6月29日の金曜日。遂に沢山の思い出を乗せて97年式PathFinderが私の元から走り去りました。私の手の中に4,200ドルの小切手を残して・・・・・・・ そしてその瞬間に引き返すことの出来ない峠を越えたような気持ちになりました。既に東京生活は4ヶ月弱に達していましたが、家族がそのままNYで生活していると言う意識があったせいか、これまでは完全には実感がわかない部分もあったようです。
朝の9時から引越し業者の方々が来て引越し作業を開始していましたが、事前に妻が殆どの荷造りを終えていた為に作業は殆ど運び出しと言う感じでした。
水曜日に家族と合流した時から感じていたことなのですが、最終日に荷物が一つずつ運び出されるにつれてそれまで家だったものが、ただの空間に帰っていくような不思議な気持ちがしていました。
「実は事情があってマーケットには出していないのですが、もう一つ物件があります」
NY市内から郊外への転居を決めて物件巡りをしている時にエキストラとして最後に見せられたのがこの家でした。そして荷物の搬出が進むにつれて、この家があの時の何もなかった空間に回帰していくのを感じていました。
もう時効でしょう・・・・・ 我々の前にその物件を借りていた一家はご主人が病を得てご夫人と乳幼児に暴力を振るうようになり、ある時に暴力で家から追い出されて中から施錠されたご婦人が鍵の掛かった家の中に狂人と化したご主人と乳幼児だけが残っている事に気付いて半狂乱になって助けを求めたことで近所の人間が警察を呼び、乳児を無事に保護するとともにご主人の身柄を拘束して医療施設に送還しました。外国人だったその家族は米国を去り本国に戻りましたが、家庭はそのまま崩壊したそうです。
慌しく彼らが出て行ってしまい、大家も困り始めたところに私が家族を連れて入って来たという流れでしたが、一つの家族が崩壊する舞台となったその空間で私たちは幸いにも非常に充実した数年間を過ごす事が出来ました。
そう、我々の二つ前の家族も幸福一杯だったそうですが、その前は数ヶ月家賃を滞納したまま居座ってしまい、延滞分は帳消しにするという条件で退去してもらったと大家が話していましたが、何だかこの家は順番に色々なファミリーの明暗を見てきた事になります。
我々が運び入れた家具類やカーペットも消えて、家族も居なくなって見ると、そこには我々が入居した時と同じ、前の家族が逃げるように出て行った直後と同じ空間が再現されるようで、とても不思議な気持ちになりました。
築15年程度の家でしたが、我々が住んでいた直近の7年間も含めて、実はずっと在り続けたのはこの空間のみなのかもしれない・・・・・・・・・・・そこに複数の家族が順番にかりそめの空間を作り出してかりそめの時を過ごしては消えて行く・・・・・・それをこの在り続ける空間がじっと見つめている・・・・・いや見つめていた・・・・・実はそれだけのことだったのかもしれない。 突然そんな気持ちに襲われました。
人の営みとは、人生とは、そのように何もない所にある空間を創出してそこに家族、仲間、友人を迎え入れてお互いがかかわって行くということなのかもしれないですね。
永続するものは何もないのかもしれませんが、とにかく私はNYと言う街が好きでしたし、この街もここの友人達も本当によくしてくれました。
感謝と惜別の気持ちをもって、一つの空間を出て行くことはとても有難いことなのでしょう。
どこに居ても人が集まる空間を作れる人でありたいですね。