2012年2月26日日曜日

Weight of the World.

自分がよく聴くアーチストにJosh Grobanと言う人がいます。(日本ではあまりメジャーではないと思いますが)

Don't give up it's just the weight of the world.....と言う出だしの歌もよく聴いているのですが、ちょっとそのweight of the world というものが重過ぎる時代になってきてしまったのかなと思っています。

欧米型の資本主義が暴走したかどうかは別として、あまりの合理や生産性の追求と言う価値観は今欧州で起きている事象を含む様々な歪みを齎している事は確かでしょう。

米国で小さな事業を営む友人は、毎年の決算でほぼトントンの業績ながら20人の従業員を雇用して来ました。自分のビジネスが自分の家族を含む21の世帯を支え、一世帯辺りの平均人数が4人とすれば84名もの人間がそこに依存している事を誇りに思っています。何十名もの子供たちが育ち、教育も受けている。自分の事業はそれを根幹から支えているのだと。

ある事情があって彼は金融業界にいた事もあるビジネスコンサルタントの助言を受け始めているのですが、毎年トントンで何も生み出していない彼の事業は社会貢献も不十分であり今のままでは存続意義が無いと言うような事を言われてしまったそうです。

「そんな戯言は無視すればいい」と私は彼に伝えたのですが、欲や向上心が成長に繋がるのは確かですが、もう少し価値観の多様性も受容していかないと皆が恒常的に何かに追いかけられながら必死に走っていると言うつまらない世の中になってしまうと感じます。

先日通勤に使う路線が朝から止まっていました。駅まで行ったら人が沢山いて数駅先で起きた人身事故のために私の路線は一部不通になっている事を知りました。
 私は短縮運転が始まっている数駅先まで歩く事にしました。一駅、二駅と通過しながら同じ立場の通勤客を横目に足を進めていきました。

やがて事故現場と思われる踏切に差し掛かると、そこは通行止めとなっていて数名の警官がいました。私はその中の一人と少し話をしました。

「事故はこの辺りだったのですか?」
「はい、奥の踏切です。電車の復旧は思ったより遅れています。電車の下から運び出すのが大変で・・」
「犠牲者が出ているのですか?」
「はい」

こんなやり取りでした。

数ブロック先の駅で、まもなく電車が動くと言うアナウンスが聞こえたので、私はその駅のホームに向かいました。
 数名の通勤客が、改札にいた駅員に詰め寄っていました。何故関係の無い近隣の踏切まで閉めたままにしているのか、状況説明が曖昧で不十分・・・・朝一番で予定の狂ってしまった事もあってか何名かの人達は非常に苛立っていました。

会社に着いてからも事故の事が気になって何度かニュースの検索などでも調べてみましたが、出てくるのは交通情報としての情報ばかりで被害者の事とか事故の詳細などは皆無でした。

人身事故で止まっていたXX線は既に復旧していると言う情報ばかりで、人命の事などは全くわからないのはとても不思議と言うか寂しい世の中だと感じる自分がいました。

世知辛い世の中であり、辛いご時世なのだけど・・・・何故か冒頭に書いたJoshの歌と小さな事業を営む友人の話が思い出されました。

神仏の慈愛と御加護が・・・・・皆に遍く注がれますように。心から祈らずにはいられません。