2007年5月4日金曜日

妙な格差と不思議な平等

日本ではメディアも政治家も”格差”と言う言葉をよく使用しているようです。
日本人の”均一性”が随分とばらけて来たという事が問題になっているからです。

不勉強な私は、当初はあまり深刻な問題だとは考えていませんでした。
もともと日本民族は単一民族では無いのに、単一民族だと言い張ってきた国ですから、一億層中流階級みたいな経済的な”均一性”だって最初から無かったのではないかと言う程度にしか思っていなかったのです。

ところが、幾つかこのテ-マを取り上げた特集番組などを見るにつれて随分と認識が変わってきました。格差問題と言うのが一部の成功した起業家や投資家といった上方に突き抜けるような富裕層の出現を意味するのではなく、むしろ下方に広がり始めた低収入階層の問題である事が分かってきたからです。確かにちょっと考えさせられますね。

TVの特集で、日本のサラリ-マン世帯の平均年収は473万円で、この10年位下がり続けていると言う解説がありました。金額はともかく、下がり続けていると言うのは非常に驚きました。
 更にTVではないのですが、デ-タオタク(?)の知人の話でも世帯収入が1千万を超えていれば日本では上位5%水準に位置し、公表される平均年収は飽くまでも統計の魔術の結果で、実際に平均年収とされる水準に位置する人々は少ないそうです。実際のマジョリティはそれよりも低いところに統計の山を作っており、数は少ないものの億単位と言うような例外的高収入の人々の”異常値”が平均値を引っ張り上げているという事になります。

正直言って随分驚いたし、これでは確かに政治のレベルでも真剣に研究してもらわないといけない問題だと思いました。彼ら(政治家)に何かが出来るのかどうかはちょっと疑問ですが・・・

資本主義経済には当然格差が生じますが、内実は極めて社会主義的であると言われてきた日本社会、日本経済に何か大きな変化が起こり始めているのかもしれませんね。

さて・・・全く話が変わりますが、その対極に位置するような問題意識を感じている事があります。上記のような奇妙な格差ではなく、日本には不可思議な平等と言うものがあるのです。
 米国の職場では、席替えやシステムのレベルアップ等に伴うIT関連の作業は我々はほとんどノ-タッチで、ITチ-ムやサポ-トチ-ムが何でもやってくれましたが、”平等社会”日本の会社ではその多くを各人が行わなくてはならないようです。ITチ-ムなどはその作業を指揮すると言う役割を演じており、誤解を恐れずに書いてしまうと、米国では我々を”斜め下”から支援してくれていたITチ-ム、サポ-トチ-ムが、東京では我々に”斜め上”あたりから指示を出していると言う感じだと思います。

私は金融市場に関する仕事をしているので、最低限の業務を行うだけでも必要不可欠な情報購読や外部との通信手段の確保などが必要です。今回自分が米国で使用していたもので、東京でも周囲の人間は当たり前のように利用しているものを希望したところ、1ヶ月以上待たされた挙句、投資案件として2種類の説明資料を提出させられました。更に極めつけはやっと対応してくれたITチ-ムが私のところに来て、作業の許可と指示をして帰っていったことです。
 私は他の部署に出向いて、指定された席にあったPCを取り外し、自分の席まで運んで設置した後、それまで使用していたPCを代替として他部署の席に再設置するという作業を行う羽目となったのですが、カジュアル勤務だった米国と違い、東京では毎日ネクタイをして出勤しながらもう何度も机の上に乗ったり、机の下に潜ったりしてPCやモニタ-の接続や交換などを行いました。

同僚の一人は、恐らく誰かが作業中に感電死でもすれば、素人に触らせるなと言うことになり、欧米のようにITチ-ムがやってくれるようになるだろうと言っていましたが、再び誤解や批判を恐れずに言えば、やはりこれは行き過ぎた平等なのではないかと言う気がします。

奇妙な格差と不思議な平等が仲良く共存しているのが今の日本なのではないでしょうか?