今週は日本列島は本州にも大きな台風が来ました。東京を中心とした関東地方にも大きな影響が出ています。
首都直撃は木曜日の夜でしたが、NYから来ていた友人の歓迎会があり、彼が週末には帰米する事から我々は会の断行を決意して人影も少ない夜の街に繰り出したのでした。
我々はよく、"大きな絵としては・・・"などと言いますし、英語でもそのまま"The big picture"という言い方を使いますが、木曜日の会に出ていて、幾つか重要なことを再確認しました。
1 あらゆる事象の実態は、"大きな絵"と言うよりも、"大きな彫刻"である。
2 あらゆる人物や勢力は極めて近視眼的である。
というのがその中でも大きな二つです。
1について感じるのは、何事にも自分には良く見えない側面や裏面があり、物事の実態は平面の絵ではなく、立体的な彫刻に近いと言う事です。
木曜日はNY市場を経験した金融関係者の集まりで、商社、銀行、メディア、証券会社などの人間の集まりであったのですが、当然話題になった今回のサブプライム問題や金融市場の混乱についてもそれぞれの分析や認識に結構な相違を発見して皆が意外感を伴う新鮮な発見をする事にもなりました。
私自身も、何事も現実は立体的な彫刻であり、自分の現在地からは見えない側面や裏面についての情報を得る唯一の方法は、自分とは違う位置に居る人々・・・・側面や裏面から同じ彫刻を見ている人々(彼らにとってはそれが正面図なのですが)と情報を交換する事であると再認識しました。
2つ目も非常に重要なポイントで、今の金融市場の状況を正しく理解する上でとても重要な事だと思っています。
"あらゆる人物や勢力は極めて近視眼的である"というのはどういう事かと言えば、人は皆自分の足元の状況を基準に物事を判断すると言う事です。理屈的には自分に見えている事、自分が知っている事は全体のほんの一部分でしかないと理解はしていても、どうしても人間は自分の視界にあるものや知識をベースとしてその延長線上に全体像を位置付けるという習性があります。
一気に本質に入りましょう。
今回の金融市場の混乱は、サブプライム・モーゲージ不安→流動性懸念→市場参加者の資金繰り能力懸念→・・・・・ と言う経路で展開してきましたが、私なりに世界中のあらゆる勢力とのコミュニケーションを通して非常に強く感じている事があります。
それは・・・ "震源地に近い人ほど悲観的である" と言う事に尽きます。
殆ど例外なしと言っても良いでしょう。例えば、ヘッジファンドは大丈夫かというテーマに対してはヘッジファンド業界内部からの声が最も悲観的であり、更に大手のヘッジファンドほど悲観的な見通しを持っているようです。
これはどう考えても、外部に対する情報開示が限定的な同業界にあって、大手や老舗ほど業界全体の状況を把握しやすいという事実と強い関係があるからだと確信します。
90年初頭には数百だったヘッジファンドは、現在確認できるだけで1万を超えていますが、老舗や大手は組織的にも人材的にも"のれん分け"を含めた幅広なネットワークを有しており、業界全体の状況がより把握し易い立場にあると思われますが、まさに今後千単位で新興ヘッジファンドが整理されても驚かないというスタンスを伝えてきています。
色々な金融機関からは、サブプライム証券の保有規模などから自社は大丈夫だと言う声が聞こえてきますが、一方でそれぞれの金融機関内部で実際に商品の組成や販売業務などに携わった人間ほど実際の規模的リスクを把握しているためか、自社の先行きを懸念している事がわかります。
この問題がどこまで根深いか、どこまで痛みを伴う結末を迎えるかと言う事と、為替市場における円高がどこまで進むかと言う事は深く関連付けて考えられているようですが、よく見ると自社の為替見通しで大きな円高を予想している金融機関と、この懸念を背景に株式市場が下落する時に株価の落ちている銘柄が妙に一致しているように見えるのも非常に興味深いことです。
地震の後に、震源地に近い場所に居る人々ほど余震に怯える事や、台風で被害を受けた地域の人々ほど次の台風を怖がると言う当たり前の事と同じ事が金融市場でも起きている訳ですが、当局の今後の対応が後手後手に回るなどしてハードランディング的に金融業会の膿を出し切るという事にでもなった時には相当ひどい事になってしまいそうだと言うのが正直な印象です。
そう・・・木曜日の集まりの全体感は、さほど悲観的ではなく、そういう意味では一部の予想通り、日本勢はこの問題で直接的なリスクはあまり抱えていないのかもしれません。楽観的な民族性というだけかもしれませんけどね・・・?