2007年9月9日日曜日

Bernankeの失敗 : Too many gaps.

金曜日の夜に今は違う会社に居る後輩に誘われて外食をしていました。
 私はオフィスには戻らずにそのまま帰宅する積もりでしたが、彼は注目の米雇用統計までにはオフィスに戻ってもう一勝負する予定でした。

ところが、ややスタートが遅れてしまったためにそろそろ食事メニューをオーダーして切り上げようと思った時には既に午後9時を過ぎており、また目の前の彼は既に体中にアルコールが回りきった状態で私の方を向きながら白目をむいていたので、結局我々は携帯WEBとポケットロイターでこの重要指標の発表を追いかける羽目になりました。二種類の焼き蕎麦をシェアしながら・・・・

Non-Farm Payroll、非農業部門新規雇用者数が4年振りにマイナスとなり、前月の数字も下方修正という指標の内容は、きっかけ待ちだった金融市場に再度パニック状態へ回帰するチケットを手渡すのに十分な内容だったと思います。

金融当局の失敗、無力化、過信、・・・・・

実は後輩から見れば私も白目をむいていた可能性も高い位アルコールの影響を受けながら、脳裏に浮かんできたのはそんな概念でした。

私は、金融当局全体、特に米国のFRB議長であるBernenke氏の抱える最大のテーマは、サブプライムモーゲージ債権悪化のダメージを蒙る対象の中からどこまでをどのように救済するのかにあったと思います。

具体的には、当局が動くにしても全てを救済してしまえばモラル・ハザードと言う形で将来に禍根を残すので、その線引きの策定に知恵を絞ってきたというのがここまでの動きだったと思います。金融革命というユーフォリア的な概念を主導して多種多様な新商品を組成してきた投資銀行、それらに高い投資格付けを与え続けてきた格付け機関、プロとしてそれら商品にリスクを承知で投資してきたファンドや機関投資家、仕組みやリスクを理解していた可能性は低いものの自己責任の原則もある一般投資家・・・・・・これらのどこまでをどのように救済するのかと言う事です。

モラル・ハザードを残さないように重要な教訓として、ある程度の痛みは経験してもらう必要があるが、全体の軟着陸を実現しながらどのようにバランスを取るか。

To beat or not to beat, that is the question.

To be or not to be, that is the question. という有名なシェイクスピア作品の言葉に擬して、私は金融当局のジレンマをそのように表現できると考えてきました。

徹底した足元流動性の供給という、しかもECB,FRBを中心とした各国当局の協調的な初期対応は充分評価に値する効果を持ちました。
 これをドル円をパラメータとして評価すれば、8月中旬に111円61銭まで急進した円高が、117円15銭まで振れ戻す動きがあったわけですが、ここで金融市場にも一服感が出たところで、どうも金融当局にも過信が出てしまったように感じます。

毒蛇に足を噛まれたとして、その傷口を縫い、薬を塗れば足は急速な回復をしたように見えるでしょう。しかし、体の中では確実且つ広範囲(全身)に猛毒が回り始めており、次に問題が表面化したときにはどこから手をつけてよいのかわからないくらい全体が弱っていると言う事象に近い事が今の金融市場では起きつつあるのだという危惧を抱かざるを得ません。

当局の過信という問題の本質に関する認識ギャップは、Bernanke議長率いる新FRBの限界を露呈している可能性もあるでしょう。

Bernankeの失敗。 それは今、始まったばかりなのかもしれません。

千鳥足でオフィスに戻る後輩の大きな背中を見送った後、駅に向けて歩を進めながら、私はそう自問自答していました。

ふと気が付くと、強烈な尿意を催していました。
そういえば結構飲んだのに一度もトイレには行っていませんでした。歩幅を狭めないと危ないくらいの尿意でしたが、漏らさないように中腰で駅まで行かなくてはなりませんでした。

どうやら私にも過信があったようです。