2007年6月15日金曜日

"美しい国"よりも先ずは"まともな国"へ

時代の変わり目と言うことなのでしょうか。この日本と言う国は色々な分野でまさに外科手術的な浄化が進行中のようです。このプロセスは、ここ数年特に加速してきた印象もありますが、現在進行形のものだけでも談合問題、野球の裏金問題、市中金融機関の貸出金利制限、大相撲の八百長疑惑、生損保の保険金未払い問題、社会保険庁のずさんな年金データ管理などなど・・・・実はずっと気づいていたけどパンドラの箱のように敢えて開けずに来た、もっと言えば談合などは一部では必要悪のように黙認すらされてきた事象に鋭いメスが入っています。

あまり対象を拡大すると収拾が付かなくなるので、自分でも気になってきた年金問題を取り上げてみましょう。丁度これは、今の日本という国がいかに訳がわからない状態であるかを象徴的に示しているとも言えるからです。

国の仕事が如何にいい加減だったかについては驚愕する思いです。手書き台帳からコンピュータ管理体制に移行した時に誰に帰属するかわからなくなったデータが5千万件あるとか、元データはマイクロフィルムも元帳も残っていないものも多いとかいう状況については、ズバリこれはシステム移行に完全に失敗したのだと言い切ることが出来ます。更にデータがおかしいのではないかとか、過去に収めたはずのデータが消えていると言う照会に対しては国民側が証拠を持って証明しないと全く取り合わず、システム移行に頓挫しておきながら5年経過で時効などという無謀なルールで自らを守っていたと言うことは横断歩道、いや言語道断です。

ある邦銀が合併だか統合だかの際にシステム統合に失敗した事がありました。あの時に国がその銀行に下した処分や銀行が自主的に課した役員退職金の支払い凍結などの厳しい処置との対比において、これまでの国側の対応や身内である社会保険庁の守り方は異常です。国民の怒りに後押しされたメディアや野党が必死に与党を突き上げて状況は変わりつつありますが、ここへ来て与党側からも社会保険庁の解体と年金業務の民営化案が出ているというのは笑止千万です。

金融に限らずに殆どの産業がそれぞれの監督官庁の管理下にあり、お役人たちは絶大な権限を持って各企業に対する検査や監査を行い、必要に応じて行政処分や強制力を伴う指導を行います。
ところが、民間を管理・監督・指導することは得意な行政も自分たちで事業を行えば社会保険庁のようなざまとなるのです。そしてその解決策が民営化だというならば、いったい国や行政に民間を管理指導する能力が最初からあるのかという疑問がわきます。

私に投票権があるのかどうかは要チェックですが、今度の参議院選挙は大いに注目しています。米国ではかつて多くの人々が10年間不況が続く中で革命も政権交代も起こらない日本という国を不思議がっていました。当時私は、そういうものかな・・・という程度にしか感じていませんでしたが、この参院選で与党が大敗を喫しないとしたらやはり日本という国や国民に対して私も全く同様な気持ちを抱くことでしょう。この年金問題や自殺した故松岡農相問題なども含めて与党の対応は不遜の一言に尽きると思うからです。

”美しい国”の前に”まともな国”であって欲しい。そう思うのです。

政治と国民、国家と国民、官庁と民間、他の先進国との比較においても異常な上下関係とも感じるパワーバランスにも外科手術的な修正が入ると日本も本当に良くなるような気がします。