2007年7月16日月曜日

Sense of Value : Value of Sense (2)

金曜日にA氏からEメールが入りました。色々なことが書いてありましたが客観的に要約すると次のような内容でした。

1 自分は市場分野を離れて色々な苦労をしたが社内で市場部門が必ずしも好意的に見られていな  い現実に問題意識を持ち、自分自身辛い思いもした。

2 市場分野を飛び出すとその後の社内のキャリアメイクや将来狙えるポストなどの選択肢が広がる一方、より大きな母集団の中での競争に晒される事になる。

3 その中で自分は目線を高く保ち、成長することが出来た。

4 木曜日はそれを君達に伝えようとしていただけ。

5 それをあのように噛み付かれたのは心外。君は何かを勘違いしていないか。憎まれ役になるなら今後こういう事は一切やりたくなくなった。

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Communication Skill ということを良く考えます。

悪意はそもそも論外ですが、善意の全てが善ではなく、ある意味では正しい伝え方をされないと善意が善意ではなくなってしまう場合があります。
 木曜日の夜に上記のような話を話をされていたら、私が感謝こそすれ反発する理由はどこにもないし、A氏が飛び出した後に彼が何を言いたかったのかB氏と私で長々とGuessする必要もありませんでした。

例えばさだまさし氏の”関白宣言”と言う歌の歌詞の冒頭部分のような導入があればベストだったのではないかと思うのです。例えば、「今日は市場を離れた一先輩としての助言をしたい。耳の痛い話や細かい部分で異論もあるかもしれないが、とにかく今日は私の話を聞きなさい。」 というような・・・

繰り返しますが、Eメールに書いてあった事は全く御尤もだと思うし、A氏は立派だと思います。しかし木曜日の晩にされた話の多くは、彼が必死に苦労して気を砕いて来た対象が、”上司に好かれること”、”組織内での発言力を高めること”などであり、その為には自分を殺して様々な気配りやお付き合いもして来たが、市場の連中はマーケットに逃げているというお説教ばかりでした。

手を抜かずに全力で挑戦すること、そして結果を出すことで”上司の覚え”や”組織内での発言力”は自然に高まるものであると我々は考えますが、これがあまりにも馬鹿正直な姿勢であるというのも事実であり、特にストレートに結果の出る市場部門以外ではより”政治的な”センスも重要であり結果として我々が実績の”副産物”と位置付け勝ちな物がそもそもメインターゲットとなる部分もあるのではないでしょうか。

世の中奇麗事ばかり言って仙人のような生活をしてもしょうがない部分もありますから、それが必要悪なのであれば政治的な手腕を高めることは立派なことであり、それが出来ているA氏は見事の一言に尽きると思います。特に多くの部下を持つ立場となれば彼らを守る為にも必要なことですから自身の出世のための利己的な動きと言う訳でもないでしょう。

私は、A氏の全てを認め、尊敬します。そしてその上で私自身は別の道を歩みますし、それを認めてもらえなくても理解してもらえたらとても嬉しいです。

世の中には多くの価値観があり、各人が自分の価値観の中で勝者になればよいし、幸福になればよいと思います。場合によっては幸福になるために人生の中で価値観を調整して行く事だって正当化できると私は考えています。失敗や挫折から学び取る事は実際に多いですし、そこで気付いたことで開けてくる世界もあるのですから。

自らの価値観の中で自らを成功者と定め、それを正しいものとして他人に下げ渡す必要は無いと考えます。

人生は画一的な”○×”の世界ではありません。”○×”の尺度は人生の数だけあってよいのだと思います。

A氏には心からの敬意と賞賛を送ります。 私は誠実に私の道を歩みます。
A氏の尺度の中でそれがどう映るのかには、全く興味はありません。