言う批判をFRBが受けている背景です。

可愛そうなBernanke議長。私は現時点でも果敢な利下げを行ったFRBの判断は正しかったと絶賛する気持ちを持っています。あの時に、FRBが利下げをして混乱の収集に動かなかったらどうなっていたのかを考えれば、今の状況のほうが数段よいのではないかと考えるからです。

混乱の末に氷河期を招くよりは、一部でバブルが進行しても経済活動、投資活動の火を絶やさないという決断はもっと評価されるべきではないかと思うのです。

You can bring your horse to a river but you cannot force it to take water.

horceとforceで韻を踏むこの表現はまさに至言でしょう。LiquidityとCreditという経済活動のコインの両面の中で金融当局がコントロール可能なのはliquidityサイドのみなのです。

私の意見にも多くの反論が有るでしょう。
いずれにしてもLiquidityの議論と評価は依然、”流動的”なようです。