2007年12月9日日曜日

Indonesia : A land of widening disparity.

 
この国が最初だったら私のアジアへの印象はどれだけ悪かった事でしょう。

ここで頑張る同僚達を初めとして多くの素晴らしい人々に出会いましたが、はっきりとそうではない人達がいたことが全体としてこの国の印象を押し下げてしまった感じがします。勿論この辺りは私の勝手な主観であり、私の体験などは国や民族を一般化して語るほどのサンプルには到底なりえない事は確かなのですが。

ただ、同国の当局者や為政者には100%の善意を持って心の底から助言したいのですが、空港は国の玄関だと思うのでスタッフの教育はまじめに考え直した方がいいのではないかと思いました。

マレーシアからインドネシアに移動したのですが、マレーシア航空の座席もスチュワーデスもJALのそれとは比較にならない素晴らしさでした。唯一の問題はスチュワーデスのやや長めのスカートに入ったスリットの悩ましさで、お陰で私は仮眠を取り損ないました。

やはりミニスカートなどよりも長めのスカートにスリットを入れた方がよほど悩ましい訳で、これはビジネスの交渉事などでも充分に参考にするべきでしょう。やはり足はスリット、ご飯はリゾットです。

仮眠を取り損ねた私が降り立ったのは、ジャカルタのスハルト空港でした。

数日の滞在でもこの国はVISAが必要であり、空港で確か10米ドルで購入する形式になっています。

先ずは窓口でVISAを購入し、直ぐ横にある別の窓口に行ってVISAの領収書をパスポートに添えて提出するとパスポートにスタンプが押してもらえると言う仕組みでした。

先ずは、最初の窓口で日本円でも大丈夫と言う担当者に一万円札を渡して領収書とお釣りを貰いましたが、後でよく勘定すると全くひどい換算レートだったことが分かりました。イノドネシアルピー(IDR)のレベル感など全くなかったのでその時には全く分からなかったのですが、後からそれをネタにして大笑いしているので、これが本当の"後の祭り"と言う感じでしょうか。

ひどかったのは、直ぐ横のVISAの発行担当者でした。私がパスポートと領収書を提示しても全く動く気配が無く、私が丁寧に、「これがパスポートでこれが領収書です。VISAのスタンプを下さい」と言っても人を馬鹿にしたように見上げるばかり・・・・やっと口を開いたと思ったら・・・・・・

VISA係  ”You do not have anything for me?”
私     " What else do you need please?"
VISA係 " I need OMIYAGE"
私 " ????"
VISA係 "No MIYAGE? No OMIYAGE for me?"

一瞬頭の中で、”幾らくらい渡すのが相場なんだろう・・・”と思った私でしたが、直ぐに気を取り直して睨み付ける様にして " I have no idea what you are talking about" とだけ言って黙っていたら、3分後くらいに彼はVISAスタンプを投げるようにしてよこしたままそれ以後は目線も合わせませんでした。

もう一度言いたい・・・飛行場は国の玄関だとすれば、国としてよく考えた方がいいと思います。 後で知り合った人々に確認すると、私の対応で問題はないということでした。また、上位者を呼べと言って脅したらどうだっただろうかと言う質問に対しては、恐らく上位者からも"みやげ”を要求されるだけだから意味はないとのことでした。

閑話休題

未開発なれど相当な資源があると言う事で幾分先行投資的な外国資本が流入していると言うのが現状ではないかと言う気もしますが、金融当局はしっかりと機能しており、現地の新聞を読むとスハルト政権時代の汚職が次々と裁断されている様子なので、政治的にも金融的にも近代化への道を着実に歩んでいる事が分かります。

公的、民間双方の金融機関を回ってみましたが、ここでも恐らくは留学経験があると思われる若い世代が組織を牽引している感じで、欧米人並みの英語を話す人が多くて驚きました。明らかに"教えてやる"と言う態度の上から物を言う感じの人もいましたが、概ね柔軟な人達と言う感じでした。

格差・・・という日本でも流行(?)の言葉が適切かどうかは分かりませんが、貧富、教育水準等あらゆる切り口で分布の広い国ではないかと思います。

交通量を制限するために、市街には車に3名以上乗っていないと入れて貰えませんが、チェックポイントの近くに来ると員数合わせの人達がいて、乗車人数が足りない車は彼らを乗せて市街地に入ります。私を乗せた車も、そんな人を乗せて移動しましたが途中で少額のお金を渡して降ろしてしまうで2度驚きました。彼らはどうやって帰るのか・・・・・運転手と彼の会話は現地語で分からないし、運転手は私の " Is he ok? " という英語を理解しませんでした。

ジャカルタの交通事情はマンハッタンより怖いです。イメージとしては歩道でも車が走りそうだと言うくらいで、ここで車を運転するのは相当危険だと思いました。イェローキャブの運転手ですら躊躇するのではないかと思います。ルールも秩序も無いのか・・・・私は何度も信じられない思いがすると共に事故に遭わなかったのが不思議な気持ちにすらなりました。

ところが・・・・最終日にホテルで朝食を取りながら市街を見下ろすと、全体としては整然とした動きのように見える事に驚きました。
 部分で見ると、全くの無秩序のように見えて、全体としては一応の流れが維持されている・・・・・・・もしかしたらそれは、今のインドネシアそのものなのではないか・・・・ふと私はそんな思いに駆られました。

同国はかつて3年程日本による統治下にありましたが、一部高齢者を除けば特に若い世代の対日感情は概ね良好だそうです。それまで350年同国を統治したオランダに比べれば非常に短期間であったこと、日本がそのオランダを駆逐したという印象もないではないという事のようです。

ここの経済も市場も気候同様に当分は熱気を保つと思われますが、上述のとおり全体が動いている中での部分の無秩序さは、不思議な躍動感にもつながっているような気がしてきました。

部分部分の微細な秩序を完璧に積み重ねて全体の流れを保とうと言う今の日本のコンプライアンス主義は、この躍動感を殺しているのではないか・・・・・そんな危惧が頭をよぎりました。

殺すべくは躍動感ではなくて不埒な空港職員だと、声を大にしていいたいのですけどね。