2007年5月21日月曜日

Things are not always what they seem(2)

二人の天使が旅をしていました。

ある晩二人はある裕福な家に宿請いをしました。

その裕福な一家は、身なりの冴えない二人の天使を客間ではなく地下室に案内し、食事も出さずに邪険な扱いに終始しました。
 ジュニアな天使は憤慨しましたが、シニアな天使はそれをなだめながら、地下室の痛んだ床を一生懸命修繕し、裕福な一家への御礼としました。

翌日は過疎地の貧しい老夫婦の家に泊めてもらいました。

夫婦は貧しく、たった1頭しかいない年老いたヤギと暮らしていましたが、客人の為に大事に保存してあった食材を全て使って夫婦にとっては最高に贅沢な食事を作って二人をもてなし、たった一つのベッドを客人である二人に与え、自分たちは朝まで狭い土間に寝ていました。

翌朝、若い天使は、貧しい夫婦の泣き声で目を覚ましました。

二人の大切なたった一頭のヤギが永眠していました。
貴重な栄養源だったささやかなヤギの乳すら今後は無くなってしまうし、それ以上に夫婦はこのヤギを家族のように可愛がっていたのです。
二人の天使は夫婦にお礼とお悔やみを述べて立ち去りました。

再び旅路についた後、若い天使はシニアな天使に噛み付きました。

自分達を邪険に扱った裕福な一家の為に地下室の床を修繕し、心の奇麗な貧しい老夫婦宅では何もせず、彼らの大切なヤギをも見殺しにしたシニアな天使が許せなかったのです。

”Things are not always what they seem"

シニアな天使は説明しました。

最初の家の地下室では、壊れた床板の下に金粉を発見し、地下に金脈が通っている事がわかった。自分は、それを心の汚い一家が発見する事の無いように床を修繕して金脈を隠した。

二件目の貧しくも心の奇麗な老夫婦宅では、実は明け方に死神が老婆を召しにやって来たので、自分が話をつけて死神には老婆の代わりにヤギを与えた。

”Things are not always what they seem"

(後略)
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神のマスタープランは時として我々には理解出来ない場合が在ります。
でも、そこにはちゃんと意味があるのだと思います。意味と言うのは神の意思です。

家族連れに席を譲って事故にあった若い女性や2001年9月の同時多発テロで他界した人々を思う時、私は良くこの話を思い出します。

Things are not always what they seem.

私はそう確信しています。