2007年7月15日日曜日

Sense of Value : Value of Sense (1)

Blogではなくメルマガ形式で配信していた頃から普段は自分なりの考えをまとめてから書く事が多いのですが、今回は全く手探りの中で書いています。書いているうちに答えが見つからないかと期待している部分もあります。

私が始めてディーリングルームに移ってセールスの仕事を始めた時に、”あそこだけは行きたくない”と直ぐに感じたデスクがありました。当初は具体的に何をしているデスクかはわからなかったのですが、とにかくそこは上下関係がまるで軍隊並みでした。勿論当時は程度の差こそあれどこでもそういう風潮ではあったのですが、そのデスクではその厳しさを超えた理不尽なまでの”圧政”が際立っていたのです。上席者達から罵声を浴び続け、一切表情の消えた青い顔をしたアシスタント軍団からは当時はまだ一般的ではなかった転職や、転勤希望が相次いでいました。

だから・・・自分が数ヵ月後にセールスデスクからそのデスクに配属になった時にはとても複雑な思いがありましたが、自分は自分のやり方でやってみようと気持ちを入れ替えて前向きに係替えを受け入れました。

 最初の1年くらいは自分でも良く持ったと思う位の地獄の日々でした。毎朝オフィスに入るのが6時過ぎ、日付の変わらないうちに退社出来ることは稀でした。一通りの事務周りを覚えたところで自分なりに無駄があると感じた部分で効率化の提案をしても、「xx(前任者)は歯を食いしばってがんばったことをYY(私)は出来ないと言っていますと部長席と人事部に報告するけどいいんだな?」等と言われて全く取り合って貰えませんでした。

そんな時期からもう10年以上が経過していますが、先週の木曜日の晩に私は当時の上席者2人と3人で丸の内の居酒屋に居ました。
 正確には少し上のA氏と1つ上のB氏で、今回市場フロントを離れてアセットマネージメント系の関連会社の要職に転身する事になったB氏が、既に市場部門を離れて久しく、現在は国内営業分野で偉くなっているA氏から誘われたという場にやや腰が引けたB氏から頼まれて私がジョインしたという経緯でした。

「自分は既に市場を離れた人間だけど・・」

そういう出だしで始まったA氏の話は、新たなフィールドで沢山の部下を率いて頑張ろうと燃えているB氏が落胆していることを前提としたような部分があり、私の反発心は先ずはここで着火しました。

「そんなご心配は全くご無用ですよ。Bさん本当に喜んでいますから。実際にご栄転じゃないですか」

私は横のB氏を指し示しながら強調したのですが、今思えばこれが最初の火花だったかもしれません。
その後は市場分野を離れてからのA氏の苦労話や努力談、そして我々後輩に対する有難い助言へと続き、私もそれらを有難く拝聴していました。

ところが・・・

「お前さっきから何で何も言わずに黙ってるんだ?」
「そうやって黙っている事で発しているメッセージもあるんだぞ。沈黙=±ゼロではないんだからな」

かなり強い口調と鋭い眼光を向けられた私は、後輩として頂いたアドバイスを謝した後に私が東京に来てからの数ヶ月で会社に対して感じている事や我々の次のステップに関する所見を話し始めました。  
その中で私が今後避けて通れないと思っているある制度の見直しの必要性に言及した時でした。

「そんな事はどうでもいいし、やつ等の事なんかどうでもいいんだよ」

A氏が私の言葉を遮る様に言葉をぶつけてきました。

早くその制度を見直さないと公平ではない扱いを受ける人々が出ると言う懸念を頭ごなしに否定された私は強く反発しました。

「これは非常に重要な問題であり、我々は大いに頭も心も痛めているのです。」
「彼らのことを”どうでもよい”という発言は間違っていると思うし、私は受け入れられません」

私はそう言って、真っ直ぐにA氏を睨み返しました。こちらももう10年前の小僧ではないのです。

A氏 「もうお前なんかと話していても時間の無駄だ、俺は帰るぞ」
私  「引き止める気は全く無いのでどうぞ」

それが最後のやり取りとなり、A氏は上着と鞄を掴んでそのまま帰っていきました。

私は、場をぶち壊したことをB氏に詫びて、そのままB氏と二人で遅くまで杯を交わしました。
半分は後輩への気遣いだったのかもしれませんが、B氏も私の意見に同調してくれました。

ただ、私もB氏もあの晩に限ってはどこかいつもとは違っていたと感じたA氏の真意がどこにあったのかは我々にも全く解明不能なまま夜遅くに我々も帰途につきました。

人生には、実に色々なことが起こるものです。

この話には続編を書きます。