2008年3月17日月曜日

A value of currency....................


3月13日の木曜日に1995年以来の100円を示現したドル円は99円台後半から101円台前半までの狂ったような振幅を消化して金曜日には98円台まで突っ込んだ後辛うじて99円台まで戻して週の取引を終了しています。

1ドル=100円 というコンセプトで何かよいCatchを探したのですが思い浮かばず、結局は「百文は一見にしかず」と言う諺に掛けて、「1ドルは百円にしかず」という標題でレポートを書きました。

A look is worth a thousand words.......Now a buck is worth a hundred JPY.

銀行や証券会社のレポート類で私が唸ったのはUBSのレポートで、"Yen tops a cent." だったと思いますが、1ドル=100円という事象を要するに1セントと1円の価値が等しくなったのだと判断し、100円以下に突っ込んだ99円台の円高であれば、ついに1円が1セントの価値を上回ったのだと表現していました。お見事です。

さて・・・・・・・・・・・・

今更ながら1セント硬貨と1円玉を並べて良く考えてみると、面白い事に気が付きます。

1 面積、体積は大体同じ。

2 材質は1セント硬貨が銅で、1円玉はアルミニウム。

3 従って重さは1セント硬貨の方が随分重い。

4 商品市場における、銅とアルミニウムの価値は・・・・・・・・?

そうです・・・・・・・・銅はアルミニウムよりも比重が大きいので同じ体積(大きさ)であれば銅のほうが重いのですが、通貨として持つ重みは材質としての重みを逆転する事があります。

 更に、両者を溶かして純粋にほぼ同量の銅、アルミニウムとして商品市場に出した時の価値とそれを1セント、1円という「通貨の衣」に押し込んだ時の価値の上下関係は逆転し得るのです。

学歴、勤務先などの看板、箱物による人物判断などが根強く残る日本の価値観には強い問題意識を持っていますが、どうやら通貨の世界にも類似の価値尺度があるのかもしれません。

通貨の価値は、文字通り通過性の高い一過性のものなのかもしれません。

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

特別にドルがどうとか、ユーロ、円がどうと言う問題ではなく、結局金融市場というのはこの平家物語の有名な件に表現されるような極めて仏教的な側面を色濃くはらんでいるという事実に改めて思い当たります。
原油安でOPECが助けを求めていた時期も、導入後に大幅に売り込まれて欧州で統一通貨ユーロの導入が後悔されていた時期も、金が数十年と言う規模で低空飛行を続けていた時期も、ドル円が79円75銭まで円高になった後、148円水準の円安となり本邦当局が必死に円買いドル売り介入をしていた時期も・・・・・全てがこの10年強という過去の時間帯での出来事なのです。

確認しましょう・・・・・・・・

物事にFair Valueなどないと思った方が良いのです。あるのは不完全且つ非効率的な市場だけです。市場の瞬間ごとに一時的に均衡する価格は、その瞬間の事実を伝えますが、それは真実ではありません。

真実は絶対的な存在のみが決め賜う物であり、ある意味では金融市場は修行の場であり、神との対話を試みる場であるのかもしれません。

先入観、欲望、恐怖、イデオロギーなどは悪魔の囁きと心得ましょう。今は特に真っ直ぐな気持ちで相場に向き合う時です。