2009年とともに、どうやらまた一人の歴史に残る名選手を見送る事になりそうですね。
全盛時には全てが規格外だったボクサー、Roy Jones Jr.が豪州で格下の選手に初回KOで無様な敗北を喫していよいよ引退の決意を固めたようです。本当に凄い選手でした。
ボクサーでWikipediaに出てくると言うのも凄い事だと思いますが、こんな風に記述されています。
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ロイ・ジョーンズ・ジュニア(Roy Jones, Jr.、1969年
1月16日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。フロリダ州ペンサコーラ出身。ミドル級出身でヘビー級の王座を獲得した史上2人目のボクサー。ミドル級、スーパーミドル級、ライトヘビー級、ヘビー級の4階級を制覇し、長きに渡りパウンド・フォー・パウンド最強と目されていた名選手。身長180cm、リーチ188cm。
彼のキャリアを辿ったような写真を並べてみてもまさに栄枯盛衰そのものですね。
再度WIikipediaから彼の足跡を抜粋してみましょう。それにしても凄い・・・
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1988年10月2日、ソウルオリンピックボクシング競技ライトミドル級に出場。決勝戦で地元・韓国の朴時憲と対戦。2度ダウンを奪い、有効打も86対32となるなど圧倒したものの、不可解などというレベルでは済まされない露骨な地元判定で2-3で負けとなり、銀メダリストとなった。文句なしの勝利を確信していたジョーンズは泣き崩れ、記者会見でも泣きながら「盗まれた金メダルを返してほしい」と訴えたことから、「盗まれた金メダル事件」として知られる。後の調査で審判の買収が判明し、IOCの会長からメダルのレプリカを与えられ、アマチュアボクシングの採点システムが変更されるきっかけとなった。
1989年5月7日、プロデビュー。
1992年12月5日、パーシー・ハリスを4RKOで下し、WBCアメリカ大陸スーパーミドル級王座獲得。
1993年5月22日、バーナード・ホプキンスを12R判定で下し、IBF世界ミドル級王座獲得。同王座は1度防衛後に返上。
1994年11月18日、ジェームズ・トニーを12R判定で下し、IBF世界スーパーミドル級王座獲得。2階級制覇に成功した。同王座は5度防衛後に返上。
1996年11月22日、WBC暫定世界ライトヘビー級王座決定戦でマイク・マッカラムを12R判定で下し暫定王座獲得。後に正規王者に昇格し、3階級制覇に成功した。
1997年3月21日、WBC世界ライトヘビー級王座初防衛戦でモンテル・グリフィンと対戦。圧倒するも9Rグリフィンがダウンしたところに攻撃してしまったために失格負けとなり、王座陥落とともにプロキャリア初黒星となった。
1997年8月7日、モンテル・グリフィンとダイレクトリマッチで対戦。左フックだけを使って1RKOで下し、WBC世界ライトヘビー級王座を奪回。その後、ヘビー級転向を表明したものの、翌1998年にヘビー級転向を撤回。転向表明を受けてWBCはグラシアノ・ロッシジャーニを王者認定していたが、ジョーンズの撤回を受けてロッシジャーニを暫定王者に格下げしたため、訴訟問題に発展した。
1998年7月18日、WBA世界同級王者ルー・デル・バーレに判定勝利を収め、WBC王座の初防衛に成功するとともに、2団体統一王者となった。
1999年6月5日、IBF世界同級王者レジー・ジョンソンに判定勝利を収め、WBC・WBAの両王座防衛に成功するとともにIBF世界ライトヘビー級王座を獲得し、3団体の世界同級王座を統一した。
2000年5月13日、WBA世界同級暫定王者リチャード・ホールとの王座統一戦に11RTKO勝利を収め、3団体の防衛にも成功。この後、3団体の各防衛回数を3伸ばした。2001年1月、WBA世界同級スーパー王者として認定された。
2002年2月2日、無敗のグレン・ケリーとのWBC10度目、WBA9度目、IBF6度目となる防衛戦では、3R、6Rにダウンを奪い、7Rには攻勢に出るケリーに対しロープ際に下がり両手を自らの背後へ回してボディワークで翻弄した後、一瞬の隙を突き、背後に回した右手を振り出しカウンターを決め、力量差を示して7RKO勝利を収めた。この後、3団体の各防衛回数を1伸ばした。2002年11月18日、IBF世界同級王座を剥奪された。
2003年3月1日、ジョーンズは一度棚上げしたヘビー級転向を表明、WBA王者ジョン・ルイスに挑戦する。試合はジョーンズがジャブのみで圧倒、一時はルイスをKO寸前の状態にするなど文句なしの内容で12R判定勝利、WBA世界ヘビー級王座を獲得。ボブ・フィッシモンズ以来106年ぶりとなるミドル級出身者によるヘビー級世界王座獲得を達成し、4階級制覇に成功した。
2003年4月15日、WBA・WBCの両ライトヘビー級王座を返上した。WBAのヘビー級王座も防衛戦を行うことなく返上した。
2003年11月8日、ライトヘビー級王座返り咲きを狙い、WBC世界ライトヘビー級王者アントニオ・ターバーに挑戦。序盤はターバーの猛攻が続き、ジョーンズはディフェンス一辺倒に追いやられたが、逆に中盤から終盤はジョーンズがコンビネーションで盛り返し、なおも時折ターバーに集中打を浴びながらも、結果として際どい内容で2-0のマジョリティディシジョンでの判定勝利を収め、WBC世界同級王座を再獲得するとともにWBA世界同級スーパー王者として再認定された。
2004年5月15日、アントニオ・ターバーと再戦。初戦とは逆に序盤から一方的に攻勢をとったものの、2Rにターバーの左オーバーハンド一発でダウン、そのまま立ち上がれずKO負け。WBA・WBCの両王座を失った。
2004年9月25日、IBF世界同級王者グレンコフ・ジョンソンに9RKO負け。
2005年10月1日、ターバーとラバーマッチを行ったが、0-3の判定で敗北。この頃急激に負けが込んだ理由として、短い期間にライトヘビー→ヘビー→ライトヘビーと階級の急激な上下を繰り返しており、体調管理の難しさのほかに一度付けた筋肉を落として減量せざるを得なかったことで本来持っていたスピードやパワーに狂いが生じたことがあげられている。評論家の中には、結果的にヘビー級挑戦が彼のキャリアの凋落の原因となったという者もいる。
2006年7月29日、プリンス・バディ・アジャムと対戦し、3-0の判定勝ち。
2008年1月19日、フェリックス・トリニダードと対戦。随所に往年の動きを見せ7Rと10Rに2度のダウンを奪い、3-0の判定勝ち。
2008年11月8日、ジョー・カルザゲと対戦。1Rにダウンを奪うシーンを見せたものの、その後はカルザゲの連打を攻略できず、0-3(109-118、109-118、109-118)の判定負け。
2009年3月21日、空位のNABO北米ライトヘビー級王座をオマール・シェイカと決定戦で争い、5RTKO勝利で再起を果たすとともに同王座を獲得した。8月15日、ジェフ・レイシーに10R終了TKO勝利を収めて同王座の初防衛に成功した。
2009年12月2日、IBO世界クルーザー級タイトルマッチで王者ダニー・グリーンに挑戦し、初回TKO負けを喫した。
1ファンとしては彼は余分な敗北を重ねて晩節を汚してしまったという残念な思いもあるのですが、これは1ファンの勝手な感傷であり、当人にとっては自身の衰えを確認しないとグラブを吊るす決心がつきかねていたという事なのかなと推測しています。転生の素質で上り詰めた天才型のボクサーにありがちな事ですが、紙一重の反射神経の衰えから当たるはずのパンチをかわされ、見切れるはずのパンチを貰ってしまうようになっていき最後は極端に打たれ弱い面を曝け出して陥落すると言う寂しい結末となってしまいました。
21世紀も最初の10年が終了しようとしていますが、色々なところで世代交代が起きていくのでしょう。
Roy Jones jrの凄さは、将来のボクシング史において彼は間違いなく彼を破った選手たちよりも上位に位置付けられるということでしょう。
彼の第二の人生に幸あれ。