仰々しい三菱UFJをリゾート姿で迎えるモルガン
出資の土壇場での条件変更などに対応するため、急きょ旅先から戻って徹夜で対応にあたったキンドラー副会長はリゾート服にサンダルという格好で無精ひげをはやしたまま、13日午前7時半に法律事務所の会議室に座って、三菱UFJ側が来るのを待っていた。
「三菱東京UFJ銀行のナカジマ・タカアキ(中島孝明・米州本部米州企画部長か?)が、6人ほどの同僚たちと一緒に到着した。取引完了のセレモニーがあると思って。
『あなたが来るとは知りませんでした』キンドラーは申し訳なさそうに、呆然としている日本人に言った。『そうと知っていれば、(CEOの)ジョン・マックを来させたのですが』
中島は封筒を開け、キンドラーに小切手を差し出した。そこには『モルガン・スタンレー宛90億ドル』とあった。キンドラーは小切手を両手に持ち、半ば信じられない気持ちで、これまで一個人が実際に手に触れたお金としては史上最高額となるはずのものをしっかりと握った。モルガン・スタンレーが救われたことをよく分かっていた。
同席した何人かの日本人は、小切手に記された目の玉が飛び出るほどの金額をうまく画面におさめようと、写真を撮り始めた」
カネを出してもらって急場をしのぎさえすればそれでいい、と割り切っているモルガン・スタンレー側と、世界を代表する金融機関へ出資できて喜んでいる三菱UFJ側の間に横たわる溝と温度差の大きさを象徴するシーンだ。
そもそも、書きぶりからして、モルガン・スタンレー側からの情報リークによって、筆者はこのシーンを描いていると思われるが、助けてもらった側が唯々諾々とこうした場面の詳細をジャーナリストに話すことからして、三菱UFJ側を軽視している証しだろう。
日本企業に対する根強い不信感
本書によれば、出資交渉は、日本のモルガン・スタンレー証券のジョナサン・キンドレッド社長が、モルガン・スタンレー本体のコルム・ケレハーCFOの携帯に電話をかけてきて、三菱UFJが出資に興味を示していると連絡してきたところから始まる。その場面では、官僚的な日本のビジネスマンに対するアメリカ人の偏見がよく描かれている。
「キンドレッドは、三菱はすぐに動く準備をしていると思うと言った。しかし、ケレハーは両眼をギョロギョロしながら信じられない思いだった。以前にも日本のいくつかの銀行と仕事をしたことがあり、その経験から分かったのは、対応が遅くてリスクを嫌い、とても官僚的だという評判を、日本の銀行はいつも裏切らないということだ。(中略)
ケレハーは『時間の無駄だ。三菱は何もしないに違いない』とあざけり笑うだけだった」
出資交渉が大詰めを迎え、モルガン・スタンレーのジョン・マックCEOが三菱UFJ側と電話での交渉に臨む準備をしている時に、ポールソン財務長官から電話がかかってきた場面では、財務長官自身も日本人に対する根強い不信感を持っていたことが分かる。
「ちょうどマックたちが詳細を詰めていた時、しかし、ポールソンから電話がきた。
『ジョン、何かやるべきだ』ポールソンは威厳をつけて言った。
『何かしろとはどういう意味だ?』マックは聞き返した。いらいらして声がうわずった。日本の銀行が取引に応じる意向であることが、たった今分かったことを説明した。
『あなたも支持してくれていたし、この線で行けると言ってくれましたよね』
『そうだが、しかし、だれか出資してくるところを探すべきだ』
『日本の銀行が応じてくれるんですよ。三菱がやってくれるんです』マックは繰り返した。ポールソンが最初から話を聞いていなかったかのように。
『おいおい、君も私も日本人のことを分かっている。日本人はそんなことはしない。そんなに早く、動くわけがない』ポールソンはそう言い、中国やJPモルガンとの取引の方に重きを置いた方がいいと、それとなく言った」
金融機関トップと政府高官のドタバタ劇
いよいよ、両社が電話でトップ会談をしている最中にも、再三にわたりマックのもとにポールソン財務長官らから電話が入ってくる。そのドタバタぶりにあ然とするとともに、さすがに交渉の重要な最終局だっただけに、財務長官の電話を後回しにして三菱UFJとの協議を続けるさまも興味深い。
「上の階では、マックが三菱UFJの畔柳信雄CEO、そして通訳と電話で会談中だった。同意書を確たるものにするために。
しかし、マックのアシスタントが割って入り、ささやいた。『(ニューヨーク連銀総裁の)ティム・ガイトナーから電話です。話があるそうです』
受話器を手で覆いながら、マックは答えた。『今は話せないと言ってくれ。こちらかかけ直す』
5分後には、ポールソンから電話が来た。『電話には出られない。今、日本の銀行と話しているところだ。終わったら、こちらかかけ直す』マックはアシスタントにそう言った。
2分後には、ガイトナーがまた電話してきた。マックのアシスタントはお手上げといった感じで言った。『話す必要があって、重要なことだと言っていますよ』」
本書ではモルガン・スタンレーと三菱UFJのケースだけではなく、アメリカの主だった金融機関の経営者たちと、ポールソン財務長官をはじめとする金融当局者たちが、危機の渦中でどのように動いたかを生き生きとした場面描写を通じて描き出す。
リーマン・ブラザーズが破綻して最初に迎えた最初の週末9月20日土曜日に、ガイトナー・ニューヨーク連銀総裁の主導により、さまざまな金融機関のM&A話が持ち上がっては消えていく様子は圧巻だ。ゴールドマン・サックスとシティグループ、ゴールドマンとワコビア、JPモルガン・チェースとモルガン・スタンレーなどの合併交渉が浮上しては不調に終わる。
本書はだれか特定の人や会社に焦点をあてるのではなく、すべての登場人物を危機の荒波に翻弄され戸惑う人間として描く。そして、危機を回避するための必死の取り組みが果たして本当に金融システムを救うためだったのか、経営者あるいは当局者としての自分たちの地位を救うためのものだったのか、という大きな問いを差し出す。
リーマン・ショックから1年以上がたち、ゴールドマン・サックスなどが早くも大きな収益を上げ、その社員が膨大な報酬を手にし始めるなか、政府の危機対応をいいことに利益を上げる金融機関への批判が高まっている。金融危機のときに一体、何が起き、そのときの対応は本当にアメリカ国民のためになされたのかどうか。こうした本質的な疑念を抱えた人々が本書を買い求めているのだろう。
(抜粋終了)
この本は是非読んでみようと思っています。この抜粋だけでも未曾有の金融危機を乗り越える過程の裏側ではどれだけのドタバタ劇があったのかが良く判ると思います。その他にも一時期米紙が消滅してしまった大手米国投資銀行の経営陣が危機の最中にどれだけ無責任な対応をしてきたかを特集していたのでああいう話もやがて本になるのではないかと思います。
今日の話の登場人物たちの問題は金銭感覚の違いではなくて、Horse sense (当然の良識)の欠如があるのではないか・・・・そんな印象を強く持っています。