2007年5月6日日曜日

原因と結果の相互連関(2)

引き続き標題の件につき考察をして見ましょう。

① 結局最後は、強くて運のある馬が勝つ
② 格闘技をやった人間が強いのではなく、強い人間が格闘技をやっている

競馬と格闘技に関する二つのテーマは、私が従事する金融市場の仕事とも共通するものがあります。相場というものはどんなに情報を集めて詳細な分析をして取った戦略でも損を出すかと思えば、気軽に取った戦略で(言葉は悪いかもしれませんが・・)大きな収益を得ることもある何とも形容し難い世界です。また、予想が100%的中しながら、諸般の事情から”今回は慎重に・・”などと思ってポジションを取っていなかったりという事もあり、忸怩たる思いをする事もしばしばです。

そこで、相場の世界ではこう言われるのです。

正しい者が勝つのではなく、勝った者が正しいのだ。

この、勝てば官軍という発想は北米市場でも、”Doing right is more important than being right"という表現でよく耳にしました。理由なんてどうでも良いから儲けた者が評価されるということですね。

①結局最後は強くて運のある馬が勝つ。
②格闘技をやった人間が強いのではなく、強い人間が格闘技をやっている。
③正しい者が勝つのではなく、勝った者が正しいのだ。

ロジック上は結果であるはずの事象が実は原因の土台となっているのですが、掘り下げていくと原因の前から結果が存在していたようにも感じられます。
 最初から”存在した”結果が表面に出てくるために原因が作られているかのような部分があるのです。また、勝った馬がより強くなり、強い人間が格闘技でより強くなるという具合にこの原因と結果が相互の原因と結果となりながら循環論的に強まっていくという不思議な関係が成立しているようでもあります。

何だか原始仏教の因果律と原始キリスト教の予定説が一緒に登場するようなテーマなのですが、この命題は永遠のテーマとして今後も私の脳裏から離れることはなさそうです。

Causality(因果律)とPredestination(予定説)がリンクするなら、大きな真理が見えてきそうなのですが・・