2007年7月29日日曜日

The other side of the convex lense.

週の後半の金融市場ではちょっとした嵐が吹き荒れました。

日本のメディアを見ていると、米国のサブプライム問題への一層の懸念を背景にドル安になっていると言う報道が目立ちますが全くの出鱈目です。
 
今起きている事は、金融市場における広範囲な資本の逆流であり、根底にあるのは、所謂Risk Aversion/Reductionと言う事になります。つまりは、先行きの”不確実性”、”不透明感”の上昇を受けて皆が一斉に足元のRisk(=Portfolio)を縮小する動きに出ていると言う訳です。

①潤沢な流動性、②信用供与の拡大 を両輪に莫大な投資資本が世界中のあらゆる資産市場に流入し続けて一部のアジア株は既に今年に入って50%以上の上昇をするなどの資産バブルが発生していました。

この状況下において、”①潤沢な流動性”の最大の供給源だったのが日本円である一方で”②信用供与の拡大”に関しては主に北米市場で起きていた話です。つまり投資資本の調達は円で行われる事も多く、一方で実はRiskMoneyの大半は北米のヘッジファンドなどを経由してレバレッジが掛かった状態で(=実際の数倍~数十倍の規模に膨らんで)世界中の資本市場に流れ込んでいたと言う訳です。

この過程においては、当然ながら日本円、米ドルは為替市場では売られる通貨であり続けたわけですが、今はこれが逆流する動きの中で米ドルが上昇し、更にそれ以上の勢いで急速に円の買戻しが進行していると言うわけです。実際に米ドルは対日本円以外ではかなりの急上昇を見せており、専門的になりますがドルインデックスという指標も爆騰中です。

そんな米ドル以上に円が強いとどうなるかを示しているのが、所謂クロス円の一大調整大会です。
主な通貨が数週間前につけた対円での高値と金曜日の水準を比較してみましょう。

ドル円 : 124.14 → 118.02
ユーロ円 : 168.88 → 161.70
STG円 : 251.11 → 240.15
AUD円 : 107.73 → 100.95
NZD円 : 97.79 → 90.90

これは、暴落と言ってよい動きです。

所謂グローバリゼーションという現象の進行により、世界中が同じ土俵や尺度で語れる時代となった結果、企業活動や投資対象の幅も急拡大し、呼応するように信用創造、信用供与という機能も急速に強化拡大してきました。
 世界資産バブルというのは、このような基礎・土台の上に成り立ってきたと言えるのですが、特に信用創造・信用供与機能の上昇が、レバレッジの拡大をもたらしていただけに、この部分を直撃したサブプライム問題は、レバレッジ機能の急速な収縮(=Deleveragingと言います)の引き金を引いたことになります。

そう、皆がお金持ちになって世界中の資産市場で一大投資ブームが起きていたという理解は正しいのですが、実は本当の資本は投資額の数分の一、下手したら数十分の一程度であり、我々が年単位で目撃してきた巨大資本の激流は、実はデフォルメされた映像でもあったわけです。

新時代の幕開けと思われたのは、凸レンズで拡大された映像だったと言う事になりますが、今はその凸レンズの向こう側からこちら側に資本が戻ると言う”資本還流、Repatriation”の動きが世界金融市場に暴風雨をもたらしているのです。

日曜日はいよいよ参院選の投票日。選挙結果次第では間違いなく暴風雨が強まりそうです。早めに投票をしないと、先ずは天気からして荒れそうだとの予報なのですが、どうなることやら・・・・・・・・

2007年7月28日土曜日

What a Midsummer Night's Dream.

とんだ真夏の世の夢・・・・

恐るべし日本の夏・・・・

ニュースを見ていても日本列島各地の最高気温は殆ど30℃代後半の体温並みで、地球温暖化がこのままのペースで進めば数年後には気温が40℃を超えるのは不可避なような気がします。間違いなく私が海外に居た10数年の間に日本の夏は4℃~5℃は気温が上昇したのではないでしょうか。こんな温度は記憶にありません。

通勤は一時間弱なのですが、朝も駅について電車を待っている間に汗が噴出す感じですし、電車がこれまた弱冷房と言うのでしょうか、「冷房が効いているの?」と言いたくなるような省エネモードで出勤するだけで疲れます。

今週は相場も激しくて仕事も忙しかったせいか帰宅してからもここに新たな投稿をする体力も無い感じで本当に疲れたのですが、実は週後半は喉から首にかけて発疹と痛みが出てきてとても苦しい思いをしていました。

ヘルペスじゃないか・・・?

最初はカミソリ負け程度に思っていたのですが、徐々にひどくなり、最後は痒いと言うよりも痛いと言う感じのほうが強くなったところで妻にも耳の付け根の変色を指摘され、遂に本日皮膚科に行ってきました。

妙に頬や顎周辺の肌も乾燥してしまった感じで、私は複数の友人が疲労困ぱい時に発疹してのた打ち回るような痛みを感じると言うヘルペスだと思い、妻は子供たちが赤ん坊の頃に詳しくなったと言うアトピーだと思ったという症状だったのですが・・・・・・

「汗疹です」

医師にそう言われて、拍子抜けと言うか、とにかく驚きました。

「あせも・・? ですか・・?」 思わず聞きなおしてしまいました。

少量のステロイドと抗生物質の軟膏を処方してもらって帰ってきましたが、それでまた滝のような汗が出てしまいました。

10年振り以上の日本の夏は、間違いなく温度も湿度も強力になっていました。

大人が、大の男が、汗疹で医者に・・・・

とんだ真夏の世の夢でした。

本当にひどいわ・・・

2007年7月22日日曜日

山には草木がある3

修理業者が来る日は、妻は朝からトイレの換気扇を稼動させ続け、業者は卒倒することなく無事に修理を終えてくれました。

原因は、上流のパイプの劣化との事で、築年数が20年弱位と思われる拙宅もあちこちにガタが来るタイミングなのでしょうか。

やはり詰まっていたものが開通すると、気分が晴れたような気になるようで、その後我々はトイレの臭気問題も改善して来たという印象を急速に強めました。私自身、徐々に劣化してきた上流のパイプが臭気を発していた可能性もあるし、そのせいで徐々に進行していた水量の減少が諸悪の根源であったと言う見事な仮説を打ち立てていました。

でも・・・・・・・・・・・・・                                                   しかしですね・・・・・・・・・・・・・・・・・・                                          はっきり言って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まだ臭かったんですわ。

やはり天真爛漫な小便小僧に話をしなくてはいけないようだ・・・・と思いつつ、私は妻に既に取替え時期がとうに過ぎている”ブルーレット置くだけ”の交換を依頼しました。詰め替え用の中身を買ってくればよいと。最近は環境への配慮と既存ユーザーの囲い込み戦略もあってこういうパターンが多いですね。

”山には草木がある”3部作をお読みいただきましてありがとうございました。いよいよ核心に入りますが、事実は意外なところにありました。

妻は、”ブルーレット置くだけ用”の詰め替え用中身を購入し、詰め替え作業を開始すると・・・・・プラスティク容器の蓋を開けた彼女は、既に役目を終えた中身に大量のカビが発生しているのを発見したそうです。間違いなくそれは異臭を放っていたそうで、これを処分して新たな中身を入れてからのトイレから”山の草木”は消滅し、以前の爽やかなトイレに戻りました。

思い返せば、私が家族を迎えに米国に行っていた約一週間の間に、風通しも無く高温となったこの家の中で・・・・・・・・その期間全く使用されなかったトイレの中で・・・・・・・・・・・・程よい湿気を保った置くだけスタイルのブルーレットの容器の中は、カビ君の発生する絶好の環境だったのではないでしょうか。

事実は意外なところに隠れているものであり、その解明過程においては、所謂”状況証拠”が全く無実の物や人を有力な容疑者に仕立て上げる事があると言うリスクを再確認するような出来事でした。

「ブルータスよ、お前もか・・・・・」と叫んだのはジュリアス・シザーだったでしょうか?              「ブルーレットよ、あんたでしたか・・・」 と叫んだのは、ロバート・ヘンリーでした。

冒頭の話題に戻ると、上杉謙信が手取川合戦で織田軍に圧勝した直後に次の出陣の3日前に突然49歳で他界した際には厠で倒れています。その事にも助けられて窮地を脱した織田信長が天下統一完成直前に明智光秀の謀反で本能寺で自害したのも49歳でした。

人間50年・・・という舞を好んだ信長ですが、謙信も49年は一夜の夢、そして一杯の酒のようだったという辞世の句が伝わっています。

"トイレ臭い騒動"の顛末において、自分の人生の中の自分の現在地と言うものにも思いを馳せる出来事でした。

山には草木がある2

「やっぱり・・・そう思う?」

①トイレが臭いこと ②家族が来てから臭い事・・・を話した時の妻の反応はそういうものでした。彼女もどうもトイレが臭いと言う問題意識を共有していました。

「だから・・・気が付いたかしら? 私、昨日から芳香剤置いているの。だから少しマシじゃない?」

確かに芳香剤の存在には気が付いていたのですが、正直私には元々の臭気と芳香剤の匂いが不快に混ざり合った感じで、匂いは変わったけど相変わらず臭いと言う印象でした。

更に検討していくと、容疑者として次男が急浮上してきました。
 こんな事を書いて恐縮ですが、所謂立小便スタイルで用を足す事には二つの問題があります。1つは当然ですが、どうしても放出物がはねる事です。これは斜面に落とそうが、水面に落とそうが同じです。
もう1つはそもそも発射直後から軌道が不安定な時もあり、はねるどころかそもそもが想定外の位置を直撃してしまう事です。北朝鮮のテポドンが日本海のどこに落ちるのかわからないようなものです。

私自身は、トイレ掃除をする人間(時には自分)への配慮から洋式トイレでは大小問わずに座って用を足しており、既に長男も自発的にそうしていますが、ノーテンキな次男は今でも小便小僧方式であり、、妻はこの次男の飛び散りやテポドンが臭気の原因ではないかと疑っていました。
 しかし我々は、次男が傷付くといけないのでもう少し様子を見る事で一致しました。NYでは臭くなかったわけですし・・・・・

一般に問題は放置すると悪化するものですが、”決め手”を欠いたまま様子見をしている間に、ナント・・トイレが・・・・・・・・・・流れなくなりました。
問題は、下流の詰まりではなく、何らかの理由でタンクに水が供給されなくなったためでした。

所謂、Bathroomという空間の中に、①お風呂、②トイレ、③洗面所 がセットで存在するのが一般的だった米国とは違い、個室型の日本のトイレにはタンクのテッペンに手洗い用のノズルがあってそこから供給された水がタンクの中に貯水される仕組みになっています。
 トイレを流した時には、このタンク内の水が便器をFlushする仕組みは共通ですが、要するにここへの水の供給が殆ど止まってしまったのでした。

断水ではなかったので、洗面器で何度もタンクに水を入れて流すと言う涙ぐましい作業をして凌ぎながら修理の業者を呼ぶ事にしました。

でも・・・・この臭いトイレに?
もしもトイレに入った瞬間に業者が卒倒したら?

小心者・・・いや、高潔な私の悩みは深まりました。

To be continued.

山には草木がある1

今年の大河ドラマは風林火山。山本勘助が主人公です。

戦国時代が好きな私は、特に上杉謙信の高潔さに惹かれますが、武田信玄の人間臭さも好きです。この両方が信濃で激突した川中島合戦に関する書籍は手当たり次第に熟読してしまいます。

高潔さでは上杉謙信に大きく劣る・・・というか謙信が高潔さにおいて突出しているのですが・・・武田信玄ですが、彼は甲府の躑躅ヶ先の館の厠の下に人工の小川を通して元祖(?)水洗便所を作っていました。泥臭い政治にも長けた信玄は少なくとも”高ケツ”ではあったようです。 女色を絶った謙信とは対照的に男色も好んだ信玄は”請うケツ”でもあったのですが・・・・・

甲陽軍艦という武田の資料には、信玄が厠の事を”やま”と呼ぶ事があった事が記されています。
「山に行って来る」と言って厠に行く事がある彼を不思議に思った家臣がその理由を尋ねると、「山には草木(臭気)がある」と答えたと言う話が出ているのですがちょっと笑わせてくれる話ではあります。

なんでこんな話を思い出したかと言うと・・・・・・

拙宅のトイレにも草木が・・・・そう、実は我家のトイレが臭いのです。いや、臭くなったからなのですよ。

私が単身で入居した時には臭くありませんでした。更に私はトイレ掃除も一応していたし”置くだけ型”のブルーレットも入れていたのでトイレは爽やかな状態に維持されていました。これに感心した父が母に話して実家にもブルーレットが入ったほどです。

それが・・・・今は臭い。そして・・・・どう考えても・・・・・家族が来てから臭い・・・・

そう言えば・・・・子供が九歳・・・・・・などと言っている場合ではありません。

私はこの話を、遂に先日、言い回しに気をつけながら・・・妻に話しました。

To be continued.

2007年7月18日水曜日

Bubbling Stew

ベアスターンズ傘下のヘッジファンドのうちのハイリスクハイリターン商品であった二つのファンドが事実上無価値になったというニュースは投資元本がゼロになるという究極の投資リスクが実現してしまったと言う出来事でした。

共に今問題となっているSubprimeローンを中心とした組成商品への投資に特化していたファンドなのですが、流石に無価値と言うのはひどい話ですので、早くも一部では98年のLTCM崩壊の時のような大規模な変動が起きるのではないかという話が盛り上がっています。

ヘッジファンド規制という議論にも通じるのですが、要するに情報開示義務の無いヘッジファンドには透明性が欠けるためにこのような極端な状況にならない限り部外者には状況の把握が困難である為、今回事実上破綻した二つのファンドが特別にハイリスクハイリターンを求めて無理をしていただけなのか、或いは同じような破綻予備軍のファンドが沢山あるのかが良くわからないという不透明感が払拭出来ないという状況なのです。

感心したのは、ある人がこの状況を「氷山の一角かトカゲの尻尾かの議論」と表現していた事で今の状況を綺麗に表現出来ていると思いました。

欧州時間が始まると、ロンドンの友人がメールでSubprime問題の事を聞いてきたので、早速上記の例えを使って彼はどちらだと思っているかと言う質問をしたところ面白い回答が来ました。

私が、"We need to figure out if this is a tip of the iceberg or a lizard's tail. What do you say?"
と聞くと彼は、"I would say a tip of a lizard" と返してきました。
 ”氷山の一角”でも”トカゲの尻尾”でもなく、”トカゲの一角”だというのですが、それだけ見極めが難しいと言う事ですね。

今日の為替市場もゲンナリするような乱高下となっていますが、まさに”トカゲの一角”相場だからではないでしょうか。

この友人とのメールの最後には、このような記述もありました。

The problem is that this kind of aseet is bubbling stew.
You cannot tell what it really tastes like until the very end.

アセット価格のバブルをシチューの沸騰に例えていますが、確かに沸騰したシチューは冷めるまでは食せませんし、冷めたシチューは美味しくないですね。

もっともっと発想力と表現力を高めたくなってきました。

2007年7月17日火曜日

A penny for your thought.

A penny for your thought !

”あなたの考えに1ペニー”というのは、なにか考え事をしている人にかける言葉なのですが、1ペニーしか払わないのですから日本語にすれば「何を考えてるの?」、「ボーっとしてどうしたの?」という感じでしょうか。
 私は米人と電話で商談している時に、「どんな感じ?」と聞かれて、「ちょっと難しいなー」と返した時にこれを言われたことがあるので、恐らくは「ちゃんと言ってよ」というような意味もあるのでしょう。

4ヶ月ほど離れていた子供と遊んでいて、やや舌足らずの英語でこの言葉を言われて笑ってしまいました。

時間を止めることは出来ないだろうか。

子供を見ていると良くそういう思いを抱きます。どこまで純粋な心を持ち続けることが出来るだろうか・・・と思うのです。

週末の3連休は残念ながら台風の影響で特に日曜日は外出が出来ませんでしたが、降り続く雨を見ながらやはり自分の子供の言葉にハッとした過去を思い出しました。
 
かつてNYが数日間続く大雨だった時の言葉でした。

「パパ、お空にはあとどの位お水があるの?」

ガソリンスタンドで何故車にガソリンを入れるのかを質問された時に、彼らがご飯を食べるのと一緒だと説明した時には・・・・

「それなら沢山あげたら車は大きくなる?」

日米二重国籍である点について説明した時は、「パパとママもそうなの?」と聞かれて、我々は日本国籍だけだと答えると・・・・

「では僕も日本人を選ぶ。もしも日本とアメリカがもう一度戦争したらパパを撃ちたくないから」

こんな事を言われると、親馬鹿になってしまいます。

特に次男は英語のほうが得意で日本語が結構怪しいのですが、先般の東京に来る飛行機の中で喉はカラカラお腹はペコペコという事だったのでスチュワーデスさんにジュースを貰うと・・・

「これで喉はお腹一杯」

などと不思議なことを言って笑わせてくれました。

この週末には地震もありましたが、被害にあった地域の方々には申し訳ないのですが地震未経験の子供達は興味津々でした。
 食事の時に飲み物を口からこぼしてしまった時にも、「今僕の口の中で地震があった」などと言っていました。

やっぱり時間を止められないでしょうか・・・・
そうすれば私自身もこれ以上年を取らずに済みますしね。

どうせなら止める前に少し戻して、NYで止めたかったところですが・・・・・。

とにかく子供の発想は素敵ですね。

Millions for their thoughts !!

2007年7月16日月曜日

Sense of Value : Value of Sense (2)

金曜日にA氏からEメールが入りました。色々なことが書いてありましたが客観的に要約すると次のような内容でした。

1 自分は市場分野を離れて色々な苦労をしたが社内で市場部門が必ずしも好意的に見られていな  い現実に問題意識を持ち、自分自身辛い思いもした。

2 市場分野を飛び出すとその後の社内のキャリアメイクや将来狙えるポストなどの選択肢が広がる一方、より大きな母集団の中での競争に晒される事になる。

3 その中で自分は目線を高く保ち、成長することが出来た。

4 木曜日はそれを君達に伝えようとしていただけ。

5 それをあのように噛み付かれたのは心外。君は何かを勘違いしていないか。憎まれ役になるなら今後こういう事は一切やりたくなくなった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Communication Skill ということを良く考えます。

悪意はそもそも論外ですが、善意の全てが善ではなく、ある意味では正しい伝え方をされないと善意が善意ではなくなってしまう場合があります。
 木曜日の夜に上記のような話を話をされていたら、私が感謝こそすれ反発する理由はどこにもないし、A氏が飛び出した後に彼が何を言いたかったのかB氏と私で長々とGuessする必要もありませんでした。

例えばさだまさし氏の”関白宣言”と言う歌の歌詞の冒頭部分のような導入があればベストだったのではないかと思うのです。例えば、「今日は市場を離れた一先輩としての助言をしたい。耳の痛い話や細かい部分で異論もあるかもしれないが、とにかく今日は私の話を聞きなさい。」 というような・・・

繰り返しますが、Eメールに書いてあった事は全く御尤もだと思うし、A氏は立派だと思います。しかし木曜日の晩にされた話の多くは、彼が必死に苦労して気を砕いて来た対象が、”上司に好かれること”、”組織内での発言力を高めること”などであり、その為には自分を殺して様々な気配りやお付き合いもして来たが、市場の連中はマーケットに逃げているというお説教ばかりでした。

手を抜かずに全力で挑戦すること、そして結果を出すことで”上司の覚え”や”組織内での発言力”は自然に高まるものであると我々は考えますが、これがあまりにも馬鹿正直な姿勢であるというのも事実であり、特にストレートに結果の出る市場部門以外ではより”政治的な”センスも重要であり結果として我々が実績の”副産物”と位置付け勝ちな物がそもそもメインターゲットとなる部分もあるのではないでしょうか。

世の中奇麗事ばかり言って仙人のような生活をしてもしょうがない部分もありますから、それが必要悪なのであれば政治的な手腕を高めることは立派なことであり、それが出来ているA氏は見事の一言に尽きると思います。特に多くの部下を持つ立場となれば彼らを守る為にも必要なことですから自身の出世のための利己的な動きと言う訳でもないでしょう。

私は、A氏の全てを認め、尊敬します。そしてその上で私自身は別の道を歩みますし、それを認めてもらえなくても理解してもらえたらとても嬉しいです。

世の中には多くの価値観があり、各人が自分の価値観の中で勝者になればよいし、幸福になればよいと思います。場合によっては幸福になるために人生の中で価値観を調整して行く事だって正当化できると私は考えています。失敗や挫折から学び取る事は実際に多いですし、そこで気付いたことで開けてくる世界もあるのですから。

自らの価値観の中で自らを成功者と定め、それを正しいものとして他人に下げ渡す必要は無いと考えます。

人生は画一的な”○×”の世界ではありません。”○×”の尺度は人生の数だけあってよいのだと思います。

A氏には心からの敬意と賞賛を送ります。 私は誠実に私の道を歩みます。
A氏の尺度の中でそれがどう映るのかには、全く興味はありません。

2007年7月15日日曜日

Sense of Value : Value of Sense (1)

Blogではなくメルマガ形式で配信していた頃から普段は自分なりの考えをまとめてから書く事が多いのですが、今回は全く手探りの中で書いています。書いているうちに答えが見つからないかと期待している部分もあります。

私が始めてディーリングルームに移ってセールスの仕事を始めた時に、”あそこだけは行きたくない”と直ぐに感じたデスクがありました。当初は具体的に何をしているデスクかはわからなかったのですが、とにかくそこは上下関係がまるで軍隊並みでした。勿論当時は程度の差こそあれどこでもそういう風潮ではあったのですが、そのデスクではその厳しさを超えた理不尽なまでの”圧政”が際立っていたのです。上席者達から罵声を浴び続け、一切表情の消えた青い顔をしたアシスタント軍団からは当時はまだ一般的ではなかった転職や、転勤希望が相次いでいました。

だから・・・自分が数ヵ月後にセールスデスクからそのデスクに配属になった時にはとても複雑な思いがありましたが、自分は自分のやり方でやってみようと気持ちを入れ替えて前向きに係替えを受け入れました。

 最初の1年くらいは自分でも良く持ったと思う位の地獄の日々でした。毎朝オフィスに入るのが6時過ぎ、日付の変わらないうちに退社出来ることは稀でした。一通りの事務周りを覚えたところで自分なりに無駄があると感じた部分で効率化の提案をしても、「xx(前任者)は歯を食いしばってがんばったことをYY(私)は出来ないと言っていますと部長席と人事部に報告するけどいいんだな?」等と言われて全く取り合って貰えませんでした。

そんな時期からもう10年以上が経過していますが、先週の木曜日の晩に私は当時の上席者2人と3人で丸の内の居酒屋に居ました。
 正確には少し上のA氏と1つ上のB氏で、今回市場フロントを離れてアセットマネージメント系の関連会社の要職に転身する事になったB氏が、既に市場部門を離れて久しく、現在は国内営業分野で偉くなっているA氏から誘われたという場にやや腰が引けたB氏から頼まれて私がジョインしたという経緯でした。

「自分は既に市場を離れた人間だけど・・」

そういう出だしで始まったA氏の話は、新たなフィールドで沢山の部下を率いて頑張ろうと燃えているB氏が落胆していることを前提としたような部分があり、私の反発心は先ずはここで着火しました。

「そんなご心配は全くご無用ですよ。Bさん本当に喜んでいますから。実際にご栄転じゃないですか」

私は横のB氏を指し示しながら強調したのですが、今思えばこれが最初の火花だったかもしれません。
その後は市場分野を離れてからのA氏の苦労話や努力談、そして我々後輩に対する有難い助言へと続き、私もそれらを有難く拝聴していました。

ところが・・・

「お前さっきから何で何も言わずに黙ってるんだ?」
「そうやって黙っている事で発しているメッセージもあるんだぞ。沈黙=±ゼロではないんだからな」

かなり強い口調と鋭い眼光を向けられた私は、後輩として頂いたアドバイスを謝した後に私が東京に来てからの数ヶ月で会社に対して感じている事や我々の次のステップに関する所見を話し始めました。  
その中で私が今後避けて通れないと思っているある制度の見直しの必要性に言及した時でした。

「そんな事はどうでもいいし、やつ等の事なんかどうでもいいんだよ」

A氏が私の言葉を遮る様に言葉をぶつけてきました。

早くその制度を見直さないと公平ではない扱いを受ける人々が出ると言う懸念を頭ごなしに否定された私は強く反発しました。

「これは非常に重要な問題であり、我々は大いに頭も心も痛めているのです。」
「彼らのことを”どうでもよい”という発言は間違っていると思うし、私は受け入れられません」

私はそう言って、真っ直ぐにA氏を睨み返しました。こちらももう10年前の小僧ではないのです。

A氏 「もうお前なんかと話していても時間の無駄だ、俺は帰るぞ」
私  「引き止める気は全く無いのでどうぞ」

それが最後のやり取りとなり、A氏は上着と鞄を掴んでそのまま帰っていきました。

私は、場をぶち壊したことをB氏に詫びて、そのままB氏と二人で遅くまで杯を交わしました。
半分は後輩への気遣いだったのかもしれませんが、B氏も私の意見に同調してくれました。

ただ、私もB氏もあの晩に限ってはどこかいつもとは違っていたと感じたA氏の真意がどこにあったのかは我々にも全く解明不能なまま夜遅くに我々も帰途につきました。

人生には、実に色々なことが起こるものです。

この話には続編を書きます。

2007年7月11日水曜日

Redemption

NYのワールドトレードセンターで働いていたころ、よく飲みに行く仲の良い友人がいました。
私と彼は勤務先は違いましたが業務上の取引関係があり、プライベートでも親密な付き合いをしていました。大抵は私の方が残業で遅くなることが多く、彼は一度トライベッカの自宅に帰ってからどこかで待ち合わせるというパターンが定着していました。

物事の段取りが悪い私はいつも彼に場所の選定や予約なども丸投げしていましたが、日本食が好きな彼は結局トライベッカにあるZuttoという店やマーサーストリートのHという蕎麦屋に予約を取ったと連絡してくる事がよくありました。

そのHという蕎麦屋での出来事です。

予約時間丁度に店の前で合流した我々は、階段を登って店に入り、出迎えてくれた店長に予約があることを伝えました。店は満席でしたが、予約を確認した店長は既に間もなくチェックを終えて帰ろうとしている客のテーブルを指し示し、「直ぐにご用意できますのでお待ちください」と言い、我々はその場で待っていました。

数分が経過し、テーブルのクリーンアップも終了した頃でした。我々がそろそろテーブルに移れると思った瞬間に背後から声がしました。

「こんにちは。あれ、ちょっと一杯ですね。駄目かな・・・・」

今日は予約が無いと苦しいだろうと思いながら何気に振り返ると、そこには当時NYで活動(修行?)していたKという歌手と二人のスタッフ(多分)が立っていました。

”あ、歌手のKだ” などとミーハー的な事を考えていた我々の背後から先ほどの店長の声がしました。

「これはこれはいらっしゃいませ。何をおっしゃいますか、さーこちらへどうぞ!」

店長は、歌手のK御一行を私達が座るはずだったテーブルに案内し、性格は悪くなさそうなKは我々を見ながら、「いいんですか?」等と言いながらテーブルに向かいました。

店長は、古武道の摺足のような歩みでバツの悪そうに我々のところに戻ってくると、慇懃無礼な笑みを浮かべながら「す、直ぐにご用意いたしますので・・」などと理解を求めるような弁明をしたのですが、私はここで切れてしまいました。

「もういいです」

私はそう言うと、蕎麦好きで明らかに未練の残る友人を促して私は店を出てしまい、店長は店の外まで追いかけて来て謝っていましたが、それを振り切るようにして我々は立ち去りました。

結局その夜はSOHOのOMENという京料理の店で食事をして帰りましたが、私はそれ以来一度もこの店に行くことはありませんでした。人気のあった店ですので何かの集まりに使われることもありましたが、私はこの店が会合場所であるという理由だけで会を欠席したこともある位でした。

あれから10年ほど経過したのでしょうか。
私は今東京で、この店が先般16年の歴史に終止符を打って閉店した事を知りました。

不思議と”ざまー見ろ”という気持ちは起きませんでした。
むしろ、どこか寂しいような残念な気持ちにすらなったことに少々驚きながら、その理由を探している自分が居ました。

今は東京からNYを懐かしむ気持ちが強い事。流石に10年経てば怒りも冷めて笑い話になる事。そしてこの友人が既に他界しており、この店も彼との思い出の場所の一つであった事。

これら全てが背景にあるような気がします。今は天国に居る彼の足跡がまた一つ消えてしまったような気がするのです。

幸いにしてこの蕎麦屋の本店は東京の荻窪にあるようですので、そのうちここに行って見ようかと思っています。経営者のご子息と言う話だったあの店長も今はそこに居るのかもしれませんが、私も既に顔は良く思い出せません。

Redemption

そう、まさにこの言葉が頭に浮かんできました。

お蕎麦が美味しいといいな~・・・・・

2007年7月8日日曜日

Doghouse

今回の渡米目的は日数の割には欲張りすぎたようで反省しているのですが、どうしても調整が付かずに歯のインプラントの土台埋め込みと引越しの日が重なってしまいました。歯のインプラントは治療途中で離米してしまったのですが、せめて土台埋め込みまではNYでも評価の高い腕の確かな歯科医での治療をと思い、今回の日程に入れていました。

妻は当初、”そんなものか”と言う程度に考えていたようですが、これを聞いたNeighborhoodの主婦連が激怒し、最終日の引越しを最後まで見届けない夫という事になった私はすっかり立場を失いました。妻も再び”そんなものか”と思ったようで私を罵っていました。

語源をちゃんと調べたことは無いのですが、こちらの人々はこういう面目ない、格好悪い様を”犬小屋に居る”という風に表現します。家に居にくいからかもしれませんが、"I am in the doghouse" などと言うのです。と言うことで私はすっかり犬小屋状態でした。
 おまけに愛車を業者に引き渡した後で暑い中を久しぶりに駅まで歩きましたが、見納めとなるかもしれないNeighborhoodに別れを告げるにはよい機会だったと思います。

再会を喜んでくれた歯医者では無事にインプラント土台の埋め込みが終了しましたが、歯茎の縫い目からの出血を抑制するべくガーゼを噛まされ、早めに終われば以前の職場の後輩達と一杯だけと思っていた不埒な計画もとても無理な状態になってしまい断念しました。

その後チェックインしたダウンタウンのホテルで家族と合流し2日ほど過ごして東京に戻ってきました。

事実上日本を初めて見ると言ってよい子供達は、コンパクトで高性能の家電製品には興味を持ってくれましたが、案の定家の狭さにはちょっと驚き、失望したようです。
 シカゴから帰国した友人は、家の狭さに驚いた子供から、”お父さん、何をしちゃったの?”と聞かれたと苦笑していましたが、その子供は父親が何かの罰を受けたと思っていたそうです。

家は狭いし、面目は無いし・・・色々な意味で結局・・・ I am in the house. と言うことのようです。

2007年7月4日水曜日

Moving out

6月29日の金曜日。遂に沢山の思い出を乗せて97年式PathFinderが私の元から走り去りました。私の手の中に4,200ドルの小切手を残して・・・・・・・ そしてその瞬間に引き返すことの出来ない峠を越えたような気持ちになりました。既に東京生活は4ヶ月弱に達していましたが、家族がそのままNYで生活していると言う意識があったせいか、これまでは完全には実感がわかない部分もあったようです。

朝の9時から引越し業者の方々が来て引越し作業を開始していましたが、事前に妻が殆どの荷造りを終えていた為に作業は殆ど運び出しと言う感じでした。
 水曜日に家族と合流した時から感じていたことなのですが、最終日に荷物が一つずつ運び出されるにつれてそれまで家だったものが、ただの空間に帰っていくような不思議な気持ちがしていました。

「実は事情があってマーケットには出していないのですが、もう一つ物件があります」

NY市内から郊外への転居を決めて物件巡りをしている時にエキストラとして最後に見せられたのがこの家でした。そして荷物の搬出が進むにつれて、この家があの時の何もなかった空間に回帰していくのを感じていました。

もう時効でしょう・・・・・ 我々の前にその物件を借りていた一家はご主人が病を得てご夫人と乳幼児に暴力を振るうようになり、ある時に暴力で家から追い出されて中から施錠されたご婦人が鍵の掛かった家の中に狂人と化したご主人と乳幼児だけが残っている事に気付いて半狂乱になって助けを求めたことで近所の人間が警察を呼び、乳児を無事に保護するとともにご主人の身柄を拘束して医療施設に送還しました。外国人だったその家族は米国を去り本国に戻りましたが、家庭はそのまま崩壊したそうです。

慌しく彼らが出て行ってしまい、大家も困り始めたところに私が家族を連れて入って来たという流れでしたが、一つの家族が崩壊する舞台となったその空間で私たちは幸いにも非常に充実した数年間を過ごす事が出来ました。
 そう、我々の二つ前の家族も幸福一杯だったそうですが、その前は数ヶ月家賃を滞納したまま居座ってしまい、延滞分は帳消しにするという条件で退去してもらったと大家が話していましたが、何だかこの家は順番に色々なファミリーの明暗を見てきた事になります。

我々が運び入れた家具類やカーペットも消えて、家族も居なくなって見ると、そこには我々が入居した時と同じ、前の家族が逃げるように出て行った直後と同じ空間が再現されるようで、とても不思議な気持ちになりました。

築15年程度の家でしたが、我々が住んでいた直近の7年間も含めて、実はずっと在り続けたのはこの空間のみなのかもしれない・・・・・・・・・・・そこに複数の家族が順番にかりそめの空間を作り出してかりそめの時を過ごしては消えて行く・・・・・・それをこの在り続ける空間がじっと見つめている・・・・・いや見つめていた・・・・・実はそれだけのことだったのかもしれない。 突然そんな気持ちに襲われました。

人の営みとは、人生とは、そのように何もない所にある空間を創出してそこに家族、仲間、友人を迎え入れてお互いがかかわって行くということなのかもしれないですね。

永続するものは何もないのかもしれませんが、とにかく私はNYと言う街が好きでしたし、この街もここの友人達も本当によくしてくれました。

感謝と惜別の気持ちをもって、一つの空間を出て行くことはとても有難いことなのでしょう。

どこに居ても人が集まる空間を作れる人でありたいですね。