2007年12月31日月曜日

At this final moment of 2007.

日本では間もなく除夜の鐘が鳴り始める時間となりました。

おっと・・・失礼しました。どうやら始まっているようですね。

今紅白歌合戦で白組が勝ち、途中でチャンネルを換えて見た格闘技のイベントでは、7年振りに現役に復帰した舟木が桜庭に関節技で敗れ、ムサシやマサトは見事なKO勝ちを飾り、更に別番組のプロレスのイベントでは最早立派な芸人となった高田がハッスルして笑いを取っていました。

残念ながらいまだ社会全体、国全体にまでは勢いが波及していない気がしますが、これらの番組やイベント等を見ていると、日本も新しい世代によって多様な価値観が共存する足腰の強い文化の基礎が形成され始めているような気がします。
 まだまだ時間が掛かると思いますが、この流れが途絶えることの無いように我々が自分の出来ることで手を抜かないと言う姿勢を維持していきたいものです。

今年は私にとって大きな変化がありました。春には自分が、夏には家族を連れて海を渡りましたが殆ど同胞を説得して"約束の地"を目指した旧約聖書のモーゼのような気持ちでした。
 モーセがカナンに中々入れなかったように私が目指した"約束の地"もそう簡単に"よそ者"を受け入れれてくれる場所ではないことは直ぐにわかりました。当初はとにかく驚きと失望の繰り返しだったように思います。

イスラエルの民は結局カナン到着後40年経過してからやっとカナンに入ることが出来、モーセはそこに入ることなく他界してしまったのですが、私と家族は会社、地域、学校で少しずつ居場所を確保して何とか無事に2007年を終えるところまでこれました。
 一時は添い寝しながら子供が寝言で米国に帰りたいと言うのを聞いて暫く考え込んでしまった時もありましたが、先日「お父さんがまた米国に行くといったらどうする?」という質問に少し考えてから別れるのが辛い友達お名前を二人ほど教えてくれたり、冬休みもそんな友人たちと近所の川原で野球をやったりしている姿を見て安堵しています。

日本の新年は3日までお休みなのでとても嬉しいです。大晦日も休日になっていますが、私は午前1時頃に家を出て午前8時半まで夜勤(シドニー市場の当番)をしたので、これが仕事納めとなりました。

夜勤は、試験なら "night shift"と書くべきでしょうが、よく" graveyard shift "という言い方もします。
墓場番・・・・なんだか一発で覚えてしまう表現ですよね。

色々あった節目の年の仕事納めが墓場番というのも面白いですよね。

今年も本当に色々とありがとうございました。全ての皆様にとって2008年が健康で素晴らしい年になることを心から祈願申し上げます。一緒に頑張りましょう。挫けそうになった時、周囲が冷たいとか味方が居ないような気持ちになった時は絶対に思い出してください。私は心から応援していますよ。

Just remember that I am here right behind you.

Best wishes.

Robert Henry.

Seed for thought3 : Decoupling vs Recoupling.

Decoupling か Recoupling か・・・・ これも2008年を考える上で非常に重要なテーマです。
簡単に整理すると次のようになります。

Decouplingシナリオ・・・・ かつては米国が風邪を引くと世界がくしゃみをすると言われた位世界景気は米国経済に依存しており、特に日本のような輸出立国は輸入立国兼大量消費国である米国への依存度が高いと指摘されてきました。
 これに対して最近の中国、インド主導のアジア経済や欧州、英国の経済成長は独自の強みに基づくものであり、米国への依存度はかなり減少しているとの主張があり、この考えをベースに今後米国が失速、縮小、景気後退に転じても世界経済は米国を置き去りにした発展を維持出来ると考えるのがDecouplingの考え方です。基本的に米株、米ドルの下落や米国金利の下落を想定しています。

Recoulingシナリオ・・・・ 世界経済と米国経済のDecouplingは世間が望むほど進行しておらず、今後予想通り米国景気が失速し、リセッション入りと言う事態にでもなれば結局は世界経済全体が影響を受けて同じような道を辿るという考え方です。世界的な株安、金利低下がメインシナリオとなり米ドルには複数の可能性が混在します。

Decoupling/Recoupling という言葉を使うかどうかは別として主要な市場参加者の相場観は依然としてDecoupling陣営が優勢ですが、2007年度末にかけてRecoupling陣営も勢力を盛り返してきた感があり我々も2008年はどちらのテーマをメインシナリオにして動くかはとても重要な選択になります。

これは世界経済の根幹部分の議論としては従来からあった古くて新しいテーマですが、2008年度に答えが出そうだと言う意味では個人的にも大いに気にしています。

現時点では両論併記というのが無難なところでしょうか。私個人としては実はRecoupling陣営に軸足を置いて市場を見つめていると言う段階です。

2008年はこのテーマもじっくり考えていきましょう。

2007年12月30日日曜日

Seed for thought2 : Volatility

Volatility という言葉ほど色々な意味がごちゃ混ぜになって使用されている言葉もあまり無いのかもしれません。実際に色々な概念が全てこのVolatilityという言葉で表現されるので受け手のほうで判断する必要があります。

オプション市場で建値されるImplied Volatilityは将来の予想変動, 既に実現している過去の値動きの大きさを数値化したものが Realised Volatility, Historical Volatilityと言われるものです。
 当然ですが過去の値動きは歴史であって書き換えることは出来ませんので計算間違いをしない限りにおいて同じ答えが出るわけですが、将来を予想するImplied Volatilityは予想の数だけ違う水準がある筈で、市場に出ている他人の予想が甘いと思えばオプションを買い、大きな変動を予想しすぎていると思えばオプションを売るという行為が日々行われています。これはプットやコールという上がるか下がるかの方向(Direction)の勝負ではなく、どのくらい変動するかと言う予想Volatility の水準を取引するものでVolatilityトレード等といわれますが銀行のオプションデスクや世間のデリバティブハウスなどはこうして顧客向けにオプションの値付けをしながら他人の作るプライスを値踏みしては叩き合っているわけです。

ところで・・・・これらの数値の最大の欠点は、Volatilityという名前であるにも関わらずそれらが市場がどのくらいVolatileかという状態を必ずしも表していないと言うことです。
 例えば、毎日市場が上下に値幅を拡大しながら乱高下を繰り返しながらも終値だけは同水準で推移したとすればHistorical Volatilityはどんどん低下しますし、Implied Volatilityも現状維持がいいところでしょう。或いは短期ゾーンが上昇して長期ゾーンは下落すると言う痛み分けとなる可能性も高いです。

以上のことはオプションをある程度以上専門にやっている人達には常識でも金融市場参加者一般には認知されていない事実です。例えば実際にドル円が円安ドル高方向に3円位足早に上昇したとしてもオプション市場のVolatilityは上昇しませんが、市場参加者の過半数はVolatilityが上がっていると錯覚します。実際にはSmileカーブという非対称性の呪縛によりオプション市場のImplied Volatilityは、円高ドル安方向に1円動いた方が円安ドル高方向に3円動いた時よりも断然上昇するのですが、ここでは深入りせずに再度Volalityは市場のVolatile度合いを表していないと言う事実を強調しておきます。

そこで一部のCTAやファンド勢が「そんなの関係ね~」というノリで重要視しているのが、ATRと言うものです。これは当初は"Average Trading Range"の事だった筈ですが、最近では"Average True Range" という表記も目にするようになりました。Volatilityよりも真実を表していると言う含みでもあるのでしょうか。
 これは基本的には日々の値幅(最高値ー最安値)を記録して直近の一定期間分の平均値幅を計算したものです。期間設定や平均の種類(単純平均か直近データにウェイトを付けるかなど)で流派がありますがこちらのデータを重視する勢力も増えてきていることは間違いありません。

そして・・・このデータを見ると明らかな傾向として8月以降はATRが上昇傾向を維持しており、水準も年度前半比ほぼ倍増している事が分かるのですが、これはVolatilityの推移からは読み取れないトレンドであるといえます。
2007年度は金融市場の振幅幅の拡大傾向を維持しながら2008年度にバトンを渡そうとしているのです。

我々が乗り出そうとしている海は結構波が高く流れも速いようですね。

2007年12月29日土曜日

制御不能なリスクの増大 : Has her destiny run its course?

何年も前にドイツがパキスタンへの技術支援でデリバティブ取引の基礎を伝授する事にしてセミナーを開きました。オプション取引に焦点を当てた非常に重要なプロジェクトでしたので、双方の国家元首自らが音頭を取って積極的な参加を呼びかけていました。以上、まさにコールとブットのお話でした。

今後はこんなくだらない駄洒落は、あまりにも不謹慎で使えなくなってしまいました。

パキスタンの反政府民主運動のシンボル的な存在であったブット元首相が自爆テロにより暗殺されてしまいました。情報が交錯していますが、現時点ではアルカイーダの関与も濃厚と言う事らしく、いずれにしてもイスラム過激派の犯行と思われますが、ムシャラフ政権もそのようなリスクを承知で十分な警備を敷かずに事実上彼女を見殺しにした可能性が高いという事のようです。

パキスタン辺境地には事実上の無法治地帯があり、アルカイーダなどの活動拠点になっているという指摘がありますが、一応は米国の同胞として彼らと対立関係にあるムシャラフ現政権と民主化を求める反政府対立勢力とこのイスラム過激派は利害と言う意味で複雑な三角関係にあったようです。イスラム過激派としてもかの国が民主化の道を歩んでインドのような経済成長でも始めてしまう事は大きなリスクだったということかもしれません。

多くのメディアが今後の展開について潜在的なリスクの大きさを指摘する専門家の意見を伝えていますが、辺境地にテロ組織の巣食うパキスタンが核保有国である事、国境を接する同じく核保有国のインドと根深い対立関係にある事などを考えれば全く正しい指摘だと思います。
 胡散臭いと思いながらもムシャラフ政権を米国が支援し続けている背景もかの国周辺にまさに世界平和や人類の存亡そのものを危機に晒しかねないくらいの脆弱性があることを認識しているからなのでしょう。

この国周辺がおかしくなるようだと中国と共に世界経済を牽引するインド経済への投資も鈍る可能性がありますし、世界経済、そもそも世界平和に対する影響は大でしょう。

オプションのプットがダウンサイドリスクをヘッジするものであるように、ブット女史暗殺後の世界のダウンサイドリスクは増大していると言えましょう。

世の中は我々が思う(望む)ほどには平和では無いということも重要なポイントになりそうですね。

それにしてもブット女史は、何故こうなるリスクを承知で帰国したのか・・・・かつてほぼ確実に暗殺されると言われながらフィリピンに戻ったアキノ氏などとも共通する何かがあるような気がします。
 志し半ばで亡命生活という隠遁状態にあった人間が不名誉な安定よりも名誉ある終結を求めると言うのは真田信繁(幸村)あたりにも通じるのですが、運命というものにも思いを馳せてしまうような悲劇だったと思っています。

Her destiny may have run its course.  彼女は運命を全うし、前向きな動きが続いていくものと信じたいものです。

2007年12月27日木曜日

Seed for thought 1 : Liquidity.

所与の材料の多くから判断して2008年はとても重要な年となりそうだと確信していますが、複雑に絡み合うグローバルな金融市場の中で各市場がどのように振舞い、影響し合うかを予想することはとても楽しく、且つ困難な作業だと言えるでしょう。

Lighthouseとしては、自分なりに頭の中を整理する作業にあわせて2008年度を展望したいくつかの着眼点から世の中に光を当ててみようと思います。今回は手始めにLiquidity, 流動性というものを考えてみたいと思います。

年度末越えの資金繰り需要とそれに対応する中央銀行の資金供給というのは12月相場の大きな注目材料の一つでした。8月以降クレジット問題に大きく揺さぶられた米国、欧州、英国など主要経済圏では中銀等金融当局が細心の注意を払って潤沢な資金供給を断行して円滑な年越えを演出しています。

日本では文字通りの年度超え(12月→1月)と会計年度越え(3月→4月)という二重構造があり、不便なだけだと思ったこともありますが資金繰り圧力のイベントリスクの分散という意味では中々味のあるシステムなのではないかと再評価してしまいました。

ところで、この年末越えの資金供給の仕組みと規模ですが、諸般の事情から上記の通り殆どの主要経済圏において供給規模が大幅に拡大される一方で、米ドルについてのみ特別な国際協調による流動性供給スキームが発表されて市場を騒がせました。

 具体的には12月12日に米国、欧州、スイス、英国、カナダの五カ国による緊急声明で短期資金の入札方式による大量供給スキームが発表されましたがそのうちの米国、欧州、スイスは自国通貨に加えて米ドルを供給すると言う内容だったのです。

 米国が400億ドル、欧州が200億ドル×2回、スイスが40億ドル(欧州とスイスは米国からドル調達)、英国が113.5億ポンド、カナダが30億カナダドルという凄い規模でしたが、世界中の経済活動における年度越え資金需要の規模的な大きさと同時に米国外での米ドル需要という物を再認識させられた人々も多かったようです。
 実際に12月の為替相場は、大方の予想に反して米ドルが上昇する展開が目立ってきましたが上記のような特別な米ドル供給スキームが無ければより大規模な為替市場での米ドル調達(米ドル上昇)と年度越え先物市場での出し圧力から市場が歪み(フォワードが左にずれて)金利が上昇するという混乱が続いていた事は間違いないでしょう。

白状すれば私自身もその一人なのですが、米国にいた時に何度も聞いていながら半信半疑だった大手マクロファンドの長老による"米国経済が減速する時はドル高"という指摘を思い出しました。

最後の部分は別稿で考察したいと思いますが、2008年もクレジット危機の動向が大きな材料となる事が確実な中で、Liquidity, 流動性と言う切り口からも様々なシナリオが描ける事が分かります。

市場動向はまさに流動的なのです。

2007年12月26日水曜日

Post X'mas Brain Workout.

クリスマス相場の中で、要するにヒマだったのでしょう。もともと仕事とは直接関係の無いコールやメールも飛び交うのがこの時期の特徴でもあり、クリスマスや年末の挨拶が多いのですが、中にはクイズのようなものを送りあったりする事もあります。今年は次のような"命題"を送ってきたファンドがありました。

決して秀作とは思いませんが、ちょっと考えてみてください。

Imagine that you are stuck (naked) alone in a room with 5 feet thick concrete/steel walls, reinforced floor and ceiling with NO door and NO windows.
 
There is nothing in the room.

So how do you get out of this situation in a snap, even though you are no James Bond.

私は、30分考えても駄目だったので職場の同僚達をも巻き込んで必死に考えました。色々な仮説が出ましたが、全て不正解。一時間以上経過したところで、"答えは一行目にある"と言われて遂に正解に辿り付く事が出来ました。

Imagine をやめればよい : それが答えでした。

"決して秀作とは思わない"と書いたとおり、喜びというよりは何だか時間を無駄にしたような脱力感すら感じたのですが、どうせならもう少しひねりが欲しかったと思いませんか?

・これでは目からうろこが落ちる代わりに、鼻から鼻くそが落ちるだけだ。
・Imagine をやめるなんて、John Lennon が激怒するぞ。

そう抗議(?)したところ、彼は笑って、申し訳なさそうに色々教えてくれましたが、その内容が共感出来る物でしたので私もこの決して秀作とは思えない命題をここに転記する事にしたのです。

・この命題は、年齢層が上がるほど正解率が下がる。
・"Imagine をやめる"という回答は子供達からはよく出てくるが、大人からは殆ど出ない。
・Naked とか、窓やドアが無いというNOを大文字にしたのは読み手の注意をそらすための小技。

と彼は教えてくれました。

人間は成長するほどに世の中が複雑である事を理解して受け入れていく訳ですが、一方で問題解決の姿勢の中で最も単純な可能性を最初から切り捨ててしまったり、"そもそも論"を置き去りにして細部の技術論に走ってしまう傾向を強めてしまうと言う事なのでしょう。
 面白かったのは、我々が知恵を絞った一時間以上の間に、まさに注文どおりにNaked である事に意味があるのではないかとか、NOを強調しているのは気になるが、これはドアや窓という物が無いわけでそれらがあるべき場所に穴が開いているということではないかという珍説が出たましたし、私などは5feetというのは5本足という状態で、どうせImagineの世界なので自分も人間ではないのではないかなどと考えていました。(笑)

実は丁度最近子供が学校から持ち帰る試験の問題などを見ても感じていた事があります。本来理解しておくべき事項の理解度を素直に問うと言うよりも、色々複雑な前提条件(ノイズ)を与えて混乱させるような設問が少なくないように感じているのです。うちの子供の場合は設問の日本語に困惑していたというケースも多く見られるのです。今更"お受験"などは考えていないので帰国子女が英語力を維持する塾にのみ行かせているのですが(あ、これはまだ書いていませんでしたね。今度書きましょう)、そこの宿題をやっている時の方が随分明るいようなのでちょっと考えさせられています。

話を戻しますが、我々は知識面でも技術面でも色々な事を知りすぎているが故に、時として最も基本的な部分をSKIPしてしまう傾向があるのかもしれません。
 長年金融市場に参加していると、情報ソースも増え、やがて多くの知識や着眼点を手に入れることが出来る一方で、最初に感じる直感、フィーリングなどは一旦SKIPしてしまう傾向も強まってしまうのではないかとも感じる事があります。

恐らく同様のジレンマを感じたのでしょう。この直感力の衰えを防ぐためかある後輩は少し前から情報交換先や情報ソースの整理に動き始めたようです。
 市場でリスクを取ると言う事はとても危険であり、怖いことです。少しでも勝率を増やすために少しでも多くの情報が欲しい、少しでも安心したいし、少しでも自分の戦略の裏付けを増やしたいが為にひたすら情報交換先や情報チャネルの拡大・充実に努めてきた人間がある時点でその弊害にもぶつかり、熟慮の末にバランスを取り始めると言うのは不思議ですね。

これは、人類の幸福、進歩の為に産業育成・推進に従事してきた人類が、地球温暖化や格差の発生・拡大という弊害を認識して少しバランスを取ろうとし始めているという現象にも通じるものがあるのかもしれません。

Think globally, act locally. と言う言葉がありますが、今日の脈絡では、Think like an old professor,act like a young kid. という感じでしょうかね。

原点回帰的なレビュー。 年末年始はそれのよい機会かもしれません。

2007年12月25日火曜日

Christmas in Japan

そういえばそうだった・・・と言う気もしますが、日本のクリスマスはチキンを食べる習慣が根付いているのですね。実は記憶が衰えているだけかもしれませんが、米国ではあまりクリスマスにチキンを食べていたという明確な記憶が無いのですが、一応キリスト教のイベントだからでしょうか。Thanksgivingでは皆が七面鳥を食べますが、あれは宗教色の無いイベントですからね。

と言う事で地元のスーパー等にもやたらとローストチキンなどが並ぶのですが、私はKFC(ケンタッキーフライドチキン)をBarrelで買って来ようと思い運び役に子供たちを引き連れてわざわざ電車に乗って最寄のKFCまで行ってきました。(余談ですが、日本にはやたらとKFCがあるという気がします)

ところが・・・行ってびっくり玉手箱。

入り口にお兄さんが立っていて、「チキンのご注文は3時間半程お待ち頂く事になります」 とのこと。
凄い人気だ・・・・大したものだ・・・・と驚いた私は、「商売繁盛で何よりですね」と言って諦めて帰ろうとしたのですが、お兄さんの「これらのチキン以外の商品ならばお待ち頂かなくて大丈夫なのですが・・」
という言葉に振り返ると、彼がメニュー上で指し示していたのは全てチキンでした。

大いに困惑した私がよくよく聞いてみると、正確にはKFCの”オリジナルチキン”なるものが大人気で3時間半待ち状態(恐らくクリスマス限定の商品?)、それ以外の通常メニューは待たなくて大丈夫と言う意味だった事が判明しました。

私にとっては通常のちょっとスパイシーなKFCのチキンで充分だったので、そのまま受付カウンターに向かいましたがこれがまた凄い人・・・・3つか4つほどある注文窓口の1つを"チキン専門"としてそれ以外を"チキン以外"として店員さんたちが忙しく対応していました。

私は、KFC の常連客ではないのでメニューには詳しくありませんので、混雑の中で不要なリスクは取れないと思い愚直にチキン専門のカウンターで順番待ちをしましたが、自分の番が来て分かった事は私が買い求めたローストチキン、チキンナゲット、スパイシーチキンのセットは、"チキン以外"という空いていた窓口でよかったと言う事でした。

KFCは立派な企業ですので、例年のクリスマス時期の注文履歴や来店客数データなどから相応の準備と対応を打ち合わせているのだと思いますが、どうやらボキャボラリーの選択を誤っていたのではないでしょうか。
 容易に察しが付く事ですが、彼らが仲間内で"チキン"と言えば、それは彼らの"オリジナルチキン"を意味するのでしょう。これが大ヒット商品となったことは天晴れなおめでたい事ですが、内部の打ち合わせの延長線上で顧客に対しても”チキン"、"チキン以外”等といわれては理解出来ない人が殆どでしょう。

そもそもKFCのメニューの中にチキン以外のものがどれだけあるのか私は知りませんが、店員さんの説明を文字通り受け取って彼らの通常メニューをも購入せずに諦めて帰ってしまった潜在顧客も相当数いたのではないかと思うと極めて勿体無い話です。

でも、久しぶりのKFCチキンはとても美味しかったですよ。実は2バレル購入したので今晩も活躍しそうです。

そう言えば、欧米ではFamily eventであるクリスマスが若い恋人達のイベントという色彩が強い事やクリスマス当日よりもクリスマス・イブのほうが盛り上がると言うのも日本の特徴だそうで、先日ある番組で前者に対してはユーミンや山下達郎の歌などがきっかけだったのではないかと言う分析が行われていました。

バレンタインズデーに女性が男性にチョコレートを送ると言うのも日本独自のものですが、外部から柔軟に色々なものを取り込んで独自色を加えると言う日本の得意芸はこういうところにも生きているのかもしれませんね。

独自色と言っても・・・チキンの話は、もう少しキチンとして欲しいという気はしますけどね。

2007年12月24日月曜日

Will zodiac effect make 2008 a year of realignment?

まだ終了してはいませんが、今年は夏場まで続いた世界中の資産価格上昇の動きに対して8月に米国のサブプライム問題の表面化で急ブレーキが掛かると言う展開となりました。

世界をリードする繁栄を謳歌し続けてきた米国景気、金融革新の中心地であり続けたWall Street、多くの邦銀や世界中の金融機関がビジネスモデルのお手本とした米国投資銀行に対して大きな疑問符が付けられる結果となりましたが、面白い事に程度の差こそあれ世界中で同様の現象が起きていることが分かります。

豪州、英国、スペインなどで住宅価格のバブルが弾けた事や、欧州の金融機関が米系金融機関と同様の問題を内包していた事、景気にしても英国中銀、カナダ中銀が米国に追随して利下げに踏み切り、日銀も利下げを見送り続けている事・・・・・これらは依然として米国の影響力が大きいという事実を起点とした因果関係で説明出来るのですが、私が面白いと感じるのはこのような因果関係が不明な領域でも同様の現象が拡大しているように見える事です。

China Miracleと言う言葉で歴史に残る事が確実な経済拡大を続ける中国における知的所有権を無視した贋物の横行、それに毒野菜問題や禁止材料、禁止薬物を使用した台所用品等の氾濫や海外輸出の実態は、モラルやコンプライアンスを置き去りにした経済成長の実態とそれに追いつかない管理者としての行政システムの整備遅延と言う問題を浮かび上がらせています。

日本でも鶏肉や豚肉を牛肉として売る業者がいたり、製品の成分表示を隠したり、偽ったりする業者の摘発が相次ぎ、食品業界でも製造年月日、賞味期限などをちょろまかしていた業者が続出し、特に老舗や名門と言われる複数の業者が長年消費者を騙していた事が明るみに出た事は多くの国民に衝撃を与えました。高級料亭なんて元々縁がありませんが、我々もよく行くような複数の大手居酒屋チェーンでも赤身の肉に油を注入したものを"霜降り"として客に食わしていたと言う話もありましたね・・・・
 以前人工イクラというのがありましたが、あれを本物として売っていたようなものですね・・・

干支、十二支(Zodiac)が一巡して来年が鼠年のようですが、一巡して最初に戻った時には、真実が明るみに出るという Zodiac Jinx があったはずです。

2008年も色々なものが出てきて、最後は収まるべきところに収まると言う展開になるような気がします。

A year of realignmnet.   そんなテーマを意識しながら来年を展望していきましょう。

2007年12月23日日曜日

Here comes another one : Weekend surprise continues.

クリスマス前の週も基本的に株式市場は堅調で、米ドルも上昇基調を維持して終了しました。

年度末のドル需要は大したもので、ドル円で見れば114円台を回復して終了していますが、個人的にはこれに一番驚きました。
 12月前半は、年度末に向けたリスク量やポジションの調整作業をベースとしたLiquidation, Repatriationの動きが市場を動かしてきましたが、中盤以降は年度超えの資金繰り需要という要素が前面に出てきており、ますます動きが読み難くなってきました。(そもそも簡単な時など無いのですが・・)

トップダウンかボトムアップかという話は、よく組織内の意思決定について使われる言葉ですが、資産運用の世界でも重要な概念であり、特に運用資金をどの資産にどういう比率で配分するか、世界中のどの地域にどういう比率で配分するか等を決めるAsset Allocationの方針決定でも重要な概念です。
 最初に大枠の配分比率を決めて個別銘柄の選択は最後に決まると言うのがトップダウンで、反対がボトムアップと言うことになりますが、演繹法か帰納法か、アクティブ運用かパッシブ運用かという議論にも通じる深いテーマです。

実はこのアセット・アロケーションですが、資産バブルと言われ続けた市場環境の中で少しでも高い運用実績を追求するべく今年は多くのファンドがCashへの配分比率を極端に落として世界中のペーパーアセット(株、債券、商品先物、クレジット等仕組み債、ETC)に投資していました。米国のMutual Fundのデータで見れば、ポートフォリオ内のCash比率は2%程度しかなかった事がわかりますが、年末の配分比率の調整の中で世界中のAssetが売られて米国に資金が還流する動きが出ていたことも今月の日本株を含む株式市場のスランプと米ドルの意外な復権の流れの一端を説明する動きだったと思われます。 年度末にはMutual FundのCash比率は数倍になっていることでしょう。

さて、これまでの経験からも間違いないのですが、特に欧米人は市場にどんな大きな材料があろうともクリスマスの時期だけはしっかり休みますので年度最終週となる来週は非常に閑散な状況になると思います。ここで流動性の枯渇を狙って市場を動かそうとする人々も出てくるとは思いますが、そういう動きとは距離を置いて適当にあしらうのがベストではないでしょうか。

金曜日に後輩が送ってくれた飾り(?)が気に入ったので皆様にもお送りしましょう。

From the very bottom of my heart, I wish you all great holiday season.God bless us all.
*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*
        ♪☆☆Merry Christmas☆☆♪
*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*

Your Friend.
Robert Henry

2007年12月17日月曜日

In For More Weekend Surprises?

All is well that ends well.

終わりよければ全てよしと言いますが、各金融市場が今年はどのような終わり方をすることやら・・・・そんな気になる今日この頃ですね。

個人的にも親交のある有名なチャート分析の大家から"末の需給"と言うものを軽視してはいけないと教わったのはもう10年以上前のことになりますが、我々が報告書を作成したり、学生時代には宿題等を仕上げなければいけなかった時と同じように特に実需筋の市場参加者、或いは投資家達にとって資金を出し入れするタイミングには期日や期限があります。

本邦勢の場合は輸出入の実需にしても投資勘定にしても所謂"ごとう日"という5日,10日、15日・・・・という5の倍数にあたる日に如実に活発なフローが出る訳ですが、全世界的な基準で見れば圧倒的に週末,月末,四半期末,年度末と言ったところに注目をする必要があります。

例えば、モデル系のファンドなどでも人間の相場観が入る余地が無いのかというとそうでもなくて、業界の人なら誰でも知っているファンドの例で言えば、モデルが出した方針をいつどのレベルで実行するかはトレーダーの相場観に任されたりしているケースもあります。そうしないと人間が考えなくなるし、そういう運用で腕を磨いたトレーダーの相場観に執行を任せることでアルファが稼げるとファンドのCEOが信じているからと言うことなのですがこのような職人志向は残っていって欲しいと個人的には思っています。

話を戻しますが、毎日のNYクローズというのは、その日のうちに売り買いしなくてはならない需給が全て消化されて均衡した水準であり、金曜日のそれは週の需給、月末のそれは月の需給が均衡した水準と言うことで重要な意味を持ちます。

最近の相場を見ていると、「週末の驚き」というのがパターン化しつつあるようです。株式,債券,コモディティ,為替と週の半ばまでの展開からは想像しにくかったような方向に動いてみたり、水準的にもまさかここまで来るとは思わなかったと言うような水準で週の取引を終えていることも少なくありません。

ドル円を例にとっても先週の終値が113円台でした。金曜日に忘年会で酔ってしまい、どうせあまり動かないだろうと思って細かく相場を見ていなかったのですが、土曜日の朝に数字を見て驚いてしまいました。勿論インフレ指標が強く、FRBの追加利下げへの期待が後退したという材料はあったにせよ、やはり季節的にもLiquidationやRepatriationという予測不能なフローが中心になる12月の金曜日であったという事実は見逃せないし、先週にドルが多くの主要通貨やコモディティに対して高値引けしたと言う事実は軽視するべきではないでしょう。

今週は、俄然重要性を増している中東勢がラマダンに次ぐ規模と言うイスラムのお祭りでお休みになるのですが流動性の悪化と言う意味も含めて相応の注意を継続するべきでしょう。特に週末の動きにはまた注意したいところですね。

少し身軽というか、機動的に動ける体制で臨むべき週ではないでしょうか。アルファがアジャパにならないように。

2007年12月9日日曜日

From Good to Great and finally....Legacy.

私は格闘技ファンなのですが、Boxingをコアに何でも見ます。

今や総合格闘技の分野で世界をリードすると言っても過言ではない日本ですが、この週末はK-1の放映もあり画面に釘付けになってしまいました。

米国生まれの総合格闘技、UFC(Ultimate Fight Chanpionship)は、ブラジリアン柔術を世界に知らしめる等の功績もあるものの、特に初期の頃にはやや刹那的な殺伐とした大会も多く、一時全てのケーブルチャネルが報道を中止すると言う時期もありました。一方日本生まれのK-1は、ベースとなっている空手の文化が根付いておりUFCとの比較において多分に武道的な美しさがあると思うのですが如何でしょうか。実は立ち技、打撃技が基本であって寝技、締め技、関節技などが無いからだけかもしれませんが。

さて、実は個人的にこの週末それ以上に注目していたのがラスベガスで行われた世界ウェルター級タイトルマッチ、Floyd Mayweather Jr. 対 Rickey Hatton という米英の無敗王者同士の対決でした。
 Mayweatherは間違いなくAmerican Boxingの最高傑作で、今までに多くのスター選手の栄枯盛衰を見てきましたが、この選手だけは頂点に君臨し続けています。一方のHattonは、英国の若き猛牛というイメージだったのですがオーストラリアのロシア人王者Kostya Zyu選手を文字通り力で粉砕して世界の超一流に駆け上がった選手でした。

ここで試合解説をしても仕方が無いのですが、結果はMayweather選手が10回にHatton選手を2度倒してのTKO勝利を収めました。試合内容は予想通りHatton選手が圧力を掛けて前に出て手数でも勝者を上回ったのですがスピードと正確性で上回ったMayweather選手が確実にポイントを重ね、10回には勝負を掛けて見事に決着をつけたという展開でした。

最近の若い世代には随分と変化も見られますが、かつての日本選手には有力選手同士の対戦を避ける傾向があったと思います。それに対して海外の選手たちの絶えず上を目指すような姿勢は最初は物凄く新鮮でした。

Good である事を目指し、GoodになれたらGreatを目指す。Greatの領域に到達しても守りに入らずに自分のLegacyを高めるために最後まで強敵とのBig Matchを追い求め続ける。それはあたかも武芸者、求道者のような世界があると言う気がします。

Mayweatherにしても、あのDeLahoyaにしてもこの辺りの貪欲さは目を見張るものがあり、我々も見習わなければならないと思っています。

He is good but not great. 相手は素晴らしい選手だけど勝てない相手ではないと言う時によくそんな表現が使われますが、勝負の世界におけるGoodとGreatの差は大きく、更に引退後も語り継がれるようなLegacyが残せるような選手はほんの一握りです。

MayweatherもHattonもまさに天晴れな武芸者だったと思います。このGoodからGreat,そしてLegacyへという上昇志向は素晴らしいですね。

Good と Great には名詞形にしてこういう対比もあります。

Goodness is not tied to greatness, but greatness to goodness.

偉い人が人格者であるとは限らないが、人格者は偉くなるものだ。

う~ん・・・・・どうですか? ノーコメント? まともな人事制度なら・・・と言うところでしょうか。

Indonesia : A land of widening disparity.

 
この国が最初だったら私のアジアへの印象はどれだけ悪かった事でしょう。

ここで頑張る同僚達を初めとして多くの素晴らしい人々に出会いましたが、はっきりとそうではない人達がいたことが全体としてこの国の印象を押し下げてしまった感じがします。勿論この辺りは私の勝手な主観であり、私の体験などは国や民族を一般化して語るほどのサンプルには到底なりえない事は確かなのですが。

ただ、同国の当局者や為政者には100%の善意を持って心の底から助言したいのですが、空港は国の玄関だと思うのでスタッフの教育はまじめに考え直した方がいいのではないかと思いました。

マレーシアからインドネシアに移動したのですが、マレーシア航空の座席もスチュワーデスもJALのそれとは比較にならない素晴らしさでした。唯一の問題はスチュワーデスのやや長めのスカートに入ったスリットの悩ましさで、お陰で私は仮眠を取り損ないました。

やはりミニスカートなどよりも長めのスカートにスリットを入れた方がよほど悩ましい訳で、これはビジネスの交渉事などでも充分に参考にするべきでしょう。やはり足はスリット、ご飯はリゾットです。

仮眠を取り損ねた私が降り立ったのは、ジャカルタのスハルト空港でした。

数日の滞在でもこの国はVISAが必要であり、空港で確か10米ドルで購入する形式になっています。

先ずは窓口でVISAを購入し、直ぐ横にある別の窓口に行ってVISAの領収書をパスポートに添えて提出するとパスポートにスタンプが押してもらえると言う仕組みでした。

先ずは、最初の窓口で日本円でも大丈夫と言う担当者に一万円札を渡して領収書とお釣りを貰いましたが、後でよく勘定すると全くひどい換算レートだったことが分かりました。イノドネシアルピー(IDR)のレベル感など全くなかったのでその時には全く分からなかったのですが、後からそれをネタにして大笑いしているので、これが本当の"後の祭り"と言う感じでしょうか。

ひどかったのは、直ぐ横のVISAの発行担当者でした。私がパスポートと領収書を提示しても全く動く気配が無く、私が丁寧に、「これがパスポートでこれが領収書です。VISAのスタンプを下さい」と言っても人を馬鹿にしたように見上げるばかり・・・・やっと口を開いたと思ったら・・・・・・

VISA係  ”You do not have anything for me?”
私     " What else do you need please?"
VISA係 " I need OMIYAGE"
私 " ????"
VISA係 "No MIYAGE? No OMIYAGE for me?"

一瞬頭の中で、”幾らくらい渡すのが相場なんだろう・・・”と思った私でしたが、直ぐに気を取り直して睨み付ける様にして " I have no idea what you are talking about" とだけ言って黙っていたら、3分後くらいに彼はVISAスタンプを投げるようにしてよこしたままそれ以後は目線も合わせませんでした。

もう一度言いたい・・・飛行場は国の玄関だとすれば、国としてよく考えた方がいいと思います。 後で知り合った人々に確認すると、私の対応で問題はないということでした。また、上位者を呼べと言って脅したらどうだっただろうかと言う質問に対しては、恐らく上位者からも"みやげ”を要求されるだけだから意味はないとのことでした。

閑話休題

未開発なれど相当な資源があると言う事で幾分先行投資的な外国資本が流入していると言うのが現状ではないかと言う気もしますが、金融当局はしっかりと機能しており、現地の新聞を読むとスハルト政権時代の汚職が次々と裁断されている様子なので、政治的にも金融的にも近代化への道を着実に歩んでいる事が分かります。

公的、民間双方の金融機関を回ってみましたが、ここでも恐らくは留学経験があると思われる若い世代が組織を牽引している感じで、欧米人並みの英語を話す人が多くて驚きました。明らかに"教えてやる"と言う態度の上から物を言う感じの人もいましたが、概ね柔軟な人達と言う感じでした。

格差・・・という日本でも流行(?)の言葉が適切かどうかは分かりませんが、貧富、教育水準等あらゆる切り口で分布の広い国ではないかと思います。

交通量を制限するために、市街には車に3名以上乗っていないと入れて貰えませんが、チェックポイントの近くに来ると員数合わせの人達がいて、乗車人数が足りない車は彼らを乗せて市街地に入ります。私を乗せた車も、そんな人を乗せて移動しましたが途中で少額のお金を渡して降ろしてしまうで2度驚きました。彼らはどうやって帰るのか・・・・・運転手と彼の会話は現地語で分からないし、運転手は私の " Is he ok? " という英語を理解しませんでした。

ジャカルタの交通事情はマンハッタンより怖いです。イメージとしては歩道でも車が走りそうだと言うくらいで、ここで車を運転するのは相当危険だと思いました。イェローキャブの運転手ですら躊躇するのではないかと思います。ルールも秩序も無いのか・・・・私は何度も信じられない思いがすると共に事故に遭わなかったのが不思議な気持ちにすらなりました。

ところが・・・・最終日にホテルで朝食を取りながら市街を見下ろすと、全体としては整然とした動きのように見える事に驚きました。
 部分で見ると、全くの無秩序のように見えて、全体としては一応の流れが維持されている・・・・・・・もしかしたらそれは、今のインドネシアそのものなのではないか・・・・ふと私はそんな思いに駆られました。

同国はかつて3年程日本による統治下にありましたが、一部高齢者を除けば特に若い世代の対日感情は概ね良好だそうです。それまで350年同国を統治したオランダに比べれば非常に短期間であったこと、日本がそのオランダを駆逐したという印象もないではないという事のようです。

ここの経済も市場も気候同様に当分は熱気を保つと思われますが、上述のとおり全体が動いている中での部分の無秩序さは、不思議な躍動感にもつながっているような気がしてきました。

部分部分の微細な秩序を完璧に積み重ねて全体の流れを保とうと言う今の日本のコンプライアンス主義は、この躍動感を殺しているのではないか・・・・・そんな危惧が頭をよぎりました。

殺すべくは躍動感ではなくて不埒な空港職員だと、声を大にしていいたいのですけどね。

2007年12月8日土曜日

Kuala Lumpur : E-BusinessのHUB? 

春にはインドが第一候補だったのですが、私の初めてのアジア訪問は、結局マレーシアでした。諸事情あって時期も冬になってしまいましたが、この国の印象がとてもよかった事は結果的にとても幸運でした。それまで圧倒的に欧米に傾いていた私の視線をアジアにも向けてくれたのはこの国の美しさと善良且つ知性豊かな人々のお陰でしょう。

米国で働き始めた時にマレーシア出身の女性が同僚だった事もあって元々親近感はあったのですが、飛行場も非常にクリーンで入国手続きも流れるように進み、ホテルまで使用したタクシー運転手も親切に街の説明をしてくれた上に、宿泊したのが東京では絶対に泊まれる訳も無いMandarin Orientalと言う事で滑り出しから好調そのものでした。
 東京の同ホテルは、春先のイベント会場として使用した事がありますが、確か宿泊は安い部屋でも一泊5万円は下らないのではないでしょうか。それが当地では高級感はほぼ遜色ないのに日本円換算で1万5千円程。当然ですがホテルのスタッフも非常に親切で、英語が通じると言う安心感もあって私はこれだけで来た甲斐があったという気になっていました。

ビジネス面では、代表的な機関投資家を回りましたが、第一印象としては権限を持って組織を動かしている人々が若い世代で、非常に柔軟な考え方をしていると言うことに驚きました。

マレーシアは、イスラム教が強い国で、金融街の中にもモスクがあり、会社でも昼には多くのスタッフが礼拝のために職場から消えてしまいます。
 2001年のSeptember 11 以降は、米国から多くのイスラム系のファンドなどが同国に本拠地を移動したとの話も聞きましたが、私の印象では、この国の金融、経済活動には二つの潮流が出来上がっており、双方が車の両輪のように機能しているのではないかと思いました。

一つ目の潮流はまさにイスラム金融です。もともとイスラム教が強い国である上に、イスラム系ファンドが米国などから移動してきた事で、クアラルンプールの金融街が大いに活気付いているのだと思います。もう1つは、その前のマハティール氏の時代から推進してきた同国をアジアのサイバーエコノミーのハブにするというコンセプトの元で通信やIT産業が発達していると言う潮流です。

アジア経済全般が好調である事は確かですが、その後の情報収集活動なども含めて総括すると、やはり何か明確なコンセプトのある国や地域が特に強いのではないかという気がしています。

サイバーエコノミー、E-Businessのアジア地域におけるHUB的な役割を目指す同国がイスラム金融と共にどのように発展していくのかは大いに注目したいところです。投資先としての魅力も十分にあると思いました。

最近訪れた香港では、かつての英国統治下にあったという歴史の面影も薄く、驚くほど英語が通じない状況でしたが、マレーシアではかなりのレベルで普通に英語が通じるというのも上記コンセプトの背景であり、メリットだと感じました。
 ただ、色々聞いてみると、伝統回帰的な運動が強まっているそうで学校教育は英語からマレー語に戻されている地域もあり、若い世代の英語力が随分低下してきており一部で心配され始めていると言う話も聞きました。

世界は広いと、純粋に目を開かせてくれた感じがします。

Evangelistic stability?

ひえ~・・・・

もう12月・・・・・ですか・・・・

この時期は誰でもこの一年を振り返り始める時期なのですが、特に年度中に何か大きなイベントがあった人々にとっては感慨ひとしおと言ったところでしょう。

海外に出た、帰国した、家族が増えた、転居した、家を買った、学校に行き始めた、転職した・・・・自ら能動的に踏み出したケースもあれば、受動的に受け入れたケースもあるでしょう。そんな人生の転換点や触媒にも成り得るようなイベントを振り返りながら来年の事を考え始める・・・・そんな時期ではないでしょうか。

今年の金融市場は年初から中盤までのGlobal growth,Low volatility等がテーマだったある意味で平和な相場展開と、米国のサブプライムローンの延滞率急上昇が引き金を引く形で拡大した8月以降のGlobal Decoupling,High Volatility等がテーマとなってきた市場の混乱との間の強烈且つ鮮明なコントラストが記録にも記憶にも残り続けるであろう激しい流れとなりました。

馴染みの深いドル円の為替水準で見ても、124.14→111.71→117.95→107.22と来て105円が視野に入る流れとなりましたが、週末兼月末となった11月30日の金曜日の終値が111円台となって月足、週足に修復感が強まり、12月に入って再度109円台を固めて先週の週足が111円台後半となっており、株式市場の修復と共に円高も年内は一服したかなという印象が強まっています。

実際に特に12月に入ってからは、中東のアブダビ投資庁のCitiグループへの大口投資の発表や米国金融当局と金融機関の間で騒動の根源であるサブプライムローンの段階的金利上昇を当面凍結する旨の合意がなされたと言う報道などが出た事で株式市場や為替市場における市場心理の改善は相当なものです。

個人的にかなりの意外感を感じているのですが、秋口には先行きに相当悲観的な見通しを持っていたヘッジファンドの一部や世界的な大口機関投資家の動向にも目に見える程の変化があります。一時はこの世の終わりみたいな話しすらしていた勢力の中に自分たちを含めて多くの市場参加者はあまりにも悲観的になり過ぎていたという見方が広がっている事実は無視できず、事態が簡単に修復はしないまでもちょとした修復過程に入っている可能性はかなり高いと言えるのではないでしょうか。

実は笑われるかもしれませんが、私は12月に入ったという季節的要因が果たしている役割が物凄く大きいと考えています。この時期欧米では一気にクリスマスムードに入りますが、ラジオ局なども終日クリスマスソングをかけまくるという状態となります。例えばかつて我家も掛けっぱなしにしていたNYのFM局106.7litefmなどもそうなのですが(http://www.1067litefm.com/)、何か苦しい出来事があった年ほどこのInspiration効果は大きく、例えばテロのあった2001年などもこの時期から過度の悲観論が後退し、連帯感、一体感、前向きな気持ち・・・と言ったものが復活して来たと記憶しています。

私は今年は東京で色々な意味で辛い事もありましたが、Josh Grobanがロックフェラーセンターで歌う"Oh Holy Night"に何度と無くInspirationを貰いました。この時期にまたこれがよく掛かるようになり、株式市場などで投資家心理の回復が見られる事は何か象徴的な現象のようにも思えるのです。

どうやら過度の悲観論は一旦後退したとして、ここからは楽観も悲観もせずに冷静に世の中を見て行く事にしましょう。ところで、押し売りはしませんが、先ずは心のリセットスイッチを押したいという方は、私のお気に入りをどうぞ! www.youtube.com/watch?v=zQWXfHzOKUU


2007年11月29日木曜日

Time for Liquidation and Repatriation.

バタバタして更新をサボっている間に随分と相場が乱高下していました。

107円を割り込む勢いだったドル円で見ても、今これを書いている29日木曜日の午前5時前の時点で110円台前半まで反発しており、年内は105円ー110円レンジかと思った私の相場観も仰向けに倒れたと言う感じです。(きゃー)

幾つかのファクターがあるのですが、やはり時期的に多くの参加者が決算期や年度末を控えてポジションを手仕舞って資金を手元に戻す動きが本格化しているという背景がありそうです。
 この動きはもう少し緩慢且つ段階的なものになると思っていましたが、やはり今年は夏場以降かなり荒れていましたので体力温存を図る意味でも多くのファンドや金融機関が前倒しで動いていると言う事情もあるのではないでしょうか。

今週で11月も終了し、なんと来週はもう12月ということになります。多くの金融機関やファンド業界の動きを見ていると、年内にもう一勝負仕掛けてやろうと言うよりは、この際今年は膿を出し切ってしまおうというディフェンショブなバイアスの方が強まっているような気がします。

原油価格とドルインデックスの逆相関が約90%という驚異的な数字なのですが、この数字のままで今は原油価格が急落してドルが反発すると言う逆流が起きており、1バレル100ドルに迫る原油価格上昇の背景が実需だけではなく莫大な投機や投資の資金流入であった事も最早明確になったと言えるでしょう。これは同時に将来の100ドル突破の可能性をも示唆しているわけですが。

この手仕舞い(Liquidation)と資金の取り戻し(Repatriation)が主役になった時の金融市場は予測が極めて困難です。いつもの事ですがL&Rにはあまり逆らわない方が無難です。

" ~は、どこまで戻ると思いますか?" と言う質問が飛び交うわけですが、チャートなどのテクニカルポイントを回答してお茶を濁すしかないですね。調整幅が大きいと、それに対する二次的な調整も入りますので現在進行中のL&R相場は乱高下を演出し続けるでしょう。

私は今日も会社でお茶を濁す前に、今からお茶を飲んで風呂に入ります。

ではまた。

2007年11月25日日曜日

Anyway the wind blows...

突然決まったと言う感じだったのですが先週はアジアに出張してきました。

米国かぶれ、米国贔屓を自覚する私ですが、春以降久しぶりに日本から見る米国にも色々と考えさせられる部分も有りました。
 今回は、米国や日本から見ていたアジアの風を身をもって感じるとともにアジアから見た米国、そして日本と言うものにも色々な発見があり、結果としてはとても有意義な旅となりました。

アジア出張と言っても回ったのは2カ国だけで、その二つがあらゆる切り口で全く違う事にも驚きましたが、この分だと一口にアジアと言っても奥行きと多様性は相当な幅が有るのでしょう。

勢いだけではなかった・・・・・・。

今回のアジア出張で確認出来た最大の収穫はアジアに吹く風が本物だという感触を自分なりに感じられたことでしょうか。

また直ぐに次の出張があるのですが、これから私が見てきた事などを書いていこうと思います。

百聞は一見に如かず・・・でしょうか。距離を置いて見た方が良いことも多いのだとは思いますが、一度は実際に見て、感じる事も重要なのだと認識させられた想いがします。

世界は本当に広いですね。

2007年11月11日日曜日

Behind surging oil prices.

私が米国にいる時から近所のガソリンスタンドに表示される価格は上昇する一方だったわけですが、今年の3月以降も原油価格は上昇し続けているわけですから今頃は幾ら位になっているのだろうと時々考えています。

向こうは1ガロン辺りの値段で、日本はリッター辺りの値段なので一々換算して比較するという事はしていませんが相当上がっていることでしょう。最近ではテレビのニュースでも為替市場や株式市場同様にガソリン価格高騰のニュースがよく流れます。業務上恒常的に給油する運送業者などが渋い顔で登場するやつです。

原油に関しては、世界は産油国と消費国に大別されますが、後者の中心は先進国であり、最近の新聞には複数の産油国のコメントとしてかつて原油価格が低迷している時に自由市場で決定している価格であると言う理由で自分達の悲鳴を無視した消費国たる先進諸国が最近の原油上昇を受けて自分たちに何とかしろと言ってきているのは笑止千万であるという内容が出ていました。投機資金の流入による価格高騰は産油国の責任ではないしまさに価格は自由市場で決定されているのだからと言うものですが、反論の余地は無いようにも思えますね。

さて・・・・

反論と言うか、それは拙いんじゃないの?・・・・と思える話を1つ。取引先の石油会社にも確認した内容ですので間違いのない事実です。

実は我々が負担している原油、石油、ガソリンなどの価格の大半は、実は税金なのです。もっと言ってしまえば実に我々が支払う金額の60%以上が税金なのだそうです。

構成要素は、関税、石油税、ガソリン税、揮発油税、地方道路税・・・今思い出せるだけでもこれらの諸税金がありました。そしてこれら税金の合計が我々が支払っているガソリン代などの60%以上を占めていることになるのです。当然ですが、原油価格上昇はこれら税金の上昇を伴っており、今後不可避といわれる消費税の引き上げにより既に価格に内在されているこれら諸税金も自動的に増税されると言う我々消費者にはまさに負の増税連鎖が起こる事になります。

この事実上の二重増税は、一部では既に問題視されていると聞いていますが、こういう事にもっと大きく騒ぐ事こそメディアの方々に大きく期待したいしたいところです。

石油やガソリンは我々を冷え込ませるのではなく、飽くまでも暖めてくれるものであって欲しいと思いますよね。

風邪を引かない程度に節約しますか。

Summer Time vs Winter Time.

日本でも採択が検討されては見送られ続けている制度ですが、欧米では日照時間を最大限に有効活用する目的で初夏から晩秋にかけての数ヶ月の間に時計の針を一時間進めた状態で過ごす習慣があります。

所謂、”夏時間”と”冬時間”と言うやつですね。

実はこの制度を導入している地域間においても、その実施期間は、欧州大陸、英国、米国と週単位のずれがありますので切り替え時期における国際電話などでは相手方の現地時間をよく確認する必要があるのですが、丁度一番最後の米国が切り替わったところで少し面白いことに気がつきました。

Winer Time という私の言葉にロンドンの英国人もNYの米国人も非常にトンチンカンな対応しか出来なかったので、よくよく確認してみると英国にも米国にも”冬時間”という概念は存在しないのだと言うことに気がつきました。

米国に10年以上滞在した私が今更書くのも赤面ものですが、今回海外の同僚たちと確認した内容は整理すればこのようになります。

1 英国 ・・・・BST(British Summer Time) と GMT(Greenwich Mean Time) があるだけ。

2 米国・・・・ DST( Daylight Saving Time)があるだけ。

英国時間は基本的にGMT(世界標準時間)であり、夏の間は時計の針を一時間進めてやがて元に戻す。米国も夏の間だけ時計の針を一時間進めますが、やがて元の時間に戻すと言う事で英国でも米国でも標準に戻すと言うだけで冬時間と言う概念は無いと言う事のようです。

従って、”夏時間は終了したのか?”という質問はあっても、”冬時間は始まったのか?”という質問は基本的に通じないと言う事になります。

従って、”もうそっちは冬時間だっけ?”という私の質問に対しては、ロンドンの英国人の同僚はしばらく沈黙し、NYの米人の同僚は、”そうだね、大分寒くなってきたね”という反応を返してきました。

夏時間と冬時間と言う二つの基準を切り替えていると言うよりも夏の間だけ少し特別な事をしていると言うのが彼らの感覚なのではないかと思ったのですが、この辺りの感覚の違いもちょっと面白いのではないかと感じました。

欧州通貨統合とは一線を画し、夏時間の開始や終了でも独自のスケジュールを変えない英国。更に米国も独自のスケジュールで動きつつ、Daylight saiving time というコンセプトでの運用をする。

今後日本国内での運用にも個人的には大いに期待したいところですが、それにしても米国を出てからこんな事に気が付くとは自分でも少々驚いています。

LighthouseというBlogを書きながら、"灯台もと暗し"と言うネタでは話になりませんね。

Fom the back seat to the drivig seat.

週の後半に円が上申して一躍為替市場における風雲児的な位置付けになりました。
ドル円は週半ばに一旦112円をつけて、一旦113円半ば手間まで戻してから、勢いをつけて110円台半ばまで一気に駆けたという相場展開でした。

多くの大手金融機関の財務内容に関する様々な憶測記事や巨額損失隠し疑惑が市場を駆け巡り、金融セクター主導で日本・欧州・北米の株式市場が地崩れ的な下落を繰り返す中で金曜日にはダムが崩壊したような地滑り的な円の上昇が見られたと言うことになります。

・サブプライム問題を抱える米国金融機関に対する決算懸念から米ドル下落が加速?
・リスク回避心理の上昇を受けたキャリートレードの巻き戻しから円が上昇?
・株式市場下落との相関通りに円が上昇?
・FRBバーナンキ議長の景気回復は2008年度半ば以降という議会証言を悲観した米ドル離れ?
・過小評価されて来た日本円の本領発揮・失地回復?

毎度の事ながら相場解説の世界ほど言論の自由が跋扈する領域は少ない訳ですが、私は今回の円高には、実は欧州と中国によるお膳立てがあったという事実が大きかったと思っています。

週央に政策金利を据え置いた欧州中央銀行(ECB)ですが、その後のTrichet総裁からは数年ぶりに”Brutal"と言う強い形容詞を使用したユーロ高懸念が表明されて市場の注目を集めました。私は当初フランス人のTrichet総裁はフランス語で話をしているものと思ったので通訳者を介した英語表現にどれほどの意味があるのかと思ったのですが、調べてみると彼は最初から英語で話をしていることがわかりました。公の場ではいつも英語で話をする彼自身が何段階か用意しているであろう表現のなかで最上級と考えられる言葉を使っているという事実は市場に重く受け止められたと考えてよいでしょう。

更に週後半の中国の動きですが、木曜日にNational People's CongressのCheng Siwei議長とPeople's Bank of ChinaのXu 氏の発言に市場が揺れました。

・外貨準備構成の運営に関しては弱い通貨よりもユーロのような強い通貨の保有が望ましい。(Siwei)
・米ドルは世界の基軸通貨としての位置付けを失った。(Xu)

この発言などを材料に金曜日には、直物およびオフショアの先物取引において人民元が2005年7月の変動バンド制移行直後の同年8月以来となる水準にまで上昇ましたが、市場はこれを中国金融当局が度重なる利上げに一向に怯む気配のない国内インフレ抑制策の切り札として一層の人民元上昇容認のシグナルを送ったものと言う解釈をした為にこれまで置き去りにされて来た日本円が一気に冬眠から覚醒したという動きとなりました。

そんなアジアの上昇の中で実は欧州中銀のTrichet総裁発言等を材料にユーロなど殆どの主要通貨は対米ドルで大きく下落しており、その一方で人民元、日本円が対ドルで大きく上昇すると言う組み合わせとなっているのですが、その意味で先週後半の動きは米ドル下落と言う表現よりも欧州通貨やコモディティ通貨に対するアジア通貨の大反発と言う表現が適切だと言えます。
 
長年欧州が切望してきたような構造的な米ドル下落の負荷をアジアにも負担して欲しいと言う流れとなっているわけですが、全く別要因が引き金を引いたような動きの中で欧州はこれをどう見るのか、また世界的な株価不調の先頭を走らされている日本株が日経平均で間もなく年初来マイナス10%に迫る下落となっている中で更なる下落要因となる円高という動きを本邦当局はどう見るのか。

Veteran's day休日で週末3連休となる北米市場ですが、週末の天気予報はなんと雪でした。
この時期にWall Streetに積雪と言うのは・・・・・・・・・・・・・・・・

冬時間の到来は冬景色をも招き入れたのでしょうか。この週末連休の冷え込みは市場の混乱を冷ますのか、あるいはウォール街が凍りつうてしまうのか。

8月の混乱以降、9月、10月と沈静化し始めていた金融市場は俄かに荒れ模様となってきたようです。

金融市場参加者も当局者もここで少しシートベルトを締め直す必要があるでしょう。このLighthouseから照らす海原も少々波が荒くなってきたようです。様々な想いが駆け巡りますが、それらをここにぶつけていこうと思います。

2007年11月4日日曜日

A Huge week left US small.

先週は出だしこそ静かでしたが、週央に米第三四半期GDPの発表やBOJ、FOMCという日米の政策金利決定会合、おまけに週末には毎度お騒がせの米雇用統計の発表のある重要週でした。

まさに、Huge weekと呼ぶにふさわしい週だったわけですが、終わってみれば米ドルの下落が際立つ週だったということになります。

上記以外にも実に色々な材料がありました。
第三四半期GDPにしても雇用統計にしても経済指標的には市場の事前予想を大きく上回る良好な内容で、米国経済全体が風船が破裂するような勢いで縮小すると言う極端な悲観論はかなり後退していると言えますが、一方で諸悪の根源であるサブプライム問題の本質に関する不透明感やこれに端を発した住宅市場の低迷に悪材料出尽くし感が出てこない事へのフォーカスも強まっていると言う状況でしょうか。
住宅関連以外の経済指標は悪化しておらず、原油価格が100ドルに迫るなどインフレ懸念が燻る中でFOMCは追加利下げを断行したことも様々な憶測を呼んでいます。

 またサブプライム問題が引き金を引く形で拡大した一連の証券化ビジネスの混乱で主要な米投資銀行が蒙ったと推測される損失額が発表の都度拡大しており、先週も最大手の一角を占める銀行がかつて邦銀が行っていたような”損失隠し”、”飛ばし”のスキームを行っていた事が主要経済紙にすっぱ抜かれるなど、米国経済に対する不安は範囲は狭まったものの奥行きは予想外に深いという印象を残す結果となりました。
 メリルリンチとシティは既にCEOの辞任が決定しており、流石にここだけは傷が浅そうだと思われたゴールドマンサックスも投資格付けを引き下げられるなどまだまだこの問題は予断を許しません。

わかりやすいのが現象面なのですが・・・・

・ドルインデックスが金曜日に史上最安値を更新。
・金価格が遂に1オンス800ドルを突破。
・原油価格が市場最高値更新。1バレル辺り96ドルを突破。
・ユーロが1.45台の史上最高値を更新し、1.45ミドルのドイツマルク時代の最高値に肉薄。

等など・・・商品市場、為替市場における殆どの構成要素が米ドルに対してその価値を上昇させ続けるという図式が明確に継続すると言う結果となっています。

問題は方向ではなく距離と言う相場になっているのですが、既に多くのコモディティや通貨が米ドル下落の初期段階で到達点と目されたポイントを通過し始めていると言う事実をどう解釈すればよいのか・・・ 11月相場のポイントはこれに尽きると言えるでしょう。

The new month has just begun. Stay tuned.

2007年10月28日日曜日

きのこの話

先日、仲のよい後輩からご馳走されてしまいました。

東京に来てから、かつての後輩に奢って貰うのは3度目なのですが、3人とも既に転職して別の会社の幹部となっており、非常に頼もしい限りです。
 3名共に元同僚ですので向こうは当然今の私の収入はほぼ正確に察しが付くわけで、それで時にはご馳走してあげたくなるのなら寂しい限りですが。(苦笑)

で、今回後輩がご馳走してくれたのは、和食の割烹料理だったのですが、キノコを中心とした素材が売り物で、多種多様なキノコを市場で購入するのではなく、定期的に店のスタッフ総出で富士山麓などに”仕入れ”に行くそうです。勿論とても美味且つ健康的な食事となりました。

ところで・・・・

昔からきのこと言うのは何か不思議な存在だと思っていました。

これは冗談ではなく、真剣にInspirationだったと勝手に思っている事があります。

子供の頃に「ハゲとガンを治す方法を発見すればノーベル賞」という事がよく言われていたのですが、私は無意識に、それはキノコだろうと思っていました。

残念ながらハゲにもガンにも特効薬は見つかっていないと思いますが、特に後者の有力候補としてこの10年くらい何種類かのキノコが注目を浴びるようになってきました。

アガリクスというキノコが引き金を引いて、そのβグルカンという物質が注目を浴びるようになり、アガリクスと同等以上にそれを含み、且つプラスアルファの効能もあると言う事からアラビア砂漠特有のキマ岳や日本の舞茸も有名になりました。
 数年前からは、この日本の舞茸の効能が注目されて米国のガン研究・ガン治療の権威であるスローンズケータリングでも採用されるようになっています。

数年前に怖い病気をした私も当初はアガリクス、今では舞茸のカプセルを毎日飲んでいます。舞茸のほうがだいぶ安いからです。

閑話休題

キノコ以上に、とても不思議な、奇妙な話があり、先日NHKで放送されていた特集に釘付けになってしまいました。

かつてフランスにレオナルドダビンチやガリレオガリレイ等と並び称されるポアンカレという多分野に渡る天才がいたのですが、彼も他の天才達と同様に幾つかの”予言”をしており、その中で彼自身も証明出来なかった”ポアンカレ予想”という宇宙全体の形状を予想する一大予想があったそうです。

その後の数学者たちが躍起になって証明を試みますが皆挫折の連続で、遂に100年後にあたる2002年にロシアの天才グレゴリー・ペレルマン博士がこれを証明したという話なのですが、この功績により数学の世界ではノーベル賞以上の価値と権威があると言うフィールズ賞に選ばれながら、同博士は受賞も賞金の百万ドルも辞退したという話です。

ここまでならば、ま~何か考えがあっての事だろうと思うだけなのですが、同博士は更に研究の世界から引退し、その行方すらくらませてしまったというのですからまるで推理小説のような話です。

関係者の話では、かつて快活で冗談の好きな、旧ソ連でも群を抜く天才少年だったペレルマン氏はこのポアンカレ予想の証明に取り掛かった頃から人を避けるようになり、別人のようになってしまったというのです。
 これだけの偉業を成し遂げながら全てを捨てて世捨て人のような生活を始め、今では母親の年金などにも頼りながら、日々山に入ってキノコ狩りをしていると言う話も出ていました。

番組は、謎を謎としてそのまま放映して終わっているのですが、久しぶりに強烈に引き込まれるような内容でした。

数学、物理などの所謂自然科学系の研究は、森羅万象の根底を貫く原理原則の解明にあり、その系統だった秩序の美しさは、大袈裟に言えば神の存在をも感じさせるほどだといっても過言ではなく実は自然科学の研究者が一番聖書の内容を忠実に信じていると言う調査結果もあるほどです。

ベレルマン博士は、遂に我々の誰もが知らない何かを知ってしまい、それが原因で隠遁生活に入ってしまったのではないかという気がして仕方ありません。フィールズ賞とか100万ドルとかが何の意味も持たなくなってしまうような何かを・・・・。 そしてそんな彼が単に貧しい生活の中での食材調達としてと言う事ではなく、実は研究対象としてキノコ狩りをしている・・・なんていう可能性は無いのでしょうか?

とにかくちょっと自分でも勉強してみたくなる話でした。

Sweetfishes were sweet.

先日実家の両親を訪ねた際に、皆で鮎釣りに出かけました。

山麓の川は少し寒かったのですが、3時間弱位は粘ったでしょうか。最終的には5匹の鮎が釣れました。

借りた釣竿を返却しながら少し業者の方と世間話をしたのですが、幾つか印象に残った言葉がありました。私自身は少年時代に少々友人と釣りした程度でそれほど深くのめりこんだ事は無く、釣り好きの人には当たり前の事なのかもしれませんが、「見えている魚は中々釣れません」という言葉は特に印象に残りました。

実際には、多くの釣り人が川原から見えている魚の群れに対して釣り糸を垂れるという行為を繰り返してしまうのですが、完全に無視される事のほうが多く、我家も完全にこのパターンでした。

それに思い返してみれば釣れた5匹の殆どは突然”浮き”が沈み込んで慌てて釣り上げるという予期せぬパターンでつれた事にも気が付きました。

我々は漁師ではなく、週末に家族でレジャーに来ただけですので、見えている魚群、魚影に糸を垂れて一喜一憂しながら魚に翻弄されると言うことで充分楽しめる訳ですが、真剣に魚を釣り上げようと思うなら見えていないスポット、見えにくいスポットを狙うべきで、具体的には滝の落ちる部分や岩場の影のような場所が狙い目となるようです。

魚も意外と賢く、上記のような場所に身を隠して安全を確保した魚の方が餌に食いつく可能性が高く、釣り人から見えるところにいるような魚は安全な居場所を確保するのが先決で、そのような無防備な状態でノーテンキに餌に食いつく可能性は高くないと言うことのようです。

投資でもトレーディングでも基本は確率の勝負です。
最も確実そうなものにBETするというのは王道な訳ですが、時には我々も最も確実そうに見えるものが実際に最も可能性が高い選択なのかどうかを掘り下げて考えて見るという姿勢も必要なのだと考えさせられたような言葉でした。

見えている鮎は中々釣れない。

そんなに甘くないよとでも言うかのごとく、鮎は英語では Sweetfish となります。
日本では鮎と言えば塩焼きですが、塩焼きなのに、Sweetfishとでも覚えましょうか。

仕事も含めて色々な局面で、見えていないけど油断している魚はどこかにいないか、必然のごとく目の前にある物が取るべき選択肢なのかなどをじっくり考えて見ませんか。

このLighthouseでも意外なところに光が当てられたらいいなと思っています。

Between Great Moderation and Grand Demolition

A huge week has come that may enetually break the fine balance between Great Moderation and Grand Demolition.

所謂米国サブプライムローンの延滞率上昇を引き金とした8月の金融市場の大混乱は、実に長期にわたって継続してきた大いなる資本主義の繁栄に対する黄信号的な警鐘だったと思います。
 
その後、当局レベルでも民間レベルでも色々な方策や努力が行われ、その多くは少なくとも短期的な効果を発揮してきたことで金融市場は一定の安定を維持してきました。

一般メディアに出ること、出ないこと・・・・市場の一端を担っていると様々な内部情報、怪情報、楽観論、悲観論が我々の視野や聴覚を駆け抜けていきます。
 世界経済は・・・・・米国経済は・・・・・一度は体調を崩したものの回復に向かっているのか? それとも非常に重たい病状の中で一時的な回復を見せてきただけなのか?そんな二つの対立軸の間で金融市場は揺れ動いてきたのだと思います。

Great Moderation という概念は、春から初夏にかけての単身での東京生活の間にある資格試験を受けようと一念発起した際の試験勉強(?)の中で発見した概念です。
 世界経済のグローバル化が進行した結果、経済活動や投資活動における国境や経済圏の境目を越えた資本移動が活発化して、世界経済全体の構成要素の相互補完、相互依存なども高まっており、最終的には世界レベルでも各国レベルでも景気振幅の幅や周期が小さくなっているというコンセプトです。

実務においても、金融市場の広範なVolatilityの低下は大いなる議論を呼び起こしていましたし、Volatilityの低下(市場が動かないと言うこと)により、価格変動による収益性が低下した分利息や配当による収益を追求する動きが強まる中で極端に積み上がったのが金利差に着目した円キャリートレードであったとも言えます。

経済のGlobalization⇒Great Moderation⇒金融市場のVolatility低下⇒Capital GainからIncome Gainへの比重のシフト⇒Carry Tradeの流行

という流れがあったと思います。

Grand Demolition というのは、大きな意味でGreat Moderationに対する対立軸として思い浮かんだ私の造語なのですが、実際に大いなる金融工学の発展が生み出してきた今問題となっているAsset Back Security 関係や各種レバレッジの根幹となってきたCredit FinancingやDerivative Model、そして多くの格付機関のRating能力などへの信頼が根底から崩壊するような事態ともなれば、今後の金融市場は大混乱の渦に飲み込まれることになり、世界経済も大いに冷え込んでしまうリスクがあると思います。

何がバブル状態だったのかと言えば、実は金融工学そのものであるという話を書いたことがありました。ペーパーアセットから現物資産へという ”紙からモノへ” という資本移動についても紹介したことがありました。
 まさに近代資本主義は、大きな節目を迎えているように思われますが、商品市場では現在勢いのある原油や貴金属等から資本流入の主役が食物、水などにシフトしていく傾向が明らかになっており、まさに世の中は一流企業の株式証券よりも、キャベツや牛肉の権利が子孫に引き継ぐ財産を守ってくれる時代に突入しようとしているのかもしれない訳です。

月末月初を含む今週は、米国だけでも第Ⅲ四半期GDP,雇用統計など目先の市場均衡を破壊して新たな方向感を決定しそうな材料が目立ちます。

Great Moderationの奥深さが確認されるか、Grand Demolitionという逆流が勢いづくのか・・・・・

殆ど飲み会で夜の予定を埋め尽くしてしまったのですが、今週は結構忙しいのではないかと思われます。

米国の友人からは、Indian Summerで半袖モードだと聞いていますが、日本は一気に寒くなってきたようです。海のどちら側にいても体調管理は十分気をつけましょう。

2007年10月23日火曜日

Delicate amvibalence of G7 meeting.

週末に行われたG7会合は非常に注目度の高いものでした。

今回も密室会議の中では相当突っ込んだ議論の応酬が在った物と思われますが、最終的な声明文はある意味で最近のG7会合の中でも最も淡々とした内容だったように感じます。

①世界経済の足腰は依然として健全な強さを維持している。
②ただし短期的には一段と景気が減速する懸念に直面している。
③(特に米国の)現状の住宅市場の低迷は相当期間継続する可能性がある。
④中国の人民元はより速いペースで柔軟に上昇する事が世界経済及び中国の利益となる。

要約してしまえばその程度のものでしょう。

ブラックマンデーの20周年とも重なって、週末の海外市場と週明けのアジア市場でも株式市場が大きく売り込まれる展開となりましたが、G7声明文で率直に表明された景気減速懸念に素直に反応したと言う事でしょう。実際に懸念と危機感のみが表明されて、それに対して各国が協調してどうすると言う部分が抜け落ちたような声明文はある意味で失望感を誘ったとも言えるでしょう。

そんな事は百も承知で市場参加者、世界中の投資家達が懸念を共有する中で先進国代表が会合した結果、そうそうたるメンバーが集まって集中討議をし、出てきた結果としての声明文が、

「う~ん、ちょっと難しいね。しばらくは妙案も無いな~」

と言う内容では株も売られますわ。

一方で為替市場では、プラザ合意の焼き直し的な合意がなされる可能性が指摘される中でドルに下落バイアス、円には上昇バイアスが掛かりながらイベントに突入したわけですが、結果として声明文に言及されたのは人民元についてのみで、予想(期待?)された米ドル、ユーロ、日本円などへの言及は皆無でした。

これは正式な参加国である国の通貨への言及は無く、招待はされているものの正式メンバーでは無い中国の通貨にのみ言及したと言う事であり、非常に淡白な声明文であったと言わざるを得ない結果となりました。
 金曜日のNY市場と週明けの市場では、人民元の身代わりに日本円が上昇して輸出企業の収益圧迫懸念から日本株の下落に拍車がかかると言う悪循環となり、株式市場下落=円高という図式が強く意識される展開となりました。イベントに向けて売り込まれてきた米ドルは、対円以外では持続的な買戻しが入っており、結果として円の強さを際立たせる展開となっています。

個人的は、「なんじゃこれは・・・」 という展開ですが、それ以上にG7会合と言うイベントに対して何か物悲しい感傷をすら抱いてしまいます。
 後輩から届いたメールにG7の無力さを指摘する件があり、私も全く同感でした。そもそも現実問題として世界経済を牽引するのはBRICS、イスラム経済、資源国などであり、所謂G7先進国は最早成熟した兄貴分的な存在に過ぎない中で、自分達だけが集まって意見交換をしても最早世界経済に与える実際的な影響力は限られていると言う事です。

G7のUN化現象とでも言うところでしょうか。世界平和などにおけるUN(国連)の無力さは最早存在自体が象徴的な意味しか持たないという状況ですが、実際的な影響力の低下を自覚して当事者のインセンティブも落ちている事と、組織内が不正や汚職の巣窟と化している事とは無関係ではないでしょう。その意味でUN化傾向を強め始めたG7会合の将来に対しては強い懸念を抱かざるを得ません。

そんな自らの限界を自覚してか、素朴なまでに率直な印象だけを残したG7会合でしたが足元の調整が一段落すれば、中期的に商品市場の上昇バイアス、先進国株式市場の下落バイアス、新興経済圏の株式市場の上昇バイアス、米ドルの下落バイアス、欧州通貨、資源国通貨、エマージング通貨の上昇バイアスなどが継続しそうな流れです。日本円については足元の上昇バイアスが数週間は継続するのではないでしょうか。中長期的な円の大幅上昇を見る向きも少なくないのですが、ここはもう少し分析が必要でしょう。この部分の視点に違いについては今後言及して行こうと思っています。

2007年10月16日火曜日

みなとみらい:港未来:皆と未来

週末に横浜の”みなとみらい”地区に行って見ました。

子供が洋書のある本屋さんに行きたいと言うので色々調べて、幾つか候補がありましたがまだ行ったことが無かったのでここに決めたのでした。

山下公園などには行ったことがありますが、みなとみらい地区というのは遠くから日本一大きいと言う観覧車や三日月型のビルを眺めた事しかなく、あまり期待はしていなかったのですが行って見て驚きました。

なんじゃこりゃ・・・・まるでアメリカじゃない・・・

マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンなどはどこにでもありますが、Tiffany,Agatha,GAP,COACHなどが軒を並べるツインタワー(?)内部はまるでNY郊外のモールにいるような錯覚に陥る感じでした。

建物内外もとても綺麗で、通路に小奇麗な出店が並ぶ様はクリスマスシーズンのワールドファイナンシャルセンターを彷彿とさせるものがありました。ビルの感じや通路のオブジェの感じなどもなんとなくニューヨークっぽい感じで、あまり期待していなかっただけにとても嬉しい誤算でした。

目的の有隣堂書店もなかなか良くて洋書も多く、子供もとても気に入ってました。

ポケモンセンターやとなりのトトロコーナー(?)などもあるし、食事をするところも豊富だしで、Amusement parkなどもある事を思えば週末などに家族でちょっと出かける場所として充分及第点をクリアしていると思います。

COACHのバッグなどは米国内の価格の約2倍位という話なので、Tiffanyなんて偉く高いんだろうな・・・と思いながら足を踏み入れると、案の定高く、何かを購入して手続きをしているらしいヤングリッチっぽいカップルがSofarに座りながらふんぞり返っていました。

「俺は今、ここで高価なものを買ったんだぜ」 男の誇らしげな目つきはそう言っているようでしたし、
「私は今、ここでプレゼントを買ってもらって幸せです」 女の目はそう言っているようでした。

ここにいちゃいかん・・・・・

金融市場で磨かれた私の危機意識は沸騰寸前でしたが、私が冷やかしで入店した経緯を考えると、あまりにも直ぐに「出ようぜ」と言うのも気が引けます。妻も色々見ているだけで楽しそうではありますし・・・・

結局、タイミングよく長男が便意を催したので我々はそそくさと店を出る事が出来ました。

頼もしい子供を持ったと、久しぶりに思った瞬間でした。

”みなとみらい”と言うのは、どういう意味なのでしょうか? 横浜だから港未来なのでしょうか。
敢えて駅名などもひらがなにしているのは、"皆と未来”などともかけていると言うことでしょうか。

皆と未来。 Future together.  そんなコンセプトならなかなか素敵ですね。

また行こうっと・・・ 少しずつ、好きな場所が増えてきました。

2007年10月15日月曜日

A tight rope between virtuous and vicious circles.

先月FRBが公定歩合とFedFundレートを同時に50bp引き下げた時点では当局者の頭の中には次のような二つの大きなシナリオがあったと思われます。

1 好循環シナリオ 

FRB利下げ→米ドル下落→米国輸出製品の値下がり→海外の米国製品需要増加 →米企業業績上昇→米国株式市場上昇→米国投資家、家計に正の資産効果→必要に応じてFRB追加利下げ→・・・・

2 悪循環シナリオ

FRB利下げ→米ドル下落→ドル売り加速→ドル建て資産からの資本流出→輸入物価大幅上昇→インフレーション顕在化→市場金利上昇→債券価格、株式市場の下落加速→アジア、新興市場への悪影響→・・・・・

後講釈で、9月のFOMCの利下げを批判する人がいます。
そもそも過剰流動性が諸悪の根源で、いい加減な審査でのサブプライムローンが組まれたり資産バブルが発生していたのに利下げをして更に流動性を供給するのは間違いだと言うロジックですが、私はあの状況下ではFOMCに何もしないと言う選択肢は許されなかったと思っていますし、ましてや諸悪の根源は過剰流動性でした等と言って利上げをする事などあり得なかった筈です。

実際に賭けだったとは言いませんが、如何に利下げ後の展開を上記の好循環に持っていくかという事は非常に大きな課題だったと思います。そしてここまでのところは理想的な流れが実現していると考えられます。

思い切った利下げ断行が市場に好感された結果実現した株式市場と債券市場の上昇は、狙い通りに為替市場のドル安を秩序だったものにして、副作用としてドル安の良い面を際立たせる事に成功しています。

①貿易赤字→7年ぶり低水準へ縮小、②財政赤字→5年ぶり低水準に縮小、③税収→Bush政権下で最高水準、④消費活動の伸び→Bush政権下での最小

ここまでは、双子の赤字にも縮小バイアスのかかる見事な構造改革路線です。

これが続けば文句は無いのでしょうが、今月は大きな試練が二つも控えており、展開次第ではこの好循環のバランスが崩れて悪循環パターンに陥ってしまうリスクも無視出来ません。

先ずは今週末のG7会合です。米国が強いドル政策を維持すると言う姿勢を示すのかどうか、自国通貨上昇に神経質になる欧州がアジア、特に中国人民元と日本円を標的にしたドル下落の負荷の分担要求を強調してくるのかどうか(Burden Sharingという言葉が以前も流行りましたね)。

そして次は月末のFOMC会合です。株式市場が最高値を更新するような状況下で追加利下げをして好循環を確固たる物にするのか、経済指標や資産価格の持ち直しを受けて利下げは一時的なものだったというメッセージを送るのか・・・

9月の利下げ断行の時点でも好循環実現が保障されていなかったように、悪循環シナリオへの転換も何時でも実現可能な状況で二つのイベントを迎える事になりますが、2007年度第4四半期冒頭の10月は年内の相場の動向を決定付けるくらいの重要度を持ちそうです。

Virtuous Circle(好循環)とVicious Circle(悪循環)という二つのLoopが並列する間の狭い路地を歩くようなイメージのある金融市場の沈静化と投資環境の好循環を維持できるかどうか。

主要国の金融当局者たちの手綱さばきに大いに注目したいところです。

2007年10月8日月曜日

Inconvenient TOOTH

久しぶりに電動歯ブラシで歯を磨いた後は、やや歯茎がヒリヒリするような感じでしたが、予想通りとても気持ちよい爽快感が残りました。

どのくらいの間、普通の歯ブラシで歯を磨いていた事でしょう・・・・しかも、おっかなびっくりと・・・

遂に、前歯のインプラント治療が無事に完了しました!

前歯が折れたのはハイスクールの時、昼休みに野球をしていた時でした。3塁に走者がいる状態で私がレフトに浅い犠牲フライを打ち、打球を見ながら一塁方向に走り出した私と、やはり打球を見ながら本塁のカバーに突進してきた一塁手がお互いに相手を見ることなく正面衝突してしまった時でした。

幸いにして土台は残ったので、ここに差し歯を差し込むと言う処置をして、その後何度か差し歯を作り換えましたが、昨年の暮れくらいでしょうか、また差し歯が取れてしまい、作り直せば済むかと思いきや遂に歯茎の奥で土台が割れてしまっていることが判明し、私にはインプラントかブリッジかという選択しか残されていませんでした。

インプラントは保険外、一方でブリッジは保険は適用されるものの健康な両脇の歯を半分ほど切断する事になると言う話でした。確か費用はインプラントが6~7千ドル、保険のきくブリッジは自己負担分は千ドル未満だったように思います。
 私は大いに悩みましたが、泣きながらインプラントを選択しました。いくらなんでも健康な両脇の歯を半分の高さに削り取ってブリッジをかますというのは、あまりにも歯に申し訳ないと思ったのです。

金融技術然りですが、医療技術もどんどん進んでいくものなのだと感じます。
今回のインプラント治療にも幾つかのハードルがありました。先ずは土台の強化についてですが、インプラントを埋め込む骨の部分が不十分な人には、人骨粉や牛骨粉を埋め込んで数ヶ月間かけて周囲の骨と同化させた土台を作りますが、私の場合は部分的に自分の骨を成長させる薬入りの羊膜を埋め込んで土台を成長させました。

6月末に家族を迎えに渡米した際にインプラントの埋め込みを行いましたが、そこから先は日本国内での治療継続を請け負ってくれる歯科医を探す必要がありました。米国で修行した方を紹介されたのですがちょっと通院には無理がある場所だったので、インターネットで必死に探してインプラント治療の実績が豊富なところを探しては照会メールを出していました。

結果的にとてもよい歯科医が見つかり、米国から取り寄せたデータを元に継続治療を完了させてくれたわけです。
 これまで半年以上もの間、仮の歯を貼り付けた状態で、物にかぶりつく事も出来ず、また歯磨きも手動で慎重に行ってきましたが、これで再び電動歯ブラシで豪快且つ爽快な歯磨きが復活できる事になったわけです。

後はこれまた豪快なクレジットカードの引き落とし額にさえ目をつぶれば、爽やかな気分でいられそうな気配です。

My inconvenient tooth was my inconvenient truth which was as inconvenient as the global warming.

10月に入り、日本はすっかり秋の気配が濃厚となってきました。
異常に暑かった夏も過ぎて、エアコン使用頻度が激減しているので、電気代の減少が歯科治療費の一部を捻出してくれる事が期待されます。

こればかりは夏は過ぎても・・・・焼け石に水ですが。

皆さんもくれぐれも歯を大切にしましょう。

Liquidity matters : 流動性についての考察

かつて、”貸し渋り”という言葉がありました。
今でも貸し渋りと言うのはあちこちであるのでしょうが、社会現象のように取り上げられていたのは90年代後半のことだったでしょうか?

バブル後遺症からの脱却が遅れ、未曾有のデフレにあえぐ日本経済において、多くの企業が資金繰りに問題を抱えており、日本の金融機関のバランスシート上には多くの企業に対する不良債権化した貸出しが膨らんでいた、日本中を停滞感が覆い尽くしていた時期です。

起業が必要な資金を調達しやすいように、そして調達の負担が少なくて済むようにする為に当局は最終的にゼロ金利となるまで金利を下げて、且つ量的緩和と言われる手法で金融市場に資金を溢れさせました。(これをジャブジャブにする等と言います)

ところが・・・この流動性が・・・お金の水が・・・・流れない。

これが日本経済長期低迷の多くの要因の中でも最も深刻だった主因の一つでした。

この流動性という”資金の水”を流すものが、今も問題になっているクレジット(信用)と言うものなのですが、簡単に言ってしまえば、返ってくる保証のない貸出し、返ってこないリスクが一定水準以上に高い貸出しは実行出来ないと言う事です。

邦銀の多くは、預金者の預金保護と言う意味合いからもクレジットの低下した取引先への追加融資には慎重になりますが、これが”貸し渋り”として当局、政治、メディアなどから一斉に叩かれたわけです。
 一方では、今抱えている不良債権をどうにかしろと叩かれ、一方では貸し渋りを叩かれると言う当時の邦銀と言うのはフェアに見て少し気の毒な部分もあったと思います。

さて・・・・今欧米において、いやグローバル化が進んでいると言う意味では世界規模で、当時の日本と類似の問題が発生している事は明らかです。その発生の仕方は少し違うのですが、どちらが良いのかは意見の分かれるところかもしれません。

一部で明らかな誤解がありますが、今世界で起きていることは基本的に住宅価格の下落とクレジットの悪化であり、二つの別々の潮流があります。
 米国では、サブプライムローンの延滞率上昇による混乱が引き金でしたが、ここへの投資額が大きかった欧州系金融機関(仏、独)およびその傘下のファンドの問題は米国サブプライム問題の余波と言えます。
 一方で、スペインの単純なバブル崩壊、英国で起きたモゲージレンダー救済や預金解約殺到による取り付け騒ぎ等はスペイン、英国独自の住宅バブル崩壊です。これらはかつての日本型バブル崩壊であり、米国のサブプライム問題とは本来一線を画す性質のものです。(米国のサブプライムには関係なく勝手にこけています)

結果的に多くの企業、金融機関、ヘッジファンドなどが資金繰りに苦労するようになり、事態収拾に向けて当局は潤沢な流動性の供給を継続し、米国では政策金利の引き下げ、他国では予定されていた利上げの凍結等も行ってきました。
 ところが、ここでもクレジットという壁が立ちはだかっており、供給している流動性がそれを必要としている所まで流れていかないと言う問題が起きています。

流動性を供給しているのに、必要な所まで流れていかない・・・・これはかつての日本と全く同様の問題なのです。そしてこれは金融当局は流動性の供給まではコントロール可能ですが、それを動かすクレジットに関しては基本的にコントロールする術が限られていると言う事実を露呈しています。
 
信用創造、信用供与というのは基本的に当局の範疇を超えた民間の経済活動だからです。ここで慎重になってメディアなどから「貸し渋り」と叩かれまくった本邦金融機関に業を煮やして国などが自ら保障制度を立ち上げて中小企業への融資を促すと言う行為もありましたが、その保障制度の驚異的な弁済率(結局借主が返済できずに国が債務を弁済した率)を見れば、ある意味で預金者や株主を抱えた本邦金融機関の判断が残念ながら正しかった事が明白になったのですが、そこにライトを当てるメディアは皆無であり、要するにメディアもそういうレベルでしかないということも同時に露呈しています。

システムのどこかに問題がある場合の、最も安易な対処方法の一つに”総量規制”と言う考え方があり、日本はこれを得意技にしています。つまり、不良債権を増やさないために貸し出し総額に上限を設けてしまうのですが、この縮小均衡的な手法により本来はクレジットに問題のない企業にも貸出しが制限されてしまい経済活動は長期停滞を余儀なくされました。

一方で欧米にはこの考えはあまり無い様で、潤沢な流動性がAvailableになった状況下、クレジットに問題のない企業や投資家たちはこれまでよりも大きな資金を安価に調達出来るようになっています。そして、狩猟民族的なリスクテイカー達はこの機会を最大限に利用して果敢に資金を借り入れ、それを株式市場、エマージング市場に大規模に投資しているのです。

これこそが現在進行形の株式市場、商品市場、エマージング市場の上昇であり、一体誰を助けているのかと言う批判をFRBが受けている背景です。

可愛そうなBernanke議長。私は現時点でも果敢な利下げを行ったFRBの判断は正しかったと絶賛する気持ちを持っています。あの時に、FRBが利下げをして混乱の収集に動かなかったらどうなっていたのかを考えれば、今の状況のほうが数段よいのではないかと考えるからです。

混乱の末に氷河期を招くよりは、一部でバブルが進行しても経済活動、投資活動の火を絶やさないという決断はもっと評価されるべきではないかと思うのです。

You can bring your horse to a river but you cannot force it to take water.

horceとforceで韻を踏むこの表現はまさに至言でしょう。LiquidityとCreditという経済活動のコインの両面の中で金融当局がコントロール可能なのはliquidityサイドのみなのです。

私の意見にも多くの反論が有るでしょう。
いずれにしてもLiquidityの議論と評価は依然、”流動的”なようです。

ドルの下落は電気の流れの如し

多くの市場参加者の予想(警戒?)通り、金曜日に発表された9月の米国雇用統計は注目された非農業部門就業者数において予想を上回る110千人の増加と言う強い内容となり、且つ4年ぶりの就業者数減少となって大騒ぎとなった前回8月のデータもマイナス4千人からプラス89千人へと実に9万3千人もの大幅上方修正まで発表されるという見事なまでの”なーんちゃって”相場が実現しました。

米国経済が個人消費を大きな原動力としている関係上、どうしても雇用、賃金、住宅価格と言ったデータに注目が集まるのですが、もともとこの雇用統計というデータは、原則毎月第一金曜日に前月の集計を発表することになっており、大雑把に言えば発表時点では60%程度の集計しか行われていないので、必ず次回に発表済みデータの修正を伴います。

選挙に例えれば開票率6割程度で当選確実も出ていないのに、事務所ではドンチャン騒ぎが始まると言う位のいい加減なものなのですが、投資家向けにGartman Letterという市場分析レポートを執筆しているDennis Gartman氏などはずっと以前からこの経済指標の強弱に大きな期待をしてリスクを傾ける事はやめましょうと言うスタンスを貫いているくらいです。

数年前にこの指標で大幅な過去データの修正が行われた時には、一般企業の財務データで同様の事があれば粉飾を疑われるし、市場を混乱させ、投資家に損害を与えたと言う罪で刑務所行きだろうというコメントすら出ていましたが、年内に追加で50bpの利下げを織り込んでいた債券市場も25bpまで織り込み幅を縮小して引けており、金利市場のほうでも今回は相当多くの債権トレーダーが振り回されたことでしょう。

ところで・・・

当然のごとく米ドルは一旦反発しましたが、その波を待っていたかのようなカウンターを喰らい、いくつかの主要通貨に対して直近の最安値を更新して引けています。
 豪ドルに対して18年ぶり安値、カナダドルに対して31年ぶり安値と言う具合ですが、一方で対欧州通貨では横ばい、ドルが素直に上昇できたのは対円とスイスフラン位です。

これは断言しても良いと思うのですが、約一ヶ月前に正しいデータが発表されていたら、その後の相場展開は全く違った物になっていたのは間違いないでしょう。
 FOMCの金融政策は多様な経済データを総合的に判断するものなので一概には言えませんが、少なくとも8月の雇用統計の内容が公定歩合とFFレートの50bpもの同時利下げにと言う判断に果たした役割は小さくなかったはずです。
 そして、そのことも含めて米ドルの下落がこの水準にまで進行していなかったことは間違いないでしょうし、この複雑なMIXED BAGのなかで日本円などは今よりも円高水準にあった可能性も有ります。

今回非常に印象深かったことは何かと言えば、これだけの規模で後からデータが修正されても、既成事実としての市場のこれまでの動きは修復されず、一呼吸置いてドル売りが復活して週の取引を終了していると言うことです。

かつて、理科の授業で不思議に思ったことは無かったでしょうか?
電気と言うのはプラス極からマイナス極に流れるものですが、電気の正体とは何かと言えば電子の流れであり、それは電子がマイナス極からプラス極に流れるものである・・・・・・・

これも、最初から電子と言うものの存在がわかっていれば学問体系は全く違ったものになっていたのでしょうが、最初に電気という概念が出てきて、プラス、マイナスというコンセプトも確立された後に、その電気の研究において電子が発見されて、実はその流れはマイナスからプラスへというそれまでとは全く反対のコンセプトであったわけです。

当時の研究界でどういう議論が有ったのか、あるいは無かったのかは知りませんが、結局は電気がプラスからマイナスに流れると言う既成概念は書き換えられることも、覆されることも無く定着して現在に至っているわけです。

週末の米ドル下落についても、何か類似のものを感じてしまうのですが、金融市場はサイエンスではなくアートの世界ですので、週明け以降には違った動きもありえるのでしょうか?

Stay tuned.

2007年9月30日日曜日

At Major Cross Roads 2

ヘッジファンドという物は、よく名前の知られた大手且つ老舗でもせいぜい1980年代後半に誕生したものです。

90年代初頭のデータで確認されていたのが3百社ほどでしたが、これが2000年を超えた辺りで1万社を超えるという増え方をしており、当然ながら運用資産量や体力、何よりもレベル差には相当なバラつきがありますので、今後1年間くらいの期間に数千という単位で清算されるファンドが出てくるのではないかと思っています。

数千と言う数のヘッジファンドが消滅しても結局はリスクマネーやスタッフの多くは別の存続するファンドやリスク資産などに移動して経済活動を続ける事になると思われますので、特別な感傷を抱く必要は無く、ある意味では・・・・丁度、"千の風になって"と言う歌の歌詞のようなものだと思ってよいでしょう。

清算・消滅した組織の人材や資金は形を変えて生き続け、次なる経済活動を直接構成する、或いは間接的にサポートする要素となって生き続けるのだと思います。

実は・・・・知っている人が組織から独立して作ったヘッジファンドが、9月末をもってファンドを清算し、組織も解散する事になりました。
 金曜日の夜以降に、当地の複数の人々から会社清算の連絡を貰い、週末の間に色々と考えさせられました。

上記のとおり、一般論としてはこう言う話が数百、数千と言う数で出てくるのだと思ってはいたものの、まさか自分自身の身近なところからこんなに早くそんな話が出てくるとは正直思っても居ませんでした。

そして、やはりそこには、色々な人間模様がありました。

数年前に、ある投資銀行の腕利きのProprietaryチームが独立する形でこのファンドは誕生しました。
これはヘッジファンドの誕生としてはよくある話です。そして業界での知名度も評価も高かったお陰で当初から同業者をも含む多くの投資家から多額の運用資金が集まると言う理想的なスタートを切ったこのヘッジファンドは、初年度には快調な実績を残して順風満帆に思えましたが、スポーツの世界で初年度に大活躍したルーキーが2年目以降スランプに陥るジンクスがあるように、ここのパフォーマンスにも徐々に失速感が出始めて、徐々に運用委託契約を解約して資金を引き上げる投資家も増え始め、ここ数ヶ月はかなり窮屈そうな運営となっていました。
 ここはサブプライムエリア等には投資していないファンドですが、世間はそんな区別はしないでしょうし、組織の建て直しには少し時間がかかりそうだと言う判断で思い切って組織を清算する事にしたのでしょう。

今回の事には、最後まで残っていたスタッフ同士の愛情を感じる部分があり、皆とてもよい人々だったので、彼らの次のステップを心から応援したいと思っています。

あるシニアな方が居ました。彼はずっと組織の状況を知る立場にいた訳ですが、ある時点で組織存続の為にはリストラが必要であると判断し、その時に出来るだけ若い世代が組織に残れるようにと自ら退職願を出されました。
 今年の初めの頃の話でしたが、当時まだ米国にいた私の所までわざわざ事情を説明しに来てくれた彼の話を聞きながら、彼の自分達に付いて来た後進の人々に対する深い愛情に触れてとても複雑な思いを抱いた事を昨日の事のように思い出すことが出来ます。会社の下の地下鉄の駅に繫がる場所にあるスターバックスのコヒーはいつもよりも苦い味がするようでした。

若い連中は、苦しい時代を乗り切って組織を立て直そうという気持ちを持って頑張っていました。そして、その事がここの親分をして今回の決断をさせたのではないかと私は考えています。

組織を解散でもしなければ、この連中は自分の元を去らずに頑張り続ける可能性が高いが、諸般の状況から組織の建て直しには時間が掛かると判断せざるを得ず、給与などの処遇面で充分に報いてあげられないという気持ちに加えて、今後同様の判断をする同業者が増えれば再就職先を求める人々の競争が激しくなるので、早い段階で決断するべきではないかと言う判断があったのではないかと思うのです。

この組織は、上も下もそういう人達でした。

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there. I do not die.

これが確認されている"千の風になって"という歌の原型です。一部で2001年9月の同時多発テロに関係する歌だと勘違いされていますが、これはとても古い歌で、Mary Fryeという米国女性が1932年に母親の他界を偲んで作ったものだと言う説が有力だそうです。
 今回の彼らの挑戦と撤退もこの歌の通りだと私は思います。

私は、この場を借りて、心から彼らの挑戦に敬意と賞賛と拍手を送ります。そして今回の組織の解散を彼らが、或いは彼らの試みが失敗した結果なのだとは必ずしも思いません。少なくとも彼らもそこから多くの物を得たと思うし、我々も彼らから多くを学ぶ事が出来たわけです。

我々もそういう気持ちで大きな挑戦をしたいものです。

At Major Cross Roads 1

いよいよ残暑の名残も影をひそめて、季節も急速に秋の色合いを強めてきたように感じます。
クールビズ(と言うのでしたっけ?)の期間も終了し、週明けからはまたネクタイをして出勤する必要があるようです。

9月末というのは、本邦企業にとっては半期末であり、全世界共通で四半期末という節目になりますが、28日の金曜日はこれに週末と言う要素まで加わったまさに節目のタイミングとなりました。

週全般の動きを総括すると、金利債券市場、クレジットデリバティブ市場は安定的なConsolidation、株式市場は多くの市場で史上最高値水準まで復活したという状態ですが、為替市場に関しては断続的に米ドルの下落トレンドが鮮明になり商品市場でも小幅調整をこなしながら強気相場が継続と言う展開でした。

特にドル安に関しては週末の金曜日にドルインデックスが史上最安値を更新する等、10月相場に向けてVolatilityの上昇を予感させる終わり方をしており、2007年度も終盤の3ヶ月が非常に重要な時間帯となりそうです。

1 米国景気は、減速? 縮小? はたまた破綻か?
2 FRBの利下げ幅とペースは?
3 米国不調下の欧州、アジア、エマージング経済は独自の成長を維持できるのか?
4 日本はアジアの殿をつとめるのか?

などが大きな着眼点となりますが、更に細かく言えば・・・・

①金価格、原油価格、食物価格は本当に上がり続けるのか?
②世界の株価は再び大幅調整の危機に晒されるのか?
③米ドルベアトレンドの中の勝ち組と負け組みは?
④日経平均、日本円は負け組み候補から脱出可能か?
⑤金融商品取引法下の本邦からの投資資本流出は?

というテーマが大きな注目材料となるでしょう。

世界の金融当局は、8月中旬の動乱以降9月末までは混乱の沈静化に見事な舵取りを見せましたが、問題やリスクの芽を根絶したと言うよりは問題の表面化や悪化を上手く抑制してきたという要素が強い為に、今後も米国を中心に主要国の経済指標や主要企業業績の悪化や再びリスクテイクに動き出す投機筋への対処という難題に取り組む必要があります。

実は・・・・職務としてトレーダーやファンド運営に携わっている我々はその愚直なまでの勤勉さゆえに(?)ついつい見落としがちではありますが、ここからの数ヶ月、或いは2年~3年と言う期間は、我々の個人資産の防衛や運用において非常に重要だと思われます。それこそ我々がどういう老後を送るかがここで決まるくらいの重要度かもしれないと思っています。

人生がドルベースの人、円基準の人も、一緒に考えて行きましょう。コモディティ市場の爆発的な上昇は、資産の大部分を預貯金という形・・・・つまりは通貨で保有する事自体が大きなリスクとなり始めている事を示唆しており、更に債券や株式で保有する事でもそのリスクはヘッジし切れない可能性もあります。

"紙からモノへ"・・・・・資産を紙幣や株券という紙から金などの貴金属や原油などのエネルギーや小麦などの食物と言う形で保有する動きは資本主義経済の根幹を揺るがすものです。

"神から物へ”・・・・群集の信仰の対象が神から富と変化するという物質主義に走り過ぎた資本主義の行き過ぎを是正するような動きが、その富の象徴であるPaper Assetの根源的価値の下落と言う形で始まっているとすれば、それはとても皮肉な話です。

いずれにしても、短期的にも中期的な視点でも我々は今、大きな分岐点に立っている事は間違いなさそうです。

We are at a major cross roads, unlike any....in the past few years.

2007年9月24日月曜日

When the smoke is eventually cleared.....

今の部署に移ってからは、毎朝家を出るのは6時20分くらいでしょうか。

以前日本にいた時も、米国時代も、そして現在も同じですが、多くの人は毎日意外と型にはまった生活パターンをしているようで、出勤時や駅のホームで決まって顔を合わせる名前も知らないし話した事も無い文字通りの”顔見知り”が居ます。

そんな中に、ある親子がいます。

父親は私より年上と思われますが、子供は小学校の1年生か2年生といった感じでしょうか。ランドセルが大きく見える小さな男の子がお父さんと一緒に電車に乗るのですが、この親子が駅に向かって歩く姿をよく見掛けます。

何故だろう・・・?

初めてこの親子を見かけた時にはそう思いました。

父親と子供の間が妙に開いていて、10メートル位先を歩く父親を追いかけるように、小さな男の子がとぼとぼと歩いていくのです。

そんな初日の疑問に対して、二日目には仮説を立て、三日目にはほぼ確信に変わったと言う感じなのですが、どうやらこのお父さんは、自分が喫煙をしているために子供から離れて歩いているというのが正解だったようです。(勿論当人に確認したわけではありませんが・・・)

私は喫煙者ではないし、過去にも喫煙をしていた事も無いのでピンと来ないのですが、あれは一種の麻薬なのではないかと良く思います。

 周囲には少なからぬ喫煙者が居ますが、中には相当なヘビースモーカーも居て、明らかに禁断症状を感じる事もあります。

 このお父さんも、私と同じように朝早く出勤して、帰りもそこそこ遅いのだとすれば毎朝駅まで子供と歩く10分程度の時間帯はとても貴重な親子の時間なのではないかと思うのですが、彼には子供に煙を吸わせないように10メートルほど離れて歩くと言う愛情はあっても、朝の一服を犠牲にして子供と手を繋いで歩いたり、色々と話をしながら親子のふれあいを持つと言う事にはならないのだとしたら本当に勿体無い話だと思います。(大きなお世話でしょうが・・・)

煙草の禁断的な中毒性は、文字通り愛煙者の視野を煙で曇らせてしまうようです。

嫌煙者の独断ですが・・・・

私は喫煙は自己リスクの原則において当然認められるべき行為だと思っています。ただ喫煙者の大半はいまさら喫煙が健康に良い等という幻想は持っていない中でどうしてこれだけの人々が喫煙をしているのかは興味深いテーマと言えます。

ズバリ・・・人間とは、余程訓練でもしていない限りにおいて、将来のリスクにいくら警鐘を鳴らされても目先の効用には逆らえないものなのではないでしょうか。

よく聞くのですが、緊張が解けてリラックス出来る、集中力が高まる、眠気が取れる・・・喫煙の効用はこういうものらしいのですが、これらの効用の”煙”が喫煙者の健康意識や家族愛までをも曇らせてしまうというのは驚異的なことです。

より大きなレベルで見ても面白いことに気がつきます。個人だけではなく国レベルで見ても全く同様なのです。

地球温暖化の問題を見てみましょう。二酸化炭素の排出を煙草の煙に置き換えてみれば議論は相似形と言えます。いまや二酸化炭素の排出が地球温暖化の主因であり、これを抑制していくことの必要性に意義や疑問を唱える国はありません。

しかし、途上国は経済発展という目先の効用を優先する理由から先進国を中心とした削減を主張し自分達は排出しまくり、同様に経済活動優先と言う理由から米国までも京都議定書に当初から参加せず、今年の春には"環境問題先進国"のカナダまでもが京都議定書の削減目標の放棄を宣言するという事態に至りました。最早京都議定書は完全な骨抜きになったと言わざるを得ません。

経済絶好調で遂にカナダドルが対米ドルでParity(=1.0)を突破している状況下で、経済活動を犠牲にしてまで京都議定書の目標を遵守するわけには行きませんというのがかの国の政治判断なのですが、よりによってパーティの真っ最中に禁煙はないでしょうと言うというのが今の状況でしょう。

ところで・・・・・

将来のリスクは一応認識しており、また最近少々痛い目にあった人も少なくない・・・そんな中で多くの投資家にとっての禁断の(?)目先の効用とはいったい何なのでしょうか?

これが細かく金利差による収益を積み上げるキャリートレードであるならば、今後数ヶ月で相当進む可能性のある米ドル下落相場の中で、日本円は必ずしも勝ち組には入らない可能性もあるのではないでしょうか。ユーロや豪ドル、カナダドルなどが対ドル、対円で再び高値を更新していくような相場展開も十分ありと言うことだと思います。

世の中には大円高を予想する向きも少なくありませんし、それは十分に理解出来る予想です。ただ、世の中の喫煙者が減らないことと同様にキャリートレードも中々減らない可能性があるということです。

いずれにしても、まだまだ視界は色々な煙で曇っていますね。


"Cutting both rates" cut both ways.

注目された18日(火曜日)のFOMCミーティングでは、Bernanke議長の新FEDが市場予想を上回るかなり踏み込んだ対応を見せた訳ですが、これが大きな波紋を呼んでいます。

①Discount rate(公定歩合) と Fed Fund rate(金融政策の短期金利誘導目標金利)を両方とも引き下げたこと。
②ともに切り下げ幅が市場予想を上回る50bp(0.5%)であったこと。
③その後の議会証言なども併せて一段の追加利下げの可能性を否定していないこと。

などが大きなポイントだったと思いますが、これを肯定的に評価する意見と否定的に評価する意見が市場を駆け巡り、今後の金融市場の動向を左右する大きな材料となることは間違いなさそうです。

株式市場とクレジット市場はFOMCの結果を好感し、FOMC翌日には株価もクレジットスプレッドも8月半ばの混乱前夜の水準にまで急回復していました。
 反対に否定的な評価が見られたと言ってよい為替市場と商品市場では、前者は大きくドル売りに動意し、後者(商品市場)にも怒涛の資金流入がありました。

ズバリ・・・私の評価は二重丸+花丸と言う最上級のものでした。誰も気にしていませんが(笑)

世の中も金融市場も理屈通りには行かないものです。
全てを理屈・ロジックで正しく判断しても大抵は思ったようにはなりません。

Wall街出身で現場上がりのGreenspan前議長とは違い、学究畑一筋と言う経歴のBernanke議長に対する不安はまさにここにありました。あらゆる経済理論やロジックを駆使しても説明できない何かが金融市場にもあるのですが、これを肌で理解していないと思われるBernanke議長が冷徹且つロジカルに現状を分析し、ここで踏み込んだ利下げに踏み切ればモラルハザードが起こると判断する可能性は無視できない状況だったと思います。
 リスク管理の甘かった投資銀行、ヘッジファンド、儲け話に目が眩んでリスクを取った投資家には相応の痛みを経験させることに彼なら躊躇はしないのではないかという懸念があったのです。

そんな中でBernnanke議長が、上述のようなアケデミア的見地からすれば踏み込みすぎと感じるほどの金融緩和を断行したことは、私はフェアに見事だと喝采を送りたいと思っています。

市場の評価は二分した状態ですが、どう考えても今回だけは、何をやってもやらなくても、間違いなく評価は二分していたことでしょう。万人を納得させる選択肢は無かったのですし、金融緩和に舵を切るなら中途半端じゃなくやったろうじゃないの・・・・という男気すら見せてくれたような気がするのです。

人気もカリスマもあった前任者の後は大変やりにくいもので、その意味で安倍首相もBernanke議長も少し立場が似ていると書いた事がありました。
 安倍さんは、残念ながら挫折してしまいましたが、Bernanke議長は、今回の市場の混乱を上手く収めれば最終的に前任者同様の名議長だったと言う評価を受ける事だって夢ではないでしょう。

頑張れ、Benちゃん。少なからぬ人々が、今回のあなたの勇気と決断を称えています。

The first cut is the deepest. という最近ではシェリル・クロウも歌った名曲がありますが、これを拝借して最初の利上げで少々市場が混乱したと言う意味で、The first cut is the tempest. というキャッチも考えたのですが、やはり評価が二分していることや、実際に大幅利下げは色々な意味で両刃の剣とも言えるという意味で、海外向けに書いているレポートには、"Cutting both rates" cut both ways. というキャッチを付しました。

2007年9月16日日曜日

Every moment in life is unique and has meaning.

7月に家族を呼び寄せてから生活が一変した事は言うまでもありません。

皆大変ですが、特に事実上日本を初めて見る子供たちにとっては完全に異国に来たようなものです。
学校はどうするのか、公立?私立?インターナショナル?・・・受験はしますか?・・・ETC

だって・・・子供でしょう? え?受験するなら4年生からでは準備が遅い?・・・・え?・・え?・・・え~?
と言う感じなのですが、なんでも有名校に行かせようと思うなら各有名校別に準備する事が違っていて希望校毎にお奨めの塾まで違う・・・・・ここまでは耐えますが、5年生、6年生でその塾に入るために低学年から行くべき塾がある・・・?

塾に行かせるにしてもそれはあくまでも学力を高める目的であって、早々と決めていた希望校に入るための特別な準備をする場ではないだろうと思うのですが、今のご時世どうやらそれは完全な奇麗事のようです。

と言う事で・・・・・

どうも私立にしても塾にしても色々な人々が不当な利益を得ている構図が出来上がっているような気がしてしょうがないので、取り敢えずは子供の英語力を維持させてそれを伸ばしていく事に注力し、最後は米国の大学なり大学院なりにでも行ってくれればいいという作戦で動く事にしました。

さほど遠くない場所に充分共鳴出来るコンセプトで運営されている帰国子女向けの英語学校(?)があったのでこの週末も土曜日クラスなるものをトライヤル体験してきました。

「お父さんはまた後で」と言われて約一時間後に戻る事にして子供だけを残して私は駅に向かいましたが、学校から2ブロックほどしか離れていない交差点での出来事でした。

「危ない」・・・・・という誰かの声がしました。そして次には、車が急ブレーキを踏む音が続いたのです。

ガチャーン・・・・・と言う音がして・・・・息子と同じくらいの男の子が乗る自転車の側面にタクシーが突っ込みました。

私を含めて周囲の人々が駆け寄り、急停止したタクシーからは運転手が下りてきます。

子供は直ぐに立ち上がり、逃げるようにそのまま自転車で立ち去ろうとすらしました。どうやら子供に擦り傷以上の怪我は無く、自転車にも大きなダメージは無いようでした。

さて・・・どうしようか・・・という話になりました。擦り傷程度、自転車もOK... 警察を呼ぶかどうかと言う話になりましたが、「今は気が動転して興奮状態なのでわからないけど、後でどこかが痛くなったりと言う事もあるし一応記録に残しておくべきでしょう」という事を私も述べましたが、社内ルールもあるのでしょう、タクシー運転手も警察を呼ぶ事に同意して直ぐに連絡していました。「子供が飛び出してきた」と・・・。

私は子供のそばに居続けました。とにかく何も心配しないでいい、誰にも怒られないし、皆怪我が無かった事を喜んでいるんだと言う事を頭をなでながら伝え続けましたが、彼は両親に連絡が行くということになった時に大粒の涙をたくさんこぼして泣き始めました。

話を聞いていると、彼は自転車で近くにある大きな駅に携帯電話のデジカメで写真を取りに行くところだったようです。「お母さんは、いつも凄く怒る。」「警察は僕を逮捕するの?」「警察ってお父さん?」・・
そんなことを言いながら泣きじゃくる彼が孤立しないように私はそこに居る事にしました。どうせ息子を迎えに行くまでには充分時間があったのです。

彼の自転車に彼の名前と自宅の住所、電話番号が貼ってあったので、集まっていた集団の中の女性が彼の自宅に連絡を入れました。

「大丈夫ですので落ち着いて聞いてください、XX君は今車とぶつかってしまいました」
「特に怪我などはしていないようです。警察も呼びました。ここに来られますか?怒らないであげてください」

「そういう言い方では駄目だ!」・・・運転手が近寄ってきました。「しっかり叱り付けて二度と飛び出さないようにしてもらわないと」彼は大きな声でそう言っていました。

この野郎・・・保身こいてんじゃねーよ・・・ 悪いけど、あんた・・・・加害者なんだよ。私はこみ上げる怒りを抑えつつ、自分がここに残ってよかったと思っていました。周囲の大人はタクシーが上手に止まったとか、制限速度守ってたから子供が怪我しなかったみたいな事を話していたし、何事かと思って見に来る野次馬達には運転手が、「あの子が飛び出してきた」みたいな話をしていたので、私は自分が彼の味方をしてあげようと決意していたのです。

確かに、交差点の優先道路を走っていたのはタクシーでした。そこに非優先道路から彼の自転車が停止せずに交差点に進入してきたのです。
 でも・・・彼がタクシーの側面に突っ込んだのではなく、停止せずに先に交差点に進入してきた彼の自転車の側面にタクシーが急ブレーキをかけながら突っ込んだのです。
 業務上交通事故は減点も大きいのだとは思うし、その事には同情しますが、子供を叱り付けて終わりと言うのはやはり違うと思います。

やがて彼のお父さんが駆けつけました。ご父君は警察の方でパトカーで駆けつけた警察の人々とも顔見知りのようでした。

「多分うちの子が飛び出したのでしょうが、車と自転車なのでその点はご理解ください」

そう言って運転手にも釘を刺して清々と処理に当たるご父君を見て私は大いに安堵し、別の警察官から目撃者として私の連絡先などを聞かれた後は開放されました。「警察ってお父さん?」というのはこういう意味だったのだと言う事も判明しました。

金融市場には、 Every moment in the market is unique. という格言(?)があります。全く同じ二つの相場展開というのはないし、狭いレンジ相場にも何らかの意味があります。それを考え、感じ取るように努力すると言うのがある意味では我々の日常なのです。

神の配材・・・などと大袈裟な事は言いませんが、私が偶然その場に居合わせて、彼の父親が到着するまで彼に付き添ってあげた事、特に予定も無く付き添ってあげられる私があそこにいたこと・・・・そんな事にも実は意味があったのではないか・・・・そんな気がしています。

それにしても・・・・もっと弱者である子供に優しいコミュニティーであってよいのではないか・・・・子供を咎めるような雰囲気が無いでもなかったことはとても気になっています。

あの少年が、ご両親に怒られずに、また電車の写真を取りに行かせて貰っている事を祈っています。

He was not "The last samurai" but was "a samurai at last" :安倍首相とBernanke議長

水曜日の安倍首相の突然の辞任には本当に驚きました。

辞任の理由、背景、周囲は知っていたのかどうか、内閣総辞職なのか、議会解散、衆議院選挙はあるのか・・・などなど首相が辞任すると言うこと意外は全くわからない中で金融市場も乱高下しました。

一番動いたのは株式市場だったと思うのですが、それまで前日比少しマイナス圏と言う程度で推移していた日経平均は、程なく前日比100円以上の上昇と言う水準まで吹き上がり、やがて上げ幅以上に反落してマイナス100円以上の水準まで落ちた後結局はそこから小幅に戻したマイナス圏で取引を終了しました。

気の毒ですが、安倍首相の辞任はプラス材料とする声も多く聞かれましたが、それ以上に足元の不透明感増大や数週間の事実上の政治空白期間が不可避であることなどは最終的には投資家心理にはマイナスであるということでしょうか。

世論のほうですが、こうなると配下や取り巻きに足を引っ張られ続けた安倍氏への同情論が多いように感じますが、私も武士の子孫であり、全く同じように感じています。

彼が官房長官として国民の絶大な評価を得て、小泉首相にも抜擢される形で後任首相の座まで上り詰めたのは、特に拉致問題解決に向けた対北朝鮮外交における軸のぶれない交渉姿勢にあったと思います。

 ただ残念ながら、首相になってからは相次ぐ側近の不祥事において国民や国政よりも側近のほうをかばってしまうかのような印象を残し続けたのは全くの致命傷でした。

松岡農相を切れなかった事1つとっても彼の人事上の甘さが浮き彫りになるのではないでしょうか。所謂"泣いて馬しょくを切る"という行為が出来なかったのは、松岡氏が安部政権誕生過程で九州ブロックの党員の票固めに奔走してくれた事とも関係があったのではないかと思うのですが、このように自分についてきてくれた人や自分を持ち上げてくれた人に報いたい、少々の事なら守ってあげたいという気持ちは痛い程理解できます。

勿論国政の、ましてや内閣と言う頂上にあってこれをやられたら国民はたまったものではないわけですからやはりこの辺りのけじめがつけられなかった事が安倍さんの限界だったと言う事でしょうか。

政党間でもメディアも何だかあら捜し的なバイアスを強めている事には強い危惧を禁じえませんが、それにしても次から次に閣僚レベルで続出する不適切な会計処理などはどうしたものでしょう。

殆どの政治家はクリーンにやっている中で何故か問題のある人達ばかりが選ばれてしまったと言う確率は逆天文学的に低く、大丈夫そうな人を選んでこの有様だと言うのは実は政治家たちはみな私腹を肥やす事にもご熱心であると言う事が明らかになったといわざるを得ないでしょう。

悪役に徹する事も必要と割り切って走っては来たものの、もう流石に嫌になったというような"切れ方"を安部さんがしてしまったとしても無理もない部分もあるかもしれないですね。あの上杉謙信だって全てを投げ出して高野山に奔走してしまった事があったように。そのカリスマ性は比べるべくもないにしても・・・・

ところで、安部首相とBernanke議長には大きな共通点があると思ってきました。前任者が長期政権であること、絶大な人気とカリスマ性のあるリーダーであったことという部分において両者は全く同じ立場に置かれてきたと思います。

今週のFOMCは、一部ではBernankeのワンマンショーと目されています。火曜日のFOMCでBernenke議長率いるFedがどのような金融政策を発表・実行し、そして声明文ではどのようなメッセージを市場に対して送るのか・・・・・これで目先の金融市場の動向は完全に決するでしょう。そして奇しくもその前週に、同じような立場にあった安部首相が突然辞意を表明したと言うのは何を示唆するのでしょうか・・・・非常に興味深い状況になってきました。

Abe was not a last samurai but he was a samurai at last.

安倍さんは、ラストサムライのような格好よさは無かったけれど、最後は潔かった。海外向けのレポートにはそのように書いて送ったところ、意外と好評でした。

Bernankeさんは、何を見せてくれるでしょうか・・・・彼が切るのはお腹じゃなくて政策金利のはずですけどね。Stay tuned.

May peace prevail on earth.

物事の本質は二次元の大きな絵ではなく、三次元の立体的な彫刻のようなものだと書きましたが、今年は初めて9月11日の同時多発テロメモリアルデーを米国外で迎えました。

自国で自国民が被害にあったのと、他国で他国民が被害にあったのとでは随分違うのだなというのが正直な印象です。

 日本の場合は、悲しいことに日本人の被害者も随分と出ていますが、遺族の方々以外の殆どにとって、あれは基本的に米国での出来事と言うことになるのでしょう。色々と聞く限りにおいても米国拠点で犠牲者を出した日系企業の中で、9月11日に本社でアナウンス、メモなどが配布されたり黙祷をしたりと言うことも行われた気配はありません。流石に米国拠点では継続していると思いますが・・・・

日本のメディアの報道に関しては、NYでのメモリアル式典の様子を淡々と伝えるというのが殆どだったように思いますが、少し突っ込んだ報道をするところの殆どは反米、嫌米バイアスを前面に出してきていたように思います。

米国の覇権政策、中東政策の破綻が原因だとかいうのが多いのですが、これではかつて日本に2発の原子爆弾が落とされた原因は日本がアジアに進出して隣国に少なからぬ苦痛を与えたのが原因だと言う理屈と何も変わらないような気がします。

暴力や武力で物事を解決する姿勢こそが非難されるべきであり、日本に原爆を落としたことでは米国は加害者として強く非難されてよいと思いますが、9-11では被害者以外の何者でもない米国を非難するような論調が目立つばかりで、テロを行った側への非難・批判が皆無のように思えたのは個人的には全く理解に苦しむ思いを抱きました。

しっかりしたメディアのゴールデンタイムに近い時間帯に登場した人物が展開した9-11は米国の自作自演とする珍説には苦笑を超越した感情すら抱きましたし、それを新事実のように扱って驚いたり感心したりする人々を見て非常に不思議に思いました。

「ビデオを見ればわかるが、飛行機がぶつかる前に最初の爆発音がしている」
「中東の派遣を手に入れるべく軍事介入をする口実を必要としていたBush政権の自作自演なのだ」
「イラクが原油取引をドル建てからユーロ建てに切り替えようとしていた事も米国は許せなかった」
ETC ETC

欧州、米国、ロシア、中国などが中東の利権(覇権と言うより利権ですね)を争っていたことは事実ですし、父親(Bush前大統領)を暗殺されかけたBush現大統領がイラクを敵視していたのも事実でしょう。

最初の、飛行機が当たる前に最初の爆発音がしたというのは、93年春の最初のテロの時のように地下の駐車場に爆弾が仕掛けられていたという仮説ですが、これは今となっては検証の仕様もないし、頭ごなしに否定は出来ないと感じる部分もあります。
 ただ、そうだとすれば、やはりアル・カイーダが用意周到に飛行機のハイジャックが失敗するリスクも無視出来ないので地下駐車場にも爆弾を仕掛けていたと考えるべきで、これが米国の自作自演であるという部分は明らかな論理の飛躍です。怖いと思うのはこういう論理の飛躍に気がつかないのは受け手に当初から米国に対する冷めた感情があるからではないかと考えられることです。

こういうこともありました。

XXXステーションという報道番組で初代キャスターを勤めた元アナウンサーが引退した後は二代目も元アナウンサーがキャスターを勤め、リベラル系の大新聞の編集者が論評を加える図式は今でも変わっていません。
 まだ初夏の頃でしょうか、日本に復帰してからこの番組を何気なく見ていたら、米国の大学キャンパスで留学生が拳銃を乱射して多数の犠牲者が出て、犯人である韓国からの留学生も拳銃自殺して発見されたと言う事件を特集で報道していました。

非常に怖い、恐ろしい事件でした。

番組では・・・・・

キャスター 「この銃社会アメリカの根深い病巣とでも言うのでしょうか。背筋が寒くなりますね」
解説者   「もともとカウボーイの国ですから立国の精神とも結びついているんですね」

と言うような解説が続き、やがてこのコーナーは終了しました。

OK, So far so good. I would not share what they delivered but can accept them all.

問題は次です。

「続いて国内のニュースをお伝えします」・・・・という出だしで始まった国内のニュースでは関西だったか九州だったか・・・・銃を持って人質を取って立て篭もった元暴力団の男が現場を包囲する警察官を射殺したと言うニュースが有ったのですが、この依然として闇社会との二重構造を有し、”あちら”では法律で禁止されている武器も薬物も普通に流通している日本と言う国の現状が抱える”根深き病巣”は彼ら報道関係者には見当たらないのでしょうか・・・・・ この二つに事件に根本的な違いは有ったのでしょうか?

病巣とは言いませんが、私はこの部分に非常に"根深きもの"を感じてしまうのです。

米国だろうと日本だろうと・・・・世界中どこでも、真面目に一生懸命生きている人達が安全に幸福に生きていける世の中であることを切に願うのみです。

May peace prevail on earth. God bless us all.

初めて米国外で迎えた9-11メモリアルデーは平和に無事に終了して何よりでした。

2007年9月9日日曜日

Name Value : Name その2

会社では色々なものが配布されますが、不埒にも大半はその日の内に捨ててしまいます。ちょっとは目を通すようにしていますが・・・・

でも、最近配布された人権意識の啓蒙に関するペーパーは、ちょっと心に刺さるものがありました。
「江口いと」さんと言う方の「人の値打ち」という詩です。

ちょっとだけ抜粋すると・・・

いつかもんぺをはいてバスに乗ったら隣座席の人は私をおばさんと呼んだ。
戦時中よくはいたこの活動的なものを、どうやらこの人は年寄りの着物と思っているらしい。

よそ行きの着物に羽織を着て汽車に乗ったら、人は私を奥さんと呼んだ。
どうやら人の値打ちは着物で決まるらしい。

講演がある。何々大学の先生だと言えば、人々は耳をすませて聴き、良かったと言う。
どうやら人の値打ちは肩書きで決まるらしい。

名もない人の講演には、人々はそわそわとして帰りを急ぐ。
どうやら人の値打ちは学歴で決まるらしい。

後略

これを読んで、全くその通りだと思いました。

この2週間ほどの事だけを振り返っても、こういう事がありました。

事例1

後輩の一人が欧州、米州に出張する事になりました。出張の趣旨とは少し違うのですが、どうせなら海外の主要な市場参加者達と情報交換をして来たらと言う事で、彼の為に出張時のAppointmentを取るように頼まれました。
 早速ロンドンオフィスの英人とNYオフィスの米人に作業を依頼すると・・・・なんと欧米の両方から面談希望先とのアポは難しい事、アポ自体は可能な先でも先方のシニアな人には会わせられない事など・・・なんとも寂しい反応がありました。
 理由は、この後輩がポジション的にも肩書き的にも役不足だと言う事で、面談希望先の主要な人物にはせめてGeneral Managerクラスでないと釣り合わないという事が彼らの主張でした。

事例2

ある米系投資銀行が運用している債券ポートフォリオの国別投資比率のリバランスが注目されていますが、サブプライムで市場環境が大きく変わる中で8月末のリバランスもちょっとした注目を集めていました。
 「これに関する情報が入手出来ないだろうか?」・・・そんな依頼を受けた私が同じように英人や米人に情報収集を依頼すると・・・・・こんなやり取りとなりました。

先方 "OK, but who needs it there by the way?"
当方 "Everyone here is interested in that"
先方 "I will have to take time and ask around. Who am I doing this for?"

この野郎、いつもテメーらの尻拭いをしている俺が頼んでいるだけでは動けねーとでも言うのかよ・・・・・と大いなる脱力感を感じながら、勝手にちょっと偉い人の名前を拝借して伝えたところ・・・・
"Wow"などと言ってやつらは探し始めました。

結局頭に来た私は事例1では、彼らを通さずに自分で外部にコンタクトして後輩のアポを整え、事例2の資料も彼ら以外から入手しました。

どうやら組織の中でも、人の価値はポストや肩書きで決まるようです・・・・ま、仕方ないですかね・・・

そう言えば、こんな表現があるくらいです。

The name of the game is the game of the name.

要するにネーム次第よ・・・・と言う意味です。
やや自虐的なるも切れる英語表現でございます。

今後とも健気なLighthouseの管理人、Robert Henryをよろしゅう頼みます。

Name calling : Name その1

Call my name. 私の名前を呼ぶ→私を呼ぶ
Call me names. 私の悪口を言う

You can call my name but do not call me names. 
必要な時は私を呼んでください。でも私の悪口は言わないで。

冒頭の二つの表現の違いを整理するために、このような例文を自分で作って記憶していた少年時代を懐かしく思い出します。

二つ目の表現は、Callという他動詞の後に来る目的語をme,himと言った目的格とする事とその次に来るのがname(単数形)ではなく、names(複数形)とするのがポイントですが、これは悪口が口コミで広がっていく様を想像してイメージ付けると良いと思います。

この表現の名詞形とも言えますが、他人の悪口を言う事、それを広めるという行為をName callingと言います。
 米国では子供が通っていた学校の校長先生から全世帯宛に、校内の一部でName callingという卑劣な行為が起きているようなので各家庭でもそれがいかに卑怯な行為であるかを子供に教えるようにと言う手紙が出された事がありました。普段は何もしていないように見えた校長先生が、こういう時には別人のように陣頭に出てきて毅然とした対応をする所に妙に感心した事を覚えています。

私は子供の頃に、夜中にトイレにい行く時に、トイレに化け物が居たらどうしようという恐怖から必ず両親のどちらかに自分がこれからトイレに行く事を伝えてから行く事にしていました。
 両親は眠ったまま適当に返事をするだけでしたし、実際にトイレに化け物がいたならひとたまりも無かったのでしょうが、自分がトイレに行く事を知っていてもらうだけで安心出来たのです。

校長先生の手紙が持つ効果も、両親の寝ぼけた返事も、ともにそれらが持つ実態的な効力を証明する事は困難であり、せいぜい経済学で言えばシグナル効果という程度しか無かったかもしれません。

でも・・・私はこれが非常に大事だと思うのです。

金融市場において、欲望と恐怖は表裏一体ですが、市場への影響力には完全な非対称性があります。バブルの形成過程では欲望が主な原動力になりますが、資産価格の上昇は段階的なプロセスとなります。一方でバブルの崩壊過程で主役の座に躍り出るのは恐怖な訳ですが、その過程における資産価格崩壊の形状は殆ど断崖絶壁からの垂直落下に近く、それまでの価格上昇過程とは全く非対称な形状となります。

ECBとFRBが大規模な流動性の供給に踏み切った事は大英断でした。そしてFRBが行った緊急の公定歩合引き下げも見事な手際だったと思います。それらが金融市場の安定にどれだけ寄与したかは全く議論の余地が無い位に明白なのです。

市場の一部には、それがどうしたと言う意見もありましたが大事な事は実際に金融市場が安定した事なのです。当局の言動は、校長先生の手紙や両親の寝ぼけた頷き程度かもしれませんが、その絶対的な存在の重さに裏打ちされたシグナル効果は理屈や学問理論上の正当性以上に大切な時があるのです。

金融市場を支配するのは、経済学上のlogicでは無く、Human Natureなのです。

市場安定期にLogic通りの政策を実施するのは良しとして、市場混乱時にはHuman Natureのコントロールこそが肝要なのだと思うのですが、ここ2週間ほどの市場の安定を過大評価したのかECBもFRBも市場混乱時のシグナル効果よりも、学問上の筋を通す事に軸足を移してしまったようです。

9月に入ってからは、ECBもFRBも、流動性の供給は足元の問題への一時的な特別対応であり、政策金利の引き下げとは切り離した話であるという「それはそれ、これはこれ」という時期的には極めて不適切なメッセージを市場に送ってしまいました。

"Show them that you care"

まさにそれこそが当局から発せられるべきシグナルメッセージだったその時に・・・・・・

普段はブラブラしているように見えて問題があれば各家庭に断固たる手紙を出す校長先生、実態的な効力は無くともただ適当に頷くだけで子供を安心してトイレに行かせる両親・・・・その役割を金融市場に期待された金融当局は、欧州も米国も金融市場を突き放すようなメッセージを送ってしまいました。

ヘッジファンドが他のヘッジファンドが危ないと言う話を吹聴する。投資銀行がお互いに相手の投資格付けの引き下げを繰り返す・・・・・現在進行形のこんな状況は、Name calling 以外の何物でもないというのに。

当局は自らの"Name Value"を過信したとも言えるし、読み間違えたともいえるのでしょう。

今後は当局に対する"Name Calling"が間違いなく増えるでしょう。

そして、もう校長先生はいないのです。

金融市場という学校は、当分荒れそうですね。  

Earthquake & Typhoon.

今週は日本列島は本州にも大きな台風が来ました。東京を中心とした関東地方にも大きな影響が出ています。

首都直撃は木曜日の夜でしたが、NYから来ていた友人の歓迎会があり、彼が週末には帰米する事から我々は会の断行を決意して人影も少ない夜の街に繰り出したのでした。

我々はよく、"大きな絵としては・・・"などと言いますし、英語でもそのまま"The big picture"という言い方を使いますが、木曜日の会に出ていて、幾つか重要なことを再確認しました。

1 あらゆる事象の実態は、"大きな絵"と言うよりも、"大きな彫刻"である。

2 あらゆる人物や勢力は極めて近視眼的である。

というのがその中でも大きな二つです。

1について感じるのは、何事にも自分には良く見えない側面や裏面があり、物事の実態は平面の絵ではなく、立体的な彫刻に近いと言う事です。
 木曜日はNY市場を経験した金融関係者の集まりで、商社、銀行、メディア、証券会社などの人間の集まりであったのですが、当然話題になった今回のサブプライム問題や金融市場の混乱についてもそれぞれの分析や認識に結構な相違を発見して皆が意外感を伴う新鮮な発見をする事にもなりました。

私自身も、何事も現実は立体的な彫刻であり、自分の現在地からは見えない側面や裏面についての情報を得る唯一の方法は、自分とは違う位置に居る人々・・・・側面や裏面から同じ彫刻を見ている人々(彼らにとってはそれが正面図なのですが)と情報を交換する事であると再認識しました。

2つ目も非常に重要なポイントで、今の金融市場の状況を正しく理解する上でとても重要な事だと思っています。
 
"あらゆる人物や勢力は極めて近視眼的である"というのはどういう事かと言えば、人は皆自分の足元の状況を基準に物事を判断すると言う事です。理屈的には自分に見えている事、自分が知っている事は全体のほんの一部分でしかないと理解はしていても、どうしても人間は自分の視界にあるものや知識をベースとしてその延長線上に全体像を位置付けるという習性があります。

一気に本質に入りましょう。

今回の金融市場の混乱は、サブプライム・モーゲージ不安→流動性懸念→市場参加者の資金繰り能力懸念→・・・・・  と言う経路で展開してきましたが、私なりに世界中のあらゆる勢力とのコミュニケーションを通して非常に強く感じている事があります。

それは・・・ "震源地に近い人ほど悲観的である" と言う事に尽きます。

殆ど例外なしと言っても良いでしょう。例えば、ヘッジファンドは大丈夫かというテーマに対してはヘッジファンド業界内部からの声が最も悲観的であり、更に大手のヘッジファンドほど悲観的な見通しを持っているようです。
 これはどう考えても、外部に対する情報開示が限定的な同業界にあって、大手や老舗ほど業界全体の状況を把握しやすいという事実と強い関係があるからだと確信します。
 90年初頭には数百だったヘッジファンドは、現在確認できるだけで1万を超えていますが、老舗や大手は組織的にも人材的にも"のれん分け"を含めた幅広なネットワークを有しており、業界全体の状況がより把握し易い立場にあると思われますが、まさに今後千単位で新興ヘッジファンドが整理されても驚かないというスタンスを伝えてきています。

色々な金融機関からは、サブプライム証券の保有規模などから自社は大丈夫だと言う声が聞こえてきますが、一方でそれぞれの金融機関内部で実際に商品の組成や販売業務などに携わった人間ほど実際の規模的リスクを把握しているためか、自社の先行きを懸念している事がわかります。

この問題がどこまで根深いか、どこまで痛みを伴う結末を迎えるかと言う事と、為替市場における円高がどこまで進むかと言う事は深く関連付けて考えられているようですが、よく見ると自社の為替見通しで大きな円高を予想している金融機関と、この懸念を背景に株式市場が下落する時に株価の落ちている銘柄が妙に一致しているように見えるのも非常に興味深いことです。

地震の後に、震源地に近い場所に居る人々ほど余震に怯える事や、台風で被害を受けた地域の人々ほど次の台風を怖がると言う当たり前の事と同じ事が金融市場でも起きている訳ですが、当局の今後の対応が後手後手に回るなどしてハードランディング的に金融業会の膿を出し切るという事にでもなった時には相当ひどい事になってしまいそうだと言うのが正直な印象です。

そう・・・木曜日の集まりの全体感は、さほど悲観的ではなく、そういう意味では一部の予想通り、日本勢はこの問題で直接的なリスクはあまり抱えていないのかもしれません。楽観的な民族性というだけかもしれませんけどね・・・?

Bernankeの失敗 : Too many gaps.

金曜日の夜に今は違う会社に居る後輩に誘われて外食をしていました。
 私はオフィスには戻らずにそのまま帰宅する積もりでしたが、彼は注目の米雇用統計までにはオフィスに戻ってもう一勝負する予定でした。

ところが、ややスタートが遅れてしまったためにそろそろ食事メニューをオーダーして切り上げようと思った時には既に午後9時を過ぎており、また目の前の彼は既に体中にアルコールが回りきった状態で私の方を向きながら白目をむいていたので、結局我々は携帯WEBとポケットロイターでこの重要指標の発表を追いかける羽目になりました。二種類の焼き蕎麦をシェアしながら・・・・

Non-Farm Payroll、非農業部門新規雇用者数が4年振りにマイナスとなり、前月の数字も下方修正という指標の内容は、きっかけ待ちだった金融市場に再度パニック状態へ回帰するチケットを手渡すのに十分な内容だったと思います。

金融当局の失敗、無力化、過信、・・・・・

実は後輩から見れば私も白目をむいていた可能性も高い位アルコールの影響を受けながら、脳裏に浮かんできたのはそんな概念でした。

私は、金融当局全体、特に米国のFRB議長であるBernenke氏の抱える最大のテーマは、サブプライムモーゲージ債権悪化のダメージを蒙る対象の中からどこまでをどのように救済するのかにあったと思います。

具体的には、当局が動くにしても全てを救済してしまえばモラル・ハザードと言う形で将来に禍根を残すので、その線引きの策定に知恵を絞ってきたというのがここまでの動きだったと思います。金融革命というユーフォリア的な概念を主導して多種多様な新商品を組成してきた投資銀行、それらに高い投資格付けを与え続けてきた格付け機関、プロとしてそれら商品にリスクを承知で投資してきたファンドや機関投資家、仕組みやリスクを理解していた可能性は低いものの自己責任の原則もある一般投資家・・・・・・これらのどこまでをどのように救済するのかと言う事です。

モラル・ハザードを残さないように重要な教訓として、ある程度の痛みは経験してもらう必要があるが、全体の軟着陸を実現しながらどのようにバランスを取るか。

To beat or not to beat, that is the question.

To be or not to be, that is the question. という有名なシェイクスピア作品の言葉に擬して、私は金融当局のジレンマをそのように表現できると考えてきました。

徹底した足元流動性の供給という、しかもECB,FRBを中心とした各国当局の協調的な初期対応は充分評価に値する効果を持ちました。
 これをドル円をパラメータとして評価すれば、8月中旬に111円61銭まで急進した円高が、117円15銭まで振れ戻す動きがあったわけですが、ここで金融市場にも一服感が出たところで、どうも金融当局にも過信が出てしまったように感じます。

毒蛇に足を噛まれたとして、その傷口を縫い、薬を塗れば足は急速な回復をしたように見えるでしょう。しかし、体の中では確実且つ広範囲(全身)に猛毒が回り始めており、次に問題が表面化したときにはどこから手をつけてよいのかわからないくらい全体が弱っていると言う事象に近い事が今の金融市場では起きつつあるのだという危惧を抱かざるを得ません。

当局の過信という問題の本質に関する認識ギャップは、Bernanke議長率いる新FRBの限界を露呈している可能性もあるでしょう。

Bernankeの失敗。 それは今、始まったばかりなのかもしれません。

千鳥足でオフィスに戻る後輩の大きな背中を見送った後、駅に向けて歩を進めながら、私はそう自問自答していました。

ふと気が付くと、強烈な尿意を催していました。
そういえば結構飲んだのに一度もトイレには行っていませんでした。歩幅を狭めないと危ないくらいの尿意でしたが、漏らさないように中腰で駅まで行かなくてはなりませんでした。

どうやら私にも過信があったようです。

2007年9月2日日曜日

個人情報 : Privacy

実は今、前歯にインプラントを入れるプロセスの最終段階に入っているのですが、6月末に米国で土台(ネジみたいなもの)を歯肉内に埋め込んだ後、米国で紹介してもらった東京の歯科医がちょっと遠いところにあって通院が難しいと判断せざるを得なかったので、色々調べてみると意外と近くにも良い歯科医があることがわかりそこで残りのプロセスをFinishする事にしました。

土曜日にはその歯医者で歯肉の先端を開いて将来の歯の代わりにネジを差し込むと言う作業を行い、今後の涙無しには語れない治療費の説明を受けたあと、最後に受付で保険適用外高額自己負担治療の契約書に署名をさせられている時でした。

横から視線を感じてふと見ると・・・そこには治療を終えたと思われるオバサンが居て、担当していると思われる歯科医(この医院は複数の歯科医がそれぞれ担当患者を持っている仕組み)とカウンター越しに次回の予約日などを相談しながら、その視線と耳はこちらに釘付けという感じでした。

う~ん・・・・・・・

保険業界もこの1年くらいで色々と未払い問題など噴出した為か、現場の人々がてんてこ舞いするくらいの契約者への説明作業がノルマとして課せられたのでしょう。私の生保業界の友人達の中にも相当大変そうな人も居て一時は可哀想なくらいでした。

 私が加入している生保からも契約内容の確認や説明などが随分とオファーされましたが、こちらも忙しいのでそれはそれは・・・・申し訳ないのですが迷惑なくらいでした。

それは良いのですが・・・・

先方も当方と言うよりは自分達を守るためにやっている訳で、期限を切って全契約者にしっかりと説明をして記録に残すと言う作業を行っていたのでしょう。私が加入している保険会社からも私の会社を担当している人から会社で説明を受け、更に住んでいる地区を担当している営業所からも何度もアプローチがありました。

 膨大なデータの中から担当のすみ分け等を行う猶予は無かったのでしょう。既にうちの会社を担当している人から説明は受けたと言っても、それでは自分たちのリストが消し込めず、上司や本部から非常に厳しいトレースを受け続けていると言う懇願に近い話をされて、どこの会社でも似たようなものなのだと思うと可哀想で断りきれず、週末の外出する前に数分と言う約束で来て貰いました。

玄関先で話をしたのですが、マニュアル通りと思われる質問を矢継ぎ早にされました。

・これまでに入院、手術などはなかったか。大きな病気は?
・健康状態はどうか。

などですが、実は私色々と過去に怖い経験もしているので、全て該当無しと言うわけにも行かないのです。それを約束の時間に遅れてきた息を切らしたオバサンに大きな声で根掘り葉掘り質問をされる・・・・・しかもここは狭く壁も薄い安普請の集合住宅・・・・・・なんでここで過去の病歴を近所にばらさなきゃいけないんだろう・・・・という気になりました。

昔日本の病院に行って診察券を出して待合室で待っていると、看護婦さんに他の患者の面前で、「今日はどうなさいましたか?」などと聞かれる事がありました。あれでは股間が痒いなどとは決して言えませんよね・・・・・・。
 今ではあれは流石に無くなっているのではないかと期待しますが、まだまだ個人情報保護とかプライバシーに関する意識はこの国では随分と低いような気がします。

米国にある Do not callという法律(セールス電話不要と言う登録を受付け、登録済みの先に業者が電話をすることを違法とするもの)のようなものを導入すれば、高齢者相手の詐欺などもどれだけ防げることかわからないのにと思うと、ここに書いた自分の経験とあわせても課題は多いと感じます。

金融商品取引法というのでしたっけ・・・・かなり極端な内容も含む法律が出来ますが、消費者保護より投資家保護のほうが先に来るというのもそれはそれで構わないのでしょう。 

今後日本でも各方面で急ピッチで法律が整備されて行くことで、国家都合の法治国家から、我々一般国金、市民が法律で守られる法守社会が実現されていくことを望みます。法治ではなく、奉仕国家とでも名づけましょうか? どこかの政党が使ってくれるかもしれませんよ。(笑)

2007年9月1日土曜日

英語検定とTOEIC

英検とTOEICと言うものにはどのようなイメージをお持ちでしょうか?

英語検定と言う制度が日本で生まれたものであり、TOEICというものは海外で生まれたものであると言う"起源"(ちょっと大袈裟?)から考えても当然かもしれませんが、前者は色々な意味で日本的であり、後者は欧米的であるというのが私の考えです。色々な分野に共通する話なのですが、その典型的なものの1つにクレジットと言う概念へのアプローチ方法の違いがあると思います。
 以下はクレジット=信用供与、信用創造として話を進めます。サブプライム問題を震源地に揺れる金融市場の中で色々な事を考えたのですが、これもそのうちの1つです。

私はかつて住宅ローンを中心とした貸し出し業務に従事していた事がありますが、申込人から提出を受けた収入などの条件をチェックリスト上で審査して対応の可否を判断すると言うもので、結果は当然ながら可か否かのどちらかのみでした。

 更に、対応可となった場合の実施条件についても 余裕でパスした人もギリギリでパスした人も同じ貸し出し条件となるというものでした。

これは、住宅ローンなどの申込人を受験者に置き換えれば、結果は合格か不合格しかない英検型の対応と言う事が出来ます。

一方で米国ではどうかというと、ローン(モーゲージと呼ぶ事が多いですが)の申込人の過去の経済活動が既にスコアリングされていて、そのスコアに応じた貸し出し条件が決定されると言うシステムです。

 「対応できます」か「対応できません」ではなく、「あなたのスコアだとこういう条件になりますよ」というのが基本線なのですが、これは上記の英検型との対比においてTOEIC型であると言う事が出来ます。

また、日本の金融機関は申し合わせたわけでは無いのでしょうが、A銀行で断られた場合、B銀行やC銀行では住宅ローンが組めたと言う場合は極めて稀であり、最も低金利でローンが組める都市銀行や地方銀行で謝絶された場合は、市中金融機関と言われるところで対応してもらえるケースも多いのでしょうが両者間の適応金利の差は非常に大きなものがあります。こういうところは明らかに日本の金融システムの硬直性だと思っています。

一方でTOEIC型であれば、大袈裟に言えばスコアの数だけ対応条件があることに加えて、同じスコアに対しても、金融機関ごとに対応条件が異なるために一生懸命探すとより低い金利でお金を貸してくれる相手が見つかったりもします。

日本の場合は自分で取引銀行に相談に行くのですが、米国の場合はモーゲージブローカーに手数料を支払うと自分の代わりにあちこちと交渉してベストな条件を探してくれると言うパターンも多いようですし、なんとWEB上で金融機関側が条件入札を競うというシステムもあります。

"When banks compete, you win" というのがキャッチだったと思いますが、この辺りは米国の金融システムの柔軟なダイナミズムであると言えるでしょう。

このダイナミズムが行き過ぎてしまったのが今回の問題の震源地となっているのですが、背景は上記のような競争の中で、日本で言う最初の数年は返済が楽なステップ型返済パターンが随分増えた事とその住宅ローン(モーゲージ)債権を切り売りして小口投資家にまでばら撒くと言うリスク分散が可能になっていたと言う背景があります。

ただ・・・・・・ではこのダイナミズムは間違いだったのかというと、そういうものでもないだろうというのが私の考えです。

英検よりも、TOEICのほうが私は好きなのです。

2007年8月30日木曜日

Collision of Thoughts : Perception Gap

先日会社で突然非常ベルの音が聞こえました。直ぐ側という感じでは無かったものの、避難するようなものなのかどうか少し気になったのですが、やがて音は収まり我々も直ぐに忘れてしまいました。

 人伝なので定かではありませんが、誰かがトイレの個室で流すボタンだと思って非常ベルのボタンを押したのだと聞きました。個室側面に流すボタンがあるのは知っていましたが、確認してみると確かに奥の壁には非常ベルのボタンを発見しました。

入社、或いは赴任間もない人か来客か・・・・ちょっと不慣れな人が用を足して流そうとしてそこにあるボタンを押したらベルが・・・・・・? そんな状況を想像をしたらとてもおかしくなってきました。

まさか・・・・・・

これではヤバイと思ったその人が、おしり丸出し状態のままうさぎ跳びのように出てきて隣の個室に逃げ込んだりなどしていたら・・・・・そんな絵を思い浮かべると声を出して笑いそうになりました。

水曜日には・・・・・

真横の同僚が電話で顧客に話をしながら、自分で飛ばしたジョークに自分で笑った拍子に大き目のゲップをしてしまい顧客に詫びを入れていました。

 「これ以上僕を笑わせたら殺す」・・・・彼にそんな事を言いながら私も受けていました。

閑話休題・・・・

日本株は、見ていて少し情けなくなるくらいに前日の米国株の動向に影響されますが、為替市場はかなり独自の動きを見せる事も多く、東京市場の独自性とステイタスはここ数年で随分と高まっていると感じます。

 米国市場が終了してから数時間後に東京市場が始まるという分断状態の株式市場が米国市場の後追いで、シドニー市場を挟みながらどこまでが米国市場でどこからが東京市場なのかの区別も曖昧な連続状態の為替市場で東京市場が独自の動きをするというのはちょっと不思議な気もします。

海外市場で株が売られる、円高が進む・・・・ヘッジファンドや外銀の戦略デスクがこの後の東京市場における輸出企業のパニック的な外貨売り注文による円高加速を期待してドル円やクロス円のショートポジションを積み上げる・・・。
 そんな動きの後で東京市場が注文通り、彼らの期待通りにパニック的な動きを見せる事は最近は極めて稀になりました。

 冒頭のエピソードも然りで前日の海外市場で株安、円高が進行して私自身も東京市場がパニック的な動きをする可能性があると少々緊張(期待?)して出社した日に起きたほのぼのとした出来事でした。
 
サブプライム・モーゲージ問題を震源地とした金融市場の激震は、各国当局の流動性供給策などにより一旦沈静化した格好となっていますが、いまだ不安定な状況に変わりはなく今週も週初から徐々に強まってきた株売り、円買いの動きが火曜日の北米市場で加速して水曜日の東京市場における日本人、特に投資家と輸出企業の動向に世界中が注目していました。

しかし、これまでのところあらゆる円高局面、今回の円高ピークだった111円台(111.60)の辺りですら本邦輸出企業のパニック的なドル売りは出ておらず、結局梯子をはずされた格好の海外勢がポジションを手仕舞う形で相場の振り子が円安方向に振り戻してくる展開が多く、水曜日のドル円、クロス円の反発も誰かが大きく買ったというよりは出るはずだった売りが不在であったために相場の需給の歪みから投機ポジションが解消されたという要因が大きかったと言えるでしょう。

シカゴの商品先物市場では2006年の6月以来久しぶりに円先物の建て玉がロングポジションに転じています。海外投機筋が期待する一大円高の幕開けは、日本の輸入勘定や投資勘定の外貨買いが輸出勘定の怒涛のパニック売りに押し潰されるときに実現するというシナリオですが、少なくともここまでの展開を見る限り、そのシナリオは実現するとしても海外勢が思い描くような時間軸ではなさそうにも見えます。

実際には、本邦勢のパニックを期待している海外投機筋にこそパニック的、刹那的な心理状態が感じられると言うのが個人的な印象ですが、この認識ギャップがどのように拡大・縮小していくかはここからの金融市場の大きな地雷となる事は間違いありません。

今の日本市場、特に東京外国為替市場は、巌流島か八幡原か・・・・・私はそんなイメージを持ちます。
宮本武蔵を待ちくたびれる佐々木小次郎、上杉軍を待ち構える武田軍・・・・これが海外勢というところですが、彼らを待たせる本邦勢は今のところマイペースです。

ただし・・・歴史と同じで、戦いは必ず起こります。

Stay Tuned.

2007年8月28日火曜日

Total Eclipse

火曜日の早朝に歯を磨きながら・・・・

昨晩後輩から教えてもらったのですが、今夜は皆既月食だそうです。
月が完全に見えなくなる皆既月食は珍しく、次にこれが見られるのは2010年になるとか・・・

まだ学生服を着ていた頃だったと思うのですが、ボニー・タイラーという女性歌手が、Total eclipse of the heart という歌を歌っていたので、皆既月食という単語を覚えたのを懐かしく思い出しました。

月曜日はロンドン休日と言う事もあって金融市場は静寂に包まれましたが、火曜日は要注意ですね。
特に週末連休明けの欧州勢の復帰と月の出る夕刻が重なるのは要注意でしょうか。

ここでは余分なリスクは控えたほうがいいかも・・・。

なんと言っても・・・・・・ 「つき」がなくなる瞬間があるのですから・・・

朝から失礼!

では出勤します。

2007年8月26日日曜日

金融工学バブル(後編) : サブプライム問題の"そもそも論"

後編です。

サブプライムというのは、Sub-Primeであり、最優遇金利(Prime Rate)ではない金利で行われる取引の事ですが、ここで1つ明確にしておきたいことがあります。

 サブプライムローンの延滞率が上昇した事が原因で、それに様々な要素が絡んで世界金融市場を揺るがすような混乱が生じた訳ですから一定の理解は出来ますし、視聴者にわかりやすく伝えようと言う善意の意図もあるのでしょうが、日本のメディアの多くがサブプライムという横文字を、”信用力の低い階層への住宅ローン”と言うような説明をしているのはやや配慮を欠いた必ずしも適切ではない表現だと思います。

 何故文字通り”準優遇金利貸し出し”等のすっきりした表現にしないのか個人的には残念な気がします。最優遇金利が適用されなくとも真正直に生きている人間は多いし、金持ちでもどうしようもない人間は沢山見てきました。

 日本のメディアは、”格差”と言うものを問題にするならば、格差を生み出すような表現は自粛する配慮も必要でしょう。

ええと・・・本題に戻ります。

ここ数年特に金融工学と言うものが脚光を浴びてきました。

高度に理論化されたデリバティブ理論やフラクタルな部分波動分析、過去の市場間の相関関係や共分散等の確率統計モデルに基づく市場間アービトラージ・・・と理系出身の私ですら現在の金融工学の最前線はまるでメトロポリタン美術館において絵画や彫刻作品の説明をギリシャ語で受けているような気になります。

ただし・・・金融市場のLighthouseの管理人としては、投資家が理解しておけばよいのはDCF(Discounted cash Flow)モデルというPricing理論程度だと保証して置きましょう。

 "XXXの証券化"などと言う話を聞いたり、そういう書物を見る事もあるでしょうが、それらは単にXXXに来るものが今後将来に渡って生み出すCashflowを現在価値に割り引いた数値を元にそれを小口細分化した証書に適当な値段をつけて世の中で売りさばくと言うだけの話です。

CDO,CLOなどと言う文字列を良く見るのですが、これらは高利回りを実現するべく金利の高い貸出債権を切り売りするもので、サブプライム住宅ローンもその対象になっているだけのものです。例えば、CDOなら"Collateral Debt Obligation"という言葉を短縮したものなのですが、やっている事は組み込まれたローン債権が将来に渡り生み出すキャシュフロー(=債務者の返済)を現在価値に引き直して投資家に小売りしているというだけのものです。不動産のREITと全く同じ仕組みと言ってよいでしょう。


と言う事で・・・それこそ国民層自己破産状態にでもなって将来のキャッシュフローがゼロにならない限り、理論的にはサブプライムローンを組み込んだCDO証券などに値段がつかないという事は有り得ないのですが、市場では一時これが起きていたために恐慌的な状況が発生しました。

全くの私見ですが、ここに一番大きな問題の本質があると思っています。

金融市場を支配するもの。少なくとも短期的(せいぜい週単位)どころか中期的(数ヶ月単位)での市場動向を決定付ける一番大きなファクターは、金融理論ではなく、はかり知れない人間の煩悩だと言う事です。

年単位の長期投資ではなく、日々の数字、月単位での数字が意味を持つトレーディングの世界に身を置く場合は、金融工学よりもHuman Natureの怖さを再認識しておくべきでしょう。

何故、サブプライムを組み込んだ証券には、予想延滞率を大幅に上昇させた形で将来の見込みキャッシュフローを減少させた形でのRe-Pricingすら出来ない(=値が付かない)のでしょうか。

George Sorosが普段から言っている事を掲載しましょう。これは彼が数年前でしょうか、今回の混乱などとは全く関係のない時に述べている事です。

“Derivatives are constructed on the basis of the theory of efficient markets. The fact that they have become so widely used would seem to imply that the theory of efficient markets is valid…Beta,gamma, delta are, for the most part, just Greek letters to me.”

江戸時代の戦のない時代になってから、かつて戦場を駆け巡った祖父が孫に対していかに合戦の実態は書物から学べる理屈とは違うものなのかを話して聞かせるような場面を思わせるような言葉です。

金融工学の大きな部分を占めるデリバティブ理論は、効率的市場を前提としており、市場が効率的ではないと思うなら、或いは市場が効率的ではなくなったと考えるべき状況下では、デリバティブ理論の存続前提が根底から崩壊していると言う事です。値付けなんて到底無理な話なのです。

米国における不動産投資ブーム、過剰流動性をベースとした世界資産市場・・・・・・色々なものが行き過ぎていたと言われますが、実はその根底部分で一番実態以上に膨張して過ぎていたものは、金融工学と言うものへの過度の期待と信頼だったのではないでしょうか?

金融工学・・・・これこそが最もバブル状態にあった。

Lighthouseで荒波を見つめながら、Robert Henryはそのように考えています。

金融工学バブル(前編) : サブプライム問題の"そもそも論"

今回の市場の動乱については、色々と考えさせられる話が多いのですが、同時に少々良くわからない部分も残ります。
 もともとは金融市場といえば①資本市場、②商品市場、③為替市場 に大別されて、①の資本市場の中身は金利市場(債券市場)と株式市場に分かれていると言うのがBig Pictureであり、取引手法的な切り口でそれぞれがListed(上場)とOTC(店頭)に分かれていると言うことを理解すれば入門編は終了と言う構造でした。

しかし・・・そうですね・・・インターネット、E-mail、携帯電話、PCのWindowsだってそうでしょう・・・・絶え間ない技術革命というものが今では当たり前の存在となっているこれらの産物を過去10年程度の間に世に出して普及させたのと丁度同じように、金融の世界で新しく登場し、急速に普及したのが"クレジット"というコンセプトだと言えるでしょう。

勿論、クレジットカード等というものは商品化されていたので、全く新しいものではないにしても、それが投資の可否を判断する基準から、投資対象そのものへと進化したのはこの10年程度と考えて間違いないでしょう。クレジット投資、クレジットデリバティブ・・・・そんな言葉は比較的新しいものなのです。

会社は違いますが、数年前に為替とオプションのトレーディングからオルタナティブ投資業務に移った学校の後輩が、クレジット市場というものを理解しないと投資先のヘッジファンドなどが何をやっているのかが充分に把握出来ないという話をしていました。私がかつて米国から発信していた金融レポートも金利債券、株式、商品、為替の解説であり、クレジット市場を全くカバーしていなかったのですが、彼はついでに私のレポートも"不完全である"と切り捨てていました。誠にいい奴です・・・・・

そんな自分の勉強不足を棚に上げて書きます。
 開き直りかもしれないにしても、要するに世界中が同じようなものだったのだと思います。金融市場での業務経験、業務知識が10年以上ある人々でもここ数年で急速に幅をきかせるようになったクレジット市場、クレジットデリバティブ市場というものに関しては今ひとつアップデート出来ていなかった・・・・・・・・先ずはこの部分を反省し、謙虚に認める事が今回の金融市場混乱の根源を理解するうえで必要不可欠なことでしょう。

マスメディアと言うものが、世間一般且つ広域な影響を与える事象、それらの利害に直結する情報を報道・伝達する事を目標とするものであるとしても、株高・株安、円高・円安、最近では原油価格にも言及していれば良いほうで、クレジットスプレッドが拡大したとか縮小したとかまで報道するところはなかったと思いますし、報道判断の前提としての世間一般が興味を持っていると言う条件を明らかに満たしていなかったのですから当然と言えば当然なのです。

長くなりますが、今回の混乱の震源地が、まさにこの世間一般は元より、金融市場関係者でも大部分が極限定的な関与しか持たず、情報チャネルも極度に限られたクレジット投資という領域におけるバブルの崩壊であった事が混乱に拍車を掛け捲っていると言う状況である事は間違いないでしょう。

”火事だ” と誰かが叫びました。でも大火災なのか、小火(ぼや)なのか、そもそもどこが火事なのか全くわからない。自分の現在地は安全なのか避難の必要があるのか、家族は・・・? そういう状況下で周りを見ると、情報を持っているのか持っていないのかわからないけど、人々があちこちで動き出している。立ち往生して周囲を見渡しているだけの人も居るが、お互いに情報を交換するでもない。

そんな状況で、取り急ぎ必要最小限の荷造り、食料や・・そう現金の確保もしておこう。株券や預り証などのペーパー資産も出来るだけ現金化して手元に確保しておこう。 

世界中が、こういう状態に陥ったというのが8月前半から特に中盤にかけての出来事でした。

次稿では、標題にもしましたが、実際には何がバブルだったのかを考察します。

2007年8月25日土曜日

Samurai investors made a statement this week.

今週の金融市場は、現象面としては見応えがあり、実務面としては"どっちらけ"と言う展開となりました。

ヘッジファンドや金融機関が保有する米国サブプライム債権へのExposureによる巨額損失がまだまだ露呈しそうだと言う緊張感に加えて、お盆休暇明けで復帰する本邦勢、特に輸出企業によるパニック的な円買いにより週初から円が急騰してそれが世界株安に拍車を掛けるのではないかと言うシナリオを多くの海外勢が共有し、月曜日の東京市場のオープンを待ち構えていました。

でも、そうはならなかったのです。先週の恐慌的な大相場は、今週初から加速するどころか徐々に反転してやがては値幅を拡大したのですが、今週はちょっとしたReversalタイムだったと言えるでしょう。
 ドル円で言えば6月の124円14銭の高値から先週111円61銭まで急落していたのですが、今週は木曜日に117円台まで反発、金曜日には一旦115円台まで反落しましたがNY市場で反発し、週の終値(週足といいます)も116円半ばでした。

先週の金曜日にFRBが公定歩合の引き下げを発表してパニック状態にあった金融市場の沈静化に乗り出し、これに呼応して欧米の主要金融機関がDiscountWindow経由で短期資金を調達してFRBの措置の実効性をアピールするなど官民一体となった混乱収拾努力が功を奏したという側面があるのですが、ここで日本勢の果たした役割は全く影の功労者的な隠し味となったと私は感じます。

仮定の議論は最小限に留めるにしても、週初に海外投機筋の思惑通りに本邦輸出勢がパニック的な円買いに走っていたら、実は相当えげつない展開になっていたのではないかと私は思います。
 実はこのパニック的な動きは一部の輸出勢からは出ていました。しかも注文通り朝一番での動きだったと思います。恐らくはそういう動きも想定していた邦銀勢は自らの玉も乗せて市場に売り圧力を掛けたのでしょう、週初の円高はちょっとした勢いもあり、この時点では海外投機筋もハイタッチモードに入っていました。

ところが・・・・どっこい大作・・・・・

ここから意気消沈していたはずの本邦投資家が動き出し、呼応するように6月までの円安局面では意気消沈していた輸入税も徐々に活動に動き出したため、これら円売り外貨買いの動きが徐々に市場を反転させる格好となりました。
 そしてこの動きが継続する中で、前半は静観していた海外勢が少なくとも短期的なシナリオの変更を余儀なくされた格好で週の後半には彼らが期待していた本邦輸出勢の代わりに慌ててリスク縮小を迫られて市場は株高、円安と言うバイアスを強めたまま週を終えた格好です。

お盆明けの本邦勢の血の匂いを嗅いで戦場の兵士化していた海外勢が、逆に自らの出血を隠しながら戦略的撤退を余儀なくされたと言うところでしょうか。

They smelled their own blood and ran for the nearest hill.

ある場所にはそのように書いておきました。洪水や大雨の時には高台に避難する事が語源と思われる "Run for the hill" という英語表現は、金融市場では想定外の状況となった際や先が全く読めないような時にとにかくポジション、リスク量を縮小すると言う意味で頻繁に使用されます。
別稿でも書こうと思っていますが、海外勢は大きな相場観は全く変えておらず、どこかでまた次の大きな波が来て世界的な株安と大円高が実現すると思っており、今回の撤退は予想以上の調整幅に短期的な撤退を余儀なくされた程度の認識なので、"nearest hill" という表現にして置きました。

このまま当局の思惑と世界中の投資家の希望するとおり事態が収拾していくのか。或いは今週の動きはかつて関ヶ原の合戦で西軍が東軍を大幅に後退させて東軍への寝返りを密約していた小早川秀秋隊が密約の反故をすら検討したような大き目の調整局面でしかないのか・・・・・

いよいよ金融市場のバトルは、注目の秋場所に入る感じでしょうか。どちらにしても荒れそうなので座布団を用意してしっかり観戦しましょう。

2007年8月19日日曜日

The last man standing: もう1つの本丸

これは心から驚くべき事であり、敬意と賞賛以外の感情は待ち得ません。

Old soldiers never die, they just fade away.

老兵は死なず。ただ消え去るのみ・・・と言ったのはマッカーサーだったと思いますが、この人の場合は
The old investor never dies, he is always there standing firm. とでも称えれば良いのでしょうか。

Oracle of Omaha.(オマハの賢人)という愛称をも持つWarren Buffet氏の事です。

普段から優良銘柄の購入対象をリストアップしておいて、市場で予想外の事象が起きて相場全体が文字通り糞味噌一緒に値下がりする局面で人々が恐怖感から損切り覚悟で放り出す優良銘柄を拾い捲ると言うValue投資の大御所的カリスマですが、今回の大幅な下げ相場の中でこの人の凄さが際立っているのです。

今回もこの人が株を買い捲っていると言う事ではなく、恐怖感から何をして良いかわからなくなった投資家たちが助けを求めるようにこの人にお金を差し出していると言う図式が見えるのです。

数字で示すとこうなります。株価の下落が加速し始めた7月16日の週からの丁度一月ほどの期間のデータです。

Dow jones ▲7.3%
S&P500  ▲8.0%
Berkshire Hathaway +3.2%

このBerkshire Hathaway というのは、Warren Buffetの経営する投資会社の株です。前稿では世界中の株式市場が下げる中で涼しい顔をして来た中国株をGlobal Investorの最後の砦であり本丸であると書きましたが、今回の騒動の大元であるSubPrime問題の震源地でもある米国の株式市場における同社株のパフォーマンスの異常ともいえる突出振りは説明の必要はなく、まさにもう1つの本丸であると言えるでしょう。

株式市場に投資をしている人は、利用しているWEB上で、そうでない方でも例えば http://www.cnbs.com/ 上などで銘柄コード(Symbol)→ brk.a という銘柄を指定してチャートをご覧ください。

一株が118,500ドルという水準で金曜日の取引を終了していますが、これは同社の株価としても52週高値を更新するレベルです。強調しますが、この状況下で高値を更新する銘柄と言うのはカリスマと言う以外に形容のしようがあるのでしょうか?恐らく一株で10万ドル以上と言うのも依然この会社だけではないでしょうか。
 彼は木曜日の夜にインタビューされて、"Every turmoil is a great opportunity"という名言を吐いているのですが、これも多くの投資家をして自分は最早ノーアイディアだけどこの人に任せれば何とかなるのではないかという気持ちにさせたのかもしれません。

Value投資の保守本流と言って良い同氏の数ある名言の中で、好きな言葉の一つに以下のような発言があります。

The price is what you pay, the value is what you get.

投資という意味でも重みのある言葉ですが、人生の全てにおいて拡大適用出来るし、自分なりの解釈で運用する事も出来ると思っています。

例えば、10人が同じ物を同じ値段で購入したとすると、各人が支払った金額は1つでもそれぞれが得た効用は10通りであると読む事も出来るし、失敗を教訓として生かすと言うような局面でもそこから何を学び取るかは各人次第であると言う意味でも使えるでしょう。

こういう深みのある言葉が、薀蓄とか含蓄とかいうのですかね?

人生でも投資でも自分の価値観を磨いて成長し続けたいものです。

その蓄積があれば、Buffetのように老齢になっても難局でこそ真価を発揮できるようになるのでしょう。

カリスマValue InvestorのValueの凄み。 今回はそんな話でした。 

頑張りましょう。

デリバ vs デレバ

今回の金融市場の激震は、98年のLTCM(Long Term Capital Management)の崩壊と比較される事が多いのですが、確かに多くの共通点があることは間違いありません。

LTCM崩壊過程の詳細についてはいくつか文献も出ていて興味深いものがありますが、私個人の実体験的な記憶としてはドル円が2日間で20円も下落し、しかもその大部分は1日目で下落した事です。あの時はオプション市場でドル円の一ヶ月物のVolatilityが40%台という史上最高値で取引された事を良く覚えていますが、今回は23%程度ですので狂気の中でも市場は随分当時より厚みを増したのだと感じる部分もあります。

勿論今回の値動きのほうが小規模で且つ時間を掛けているという事情もあるのですが、一方でより裾野が広く根も深い事象である事を考えると今後の動きには十分な注意が必要です。

今となっては新たな時代の到来とも思われた世界的資産上昇ユーフォリアは、Financial Technologyの進歩が生み出した過剰流動性がもたらすバブルであったと言わざるを得ないのでしょう。

"過剰"流動性・・・・そうこれが問題なのですが、所謂Globalizationの進む世界経済・世界金融市場を駆け巡る流動性が過剰かどうかは後になってみないと判断がつかないというところが問題なのです。

参院選の投票日であった7月29日の投稿で、"凸レンズの向こう側"と言う話を書きましたが、一部を再掲します。

所謂グローバリゼーションという現象の進行により、世界中が同じ土俵や尺度で語れる時代となった結果、企業活動や投資対象の幅も急拡大し、呼応するように信用創造、信用供与という機能も急速に強化拡大してきました。 世界資産バブルというのは、このような基礎・土台の上に成り立ってきたと言えるのですが、特に信用創造・信用供与機能の上昇が、レバレッジの拡大をもたらしていただけに、この部分を直撃したサブプライム問題は、レバレッジ機能の急速な収縮(=Deleveragingと言います)の引き金を引いたことになります。そう、皆がお金持ちになって世界中の資産市場で一大投資ブームが起きていたという理解は正しいのですが、実は本当の資本は投資額の数分の一、下手したら数十分の一程度であり、我々が年単位で目撃してきた巨大資本の激流は、実はデフォルメされた映像でもあったわけです。新時代の幕開けと思われたのは、凸レンズで拡大された映像だったと言う事になりますが、今はその凸レンズの向こう側からこちら側に資本が戻ると言う”資本還流、Repatriation”の動きが世界金融市場に暴風雨をもたらしているのです。

このレバレッジの反対である"Deleverage"または、"Leverage in reverse" という現象に関してその後より恐ろしい資料を発見しました。それはMorgan Stanleyによる分析なのですが金融テクノロジーの進歩がもたらす新規創出流動性は世界中の資産市場に怒涛のごとく流れ込む流動性の90%にも及ぶと言うものです。

90年当時300社ほどであったヘッジファンドは、今では1万社を超えており、その管理下にある運用資産はレバレッジ以前の元本で2兆ドル規模になっています。これらが金融テクノロジーの進歩、特にデリバティブと構造化(Structuriation)技術の進歩により、クレジット市場(信用市場)に劇的な拡大をもたらしました。
 CDO, CDS, CLO, CPDO, CDS of CDOs, CPPI ,LCDS・・・・正直私自身もこれらの全てを語る事は出来ませんが、多くが所謂Subprimeモーゲージをも含むこれらクレジット構造化商品が巨額の流動性(投資資本)を吸収し、その資産価値の上昇が新たなレバレッジを提供するという乗数理論的な拡大過程が創出する流動性が全体の90%を占めるとすれば、それが意味するところは中央銀行の無力化以外の何物でもありません。

従来は中央銀行がマネーサプライの調整という形で流動性をコントロールしながらインフレやバブルのリスクに対処してきたわけですが、それを警戒し続けてきた主要国の中央銀行がこぞって金融引き締めを 実施しても資産バブルが収まらなかった背景が、既に彼らがコントロール出来る流動性が全体の10%程度に落ちていると言う事だとしたらそれは物凄く恐ろしい事です。

残りの90%・・・・つまりは中央銀行のコントロール外にある流動性がDeleverageという加速度的な自己縮小過程に入ってしまったのだとすれば、世界中の流動性の枯渇は不可避であり、手元のCashが一番価値が高いという状況となれば新興国市場などは崩壊するはずです。

FRB,ECBを中心に世界金融当局はスクラムを組んでこのリスクを排除しに来ると信じますが、金曜日のFRBの公定歩合の緊急利下げは、タイムリーなシグナル効果を見せていると言えそうです。

DerivativeとDeleverage、このデリバとデレバという相互可逆過程の綱引きの中で来週からの注目点は、世界中の投資家達の最後の拠り所となっている市場が崩れるかどうかに掛かっていると思います。

それは、中国株、原油、貴金属、そして農産物系コモディティと言う事になるでしょう。
特に中国株はまさに投資ブームの本丸的な存在なので注目しましょう。そしてフェアに考えて、既に堀は埋められた状態であると考えるほうがよさそうです。全く油断は禁物です。

2007年8月18日土曜日

Let's remember how they "LIVED."

今週は結局大変な相場となりました。

この狂乱の大相場は世界金融市場の潮流を大きく転換させる動きの始まりを告げるものである可能性もあり、別稿で自分なりの分析もしてみたいと思います。
 
ここでは今週ずっと感じてきた事を書きます。

今週、特に懸念どおりXデーとなった水曜日以降に最も多く受けた質問や照会は以下のようなものでした。

①日本人はここからどうするか
②日本人はどうなっているのか
③日本の為替証拠金取引の人達はどこで損切りするのか(したのか)

Fear and Greed

元々恐怖と欲望に支配される金融市場ですが、今週のような緊急事態的な暴風雨の中では普段は理性的な人々までが完全に恐怖と欲望をむき出しにした状態となります。
 "臨戦態勢"と言っても良いのでしょうが、むしろHunam Natureの負の部分を丸出しにしたような印象を受ける事が殆どで今週の金融市場はまさに戦場と化していました。

米国のSubprime問題が表面化したあたりから主な関心は最後に傷付くのは誰かという議論だったように思いますが、世界中の投資家が非常事態を察して手元に資金を取り戻すべく出口に殺到し始めてからはこの怪我人探し一色になったように感じます。
 しかもそれは怪我人を探して救助しようと言うものではなく、怪我人を探してとどめを刺そうというくらいの後ろ向きなものであり、自分も傷付いている怪我人たちがより深手を負った人達を探して石を投げようとするというような、まさに阿鼻叫喚ともいえる状況となりました。

ここで私には1つのジレンマが生じました。

短期的な視野と利益のみを考えれば、一番楽なのは私も狂気に参加してしまえばよい事は明白でした。例えば実際に多くの海外ヘッジファンドからコンタクトがありました。日本人がどれだけ困っているか、泣き叫んでいるかを聞く為にです。彼らの殆どは血の匂いを嗅ぎながら日本の輸出企業、機関投資家、個人証拠金取引の投資家達などが今回の円の急騰でどれだけ大変な事になっているかと言う話を聞きたかったわけですが、そんな状態の彼らに私が話を合わせて、彼らが茫然自失で声も出ない状態だとか、Margincallに追いまくられて夜逃げが続出しているとか、直ぐ下に彼らの巨額の損切りオーダーがリーブされているというような囁きでもかませておけば、彼らは勇気百倍となって私は好かれ、またより多くのビジネスも取れた事は確実でしょう。

賢い選択だったかどうかは"神のみぞ知る"ですが、私はここでライフワークであるLighthouseに徹する事にしました。確かに輸出企業の多くは心配はしていましたがパニックはしていませんでしたし、機関投資家だってこれだけの円高は予想して居なかったにしても全くノーヘッジであったわけではないのです。そして一部の常識外のレバレッジ(100倍とか)の話が強調されて独り歩きしている個人の証拠金取引にしても、それは微視的な例外の話であり、多くは外貨預金の代替として身の丈に応じたサイズで外貨を保有していると言うのが実態であり、かつMarginCallもあるでしょうが運営会社による強制損切りルールなどでかなり早いうちに脱出しているケースも多いはずなのです。親しい友人がいる大手の一角を占める証拠金業者のモットーも"投機ではなく投資のサポートをする"と言う事であり、預かり資産評価額の減少が一定規模を超えると契約者の依頼がなくとも強制的に損切りをしてしまうという制度で運営されているのです。

"We report, you decide" これはFOXNews、"You give your time and we give you the world"というのはCNNだったと思いますが、私も冷徹にこれに徹する事で、海外からの照会に対しては血気にはやる先方の頭を冷やすような話をする事が殆どでした。
 これで怒り出す人も、呆れる人も、電話を切ってしまう人も居ましたが、そこは男芸者ではなくLighthouseである事を選択した時点で想定した事の範囲内ですから来週以降も方針は変えずに行きたいと思っています。

Lighthouseとして一言だけ言っておきたいのです。

金曜日のFRBの緊急利下げで足元は収束に向かう可能性もありますが、この暴風雨はまだまだ続き、且つどこかでより勢いを増す可能性すらあります。
 阿鼻叫喚の拡大に向けたリスクを取るのも良し、事態の収束と相場の反転に掛けるのも良しです。ただお互いにそれは自分の考え、判断、そしてリスクで行いましょう。正々堂々と世界金融市場という強い相手に挑戦しようではありませんか。
 痛手を負った勢力を追いかけてとどめを刺して武具や金品を奪い取るような落ち武者狩り的な視点でのみ動くのは申し訳ないけど見苦しいです。歴史的にもそんな連中は短期的な利益は得ても天下は取っていないはずです。

What do you really want?

こういう時ほど、冷静に大志と大儀を持ち続けましょう。
今日は久しぶりに見たラストサムライの最後のシーンでの明治天皇とトムクルーズの会話が心に刺さりました。

天皇 " Were yo with him at the end?"
トム  "Yes"
天皇 " Please tell me how he died"
トム " I will tell you how he lived"

In times of trouble, here is your LIGHTHOUSE.

Robert Henry.

2007年8月15日水曜日

The day of doom has come. But for whom?

いよいよ8月15日。

終戦の日でしょうか。実は今日はここ数週間Xデーとして注目され続けてきた運命の日です。

1 お盆休日で日本の特に東京市場の流動性が極端に落ちる。(可能性が高い)

2 米国債の償還と利払いが過去最大規模で訪れる。(100billon$とも400billion$とも)

3 世界的な株価調整で投資家の体力が落ちている。

4サブプライム問題で米ドルに不安がある。

主にこれらの問題で、場合によっては大変なドル売り・円買い方向のフロー(要するに円転)が出るのではないかという憶測があるのです。

前日となる昨日火曜日にも世界中から本件に関する質問を受けましたし、期待も不安も聞かれました。投機筋は一勝負してやろうという意欲満々で、輸出企業や投資家は心配して注目していると言う図式でしょうか。

実はそんな中で火曜日の夕方には全く反対のフロー、つまり円売りも出てきて我々を驚かせたのですが、どうやら火曜日までは117円台も固く、このままではあまり盛り上がりそうにないので他人より先に円のロングポジションを手仕舞っておこうと言う投機筋や、世間が円高期待をしているこのタイミングで新規海外投資用の外貨の手当てをしようという投資家も随分とたのではないか言う印象です。

実は今は午前5時過ぎで出勤前のシャワーを浴びる前に書いています。既に書きましたがこの夏には完全にバテ気味で毎晩帰宅後には思わずPCに向かわずに寝てしまう今日この頃なのですが、今晩も相場次第ではグッタリして帰宅する可能性もありそうです。

注文通りの円高となるか、カウンターの円売りが出て投機筋が絶叫の手仕舞いをする展開か・・・はたまた何事もないお騒がせで終わるお盆か?

通貨オプション市場のVolatilityの建値は、ドル円とクロス円のみが逆イールドで短期が長期を上回る状態となっています。これは、大突っ込みもあり、大戻しもありと言う乱高下に備えた状態ともいえますがこれから結果を見てきます。

Good luck to everyone today. Protect yourselves at all time.

2007年8月12日日曜日

SIMPLY PUT : Greenspan Put vs Bernenke Put

プラザ合意、Black Monday,LTCB危機、幾つかのテロや戦争など短期的な不透明感を背景に大きく下落した局面を全て含めて計算しても、米国の株式市場は取引開始以来平均して毎年10%の上昇を実現してきました。
 全財産を株式市場につぎ込んできた米国人がいるとすれば、この人の財産は大雑把に計算すれば追加投資をゼロとしても7年で2倍、14年で4倍、21年で8倍になる計算になります。私自身も米国に行くまでは気が付かなかったことですが、米国にあれだけの金持ちが居る最大の原因はここにあります。別にマイケルジョーダンやマドンナではなくても普通の人々のMillionairが多いのは普通に土地や株を買っていれば資産価格が雪ダルマ式に増えていったからというのが最大の要因であり、個人消費を原動力に繁栄を築いてきた米国経済には批判も多いのですが、ひたすら企業優遇で国民一人一人やサラリーマンは"生かさず殺さず"状態で多くの人々が不動産や株への投資で"しこっている"日本などとの比較においても公平に見て間違いなく評価出来る部分があります。
 個別銘柄で見ても、今や押しも押されぬ長優良銘柄のDellコンピュータを93年当時に1万ドル買っていたら、今ではそれがMillionになっていると言う庶民的なアメリカンドリームもあり、こういうところも実に見事だと思います。

さて・・・・・

今の金融市場は、"Bernanke Putはないのか?"と言う事が一大テーマになってます。FRBのBernenke議長のPUTとは何かというと、これには彼の偉大な前任者であり且つ恐らくは歴史上最も市場から信任されたFRB議長と言ってよいと思われるGreenspan議長時代に、"Greenspan Put"と言うものが存在したと信じられている事から説明する必要があります。

Putとは、Putオプションの事です。少し専門的になりますが、オプション取引には基本的にPutとCallがあります。ある資産に対して価格下落リスクをヘッジするにはPutオプションを購入し、価格上昇リスクをヘッジするにはCallオプションを購入します。 
 そしてさらに一般的なデリバティブ用語を使用すると、オプションとは購入者の資産価値にFloorを設定し、資産価値の下落に歯止めをかけてくれると言う効果があります。

Greenspan議長時代のFRBの金融政策には幾つかの特徴がありましたが、中でも重要なものの1つに強面のインフレファイターに徹する欧州各国の中銀や日銀とは対称的に、Progrowthに徹した金融政策を挙げることが出来ます。
 他の中銀に比べて景気拡大時、資産価格上昇時の利上げには非常に慎重である反面、景気減速時や特に想定外の事象による資産価格急落時などにおける金融緩和には極めて迅速果敢という運営により米株市場を筆頭に資産価格一般にFloorが設定されたような状況が続き、上述のとおりFloorの設定はPutオプションですから投資家心理として、やがて一定以上の価格下落はGreenspan議長が止めてくれるという安心感が醸成されていきました。このGreenspan議長の存在そのものがPutオプションのように考えられた事から、いつの頃からか、"Greenspan Put"と言う言葉が出来たのでした。

Wall Street出身のGreenspan前議長とは違い、学者畑出身のBernenke議長は同じように資産価格をプロテクトしてくれるのかどうかという期待と不安の入り混じった不安定な心理状態に覆いつくされたような米株市場において、最近よく聞かれるのが、"Looking for Bernenke Put"という議論だと言うわけです。

経済も金融市場も表向きはFundamentalsとTechnicalな要因で動きますが、底流まで覗いてしまえばそこにあるのは、人々の欲望と恐怖が渦を巻いているわけですから、実体経済のコントロールは身の凄く難しい事だと思います。恐らくは世界経済及び市場全体が得体の知れないサブプライム問題に揺れ動く現状において、Bernenke議長はその事を痛感しているのではないでしょうか。Putオプションを最も欲しているのは、実は彼なのかもしれません。

元ヘッジファンドマネージャーで今では多くの投資家のGuru的な存在であるJim Cramer氏が、全く利下げに動こうとしないBernenke議長を無能者呼ばわりした絶叫ビデオは先週のYouTubeのアクセス件数トップだったようです。

面白いので是非覗いてみたらいかがでしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=rOVXh4xM-Ww

とにかく金融市場はここ数年で最も難しい局面に来ています。

十字架のメッセージ?

子供が購入する切符の値段を間違えた事、レストランで自分のオーダーのサーブが遅く、先にサーブされた家族全員が食べ終わってもまだ来ない上にウェイトレスがデザートのオーダーを取りに来た事・・・・・不断なら笑って書き物のネタにでもしてしまうような出来事が妙に頭に来てしまった一日でした。誰にでもこういう時はあるのでしょうが、自分はまだまだ未熟だと感じながらこれを書いています。

"買って驕らず、負けて腐らず、千葉は木更津" 

傍から見て勝っているか負けているかが態度や表情からわかってしまうディーラーは三流であるとか、「今日の俺は機嫌が悪いから怒らせるなよ」という類の公私混同で周囲に特別な気遣いを要求する上司はその資質なし・・・・常々そのような事を考え、言葉にも文字にもして来た自分自身の特に家庭内での振る舞いを見直せざるを得ないように思います。

Heat breaks my Heart.

各地で連日報道される水の事故に加えて、熱中症による死亡というのが増加していますが時折ならまだしも連日気温が40℃弱まで上昇する今年の夏は流石に浦島太郎には辛いものがあります。
 日の出も早いので、早朝の4時くらいからカラスに加えて、なんと・・・セミがうるさく鳴き叫び、これでWeekdayの朝は大抵目覚まし時計のベルより先に起こされます。 完全な言い訳ですが、こう暑いとイライラしてしまうのは私だけでしょうか?

木曜日に最後の船便の荷物の配送を受けて懐かしい絵画やキルトなどが合流しました。DVDプレーヤーも届いたので数駅先の大きな電気屋さんに配線ケーブルを買いに行ったのですが、日中の外出は自殺行為にも思えて薄暗くなってから出かけました。それでもサウナの中のような熱気の中で妙に切れやすいオッサンに成り下がってしまったと言うのが今日の出来事だったように思います。

私は気持ちを落ち着かせる必要のある時や自身の未熟を感じる時、そして他人の為に祈る時にはいつも携帯しているお守りと十字架を握り締めます。自己流の宗教ミックスという感じですが、本日も反省モードでそれらを探すと、十字架がないことに気が付きました。

WTC(ワールド・トレード・センター)の十字架というのはご存知でしょうか?
2001年9月11日のテロによる同ビル崩壊後の所謂グランドゼロの地から、同ビルの梁の一部だったと見られるH鋼の破片が十字架状となってしかも直立した状態で見つかって話題となったものです。
 しかも縦横軸の寸法比が、キリスト教の十字架のそれとほぼ一致していることもわかり、今でもグランドゼロの近郊に展示されていると思います。

WTCのほぼ向かいにはNY市内では最古の教会である聖パウロ教会がありますが、私はNYを離れる時にその教会で購入したWTC十字架のレプリカを携行しているのですが、何故か今日はそれが見当たらないのでした。毎日家を出る時には必ず持って出る物ですので、自宅に置き忘れた可能性は低く、どこかで落とした可能性が高いのでとても心配になりました。

そんな話は家族には黙ったまま帰途に着きましたが、電車から降りて最寄り駅の改札を出た少し先で私は無事に自分の十字架を発見しました。

物理的には子供の切符を買う為に財布を出した際に落としたものなのでしょう。でも私には二つの考えが浮かびました。一つ目はこれを落としてしまったために私は切れやすくなってしまったのかもしれないと言う事。二つ目はたかが子供の切符の金額間違いを怒ってしまった私に愛想をつかした十字架が私から離れたという事でした。

いずれにしても、何かこの十字架からメセージが送られてきたような気がしています。

Cross my heart, I'll be a batter man.

crossと言う単語は形容詞で使われると、"切れやすい"と言う意味にもなるのは偶然でしょうか。

とにかく暑い一日でした。

2007年8月4日土曜日

YEN CARRY⇒円借り : 鈍感力⇒ DON'T COUNT?

案の定・・息子が漢字で苦戦中です。

誕生して以来4thGraderになるまでずっと異国にいたのですから無理もない部分もあり、かつて父親である私も漢字が苦手でテストで零点を取った事もあると言う話をして励まして置きました。

今更詰め込み作戦は意味がなく、上手く興味を持たせるように仕向ける事さえ出来れば子供は直ぐにCatch-up出来るだろうと思っているのですが、そんな作戦が功を奏したのか最近は興味を持ち始めてくれたようで新しい漢字を覚える所要時間が随分短くなってきたようです。

そういう状況だからこそちょっと困るのが”当て字”というやつです。

歌や映画などの題名に使用する漢字に作品のコノテーションを織り込ませる目的で本来とは違う読み字を当てると言うやつですが、こういうのって日本語を勉強中の外国人や感じで苦労する帰国子女などには誠に迷惑な話であると思います。

例えば、漢字に興味を持ち始めた子供がテレビを観ていて、字幕などで知っている漢字が出てくると嬉しいし、新しい漢字には興味を持ったりもしますが昨晩はテレビ番組でやっていた”離婚を決意した瞬間”というコーナーで最後の”瞬間”という漢字にわざわざ”とき”という振り仮名を付していました。

おい、プロデューサーさんよ、ああいうのはややこしいし、迷惑なんだよ。

閑話休題

逆に”上手いな~”と感心する例もあります。ほぼゼロ金利である日本円を調達原資として主に外貨建て資産などに投資する手法をYEN CARRY(円キャリー)トレードと言いますが、ある時一部で”円借り”という当て字が使われ始め、今ではすっかり定着してしまいました。
 もしかしたらこれは考え付いたと言うよりは誰かが勘違いして”円キャリー”を”円借り”と思い込んで確信犯的に使っていたものがあまりにも意味的にも近いのでそのまま定着したのではないかと個人的には推理しているのですがどうなのでしょうか。

最近日本で流行しているらしい言葉に”鈍感力”というものがあります。
月並みに言えば”くよくよしない”とか”受け流す”能力と言う事ですが、一歩踏み込んで積極的に鈍感になれと言うところが微妙に新しいというところかと思います。

実はここ数年は投資の世界でも調整局面で慌てて逃げずに踏みとどまった人達が勝ち残っていると言う状況になっており、株式でも為替のクロス円でも完全に鈍感力が求められる相場が続いてきました。
このじたばたしない能力、逃げない能力、さらには気にしない能力が鈍感力である訳ですが、これはある意味では、どのくらい相場が調整したとか、自分の保有ポジションがピーク時からどのくらい減価してしまったとかをいちいち勘定しないと言う事でもある訳ですから英語で言えば”DON'T COUNT”と言える事に気が付きました。これは発音も鈍感に近いのでちょっと面白いと思っています。
 そもそも鈍感力という日本語のコンセプトは英語では説明しにくいものですので、質問される機会でもあれば、音感も良く似た”DON'T COUNT”の事だとでも言っておこうかと考えています。

゛円借り″の域には及びませんが、他にもこういう面白い例は探せば見つかるかもしれないですね。そんな暇はないけれど・・・・・・・

BULL vs BEAR in DOG days of summer.

金融市場には強気派と弱気派がいます。前者は相場が上昇すると予測している人で、後者は相場が下落すると思っている人です。英語では、強気派をBULL、弱気派をBEARと言いますが、このうだるような真夏日が続くなかで両者の戦いは文字通りHEAT UPする一方です。

金融市場では米国のSub-Prime Loanの延滞率上昇に端を発した複数のヘッジファンドや金融機関の巨額損失の話を背景に最終的には投資家のリスク縮小→ポジション清算の動きから世界中の資産価格の大幅反落への恐怖が蔓延してちょっとした騒ぎが継続中です。
 この動きの中で元々世界中に過剰と言われる程の流動性(=安価な投資元本とでも思いましょう)を提供してきた日本円には資本逆流による上昇バイアスが強まっています。

こんな背景から世界中の資産市場価格と為替市場での円安はほぼ完全な正の相関関係にあり、最近は資産価格(特に株式市場)の下落と円高の動きが同時に起きて世界中から悲鳴が上がるというパターンが目立ってきました。

ところで、BULLとBEARは長年の付き合いの中で相手方の強みも弱みも知り尽くしています。世界的投資ブームでしばらく守勢に回ってきたBEARは、ここで一気に攻勢をかけてBULL陣営を攻略しようとしているのですが、少なくともこれまでのところどうも攻め切れていません。

規模の大きいヘッジファンドからですら「どうもしっく来ないね」という違和感の声が聞こえてきますが、私はここにBULLとBEAR以外の新興勢力(?)としての”DOG”の存在を感じています。(真面目よ)

Pavlov's Dog(パブロフの犬)というのは、条件反射の実験でパブロフ博士が一定期間ベルを鳴らしてから犬にえさを与えると言う行為を繰り返したところ、やがて犬はベルの音を聞いただけで涎を流すようになったと言う話ですが、年単位で一方向に継続してきた株式市場の上昇や円安の流れを潜在意識に刷り込まれてきた新興投資家勢力がパブロフ博士の犬のように相場の反落局面で怖がるどころか狂喜乱舞して買い注文を入れてくると言う現象が発生しているのです。

この新興投資家勢力が塊として持つ総合力は、最早大規模なヘッジファンドなどをも踏み潰して相場の流れを変えてしまうくらいの力は充分にあると言えるのですが、自分たちが売り仕掛けても相場が下がると食いついてくるDOG軍団を当初は馬鹿にしていたBEAR軍団も相手がもしかすると大きな群れを成す狂犬集団かもしれない事に気が付いてやや腰が引けてきたというのが現状でしょうか。

冒頭に書いたとおり、奇しくもうだるような真夏日が続く盛夏の季節にBULL対BEARの戦いがHEAT UPしていますが、この盛夏、真夏というのは英語では、”dog days of summer"と表現されます。

BULLS、BEARS AND DOGS 

これで陣営が出揃ったとするならば、我々はどこに加勢しましょうか?

A heated battle continues between BULLS and BEARS in DOG days of summer.

今日はそんなコンセプトで書いてみました。

The heat is upon us. : 我々にとっても試練の時ですが頑張りましょう。

2007年7月29日日曜日

The other side of the convex lense.

週の後半の金融市場ではちょっとした嵐が吹き荒れました。

日本のメディアを見ていると、米国のサブプライム問題への一層の懸念を背景にドル安になっていると言う報道が目立ちますが全くの出鱈目です。
 
今起きている事は、金融市場における広範囲な資本の逆流であり、根底にあるのは、所謂Risk Aversion/Reductionと言う事になります。つまりは、先行きの”不確実性”、”不透明感”の上昇を受けて皆が一斉に足元のRisk(=Portfolio)を縮小する動きに出ていると言う訳です。

①潤沢な流動性、②信用供与の拡大 を両輪に莫大な投資資本が世界中のあらゆる資産市場に流入し続けて一部のアジア株は既に今年に入って50%以上の上昇をするなどの資産バブルが発生していました。

この状況下において、”①潤沢な流動性”の最大の供給源だったのが日本円である一方で”②信用供与の拡大”に関しては主に北米市場で起きていた話です。つまり投資資本の調達は円で行われる事も多く、一方で実はRiskMoneyの大半は北米のヘッジファンドなどを経由してレバレッジが掛かった状態で(=実際の数倍~数十倍の規模に膨らんで)世界中の資本市場に流れ込んでいたと言う訳です。

この過程においては、当然ながら日本円、米ドルは為替市場では売られる通貨であり続けたわけですが、今はこれが逆流する動きの中で米ドルが上昇し、更にそれ以上の勢いで急速に円の買戻しが進行していると言うわけです。実際に米ドルは対日本円以外ではかなりの急上昇を見せており、専門的になりますがドルインデックスという指標も爆騰中です。

そんな米ドル以上に円が強いとどうなるかを示しているのが、所謂クロス円の一大調整大会です。
主な通貨が数週間前につけた対円での高値と金曜日の水準を比較してみましょう。

ドル円 : 124.14 → 118.02
ユーロ円 : 168.88 → 161.70
STG円 : 251.11 → 240.15
AUD円 : 107.73 → 100.95
NZD円 : 97.79 → 90.90

これは、暴落と言ってよい動きです。

所謂グローバリゼーションという現象の進行により、世界中が同じ土俵や尺度で語れる時代となった結果、企業活動や投資対象の幅も急拡大し、呼応するように信用創造、信用供与という機能も急速に強化拡大してきました。
 世界資産バブルというのは、このような基礎・土台の上に成り立ってきたと言えるのですが、特に信用創造・信用供与機能の上昇が、レバレッジの拡大をもたらしていただけに、この部分を直撃したサブプライム問題は、レバレッジ機能の急速な収縮(=Deleveragingと言います)の引き金を引いたことになります。

そう、皆がお金持ちになって世界中の資産市場で一大投資ブームが起きていたという理解は正しいのですが、実は本当の資本は投資額の数分の一、下手したら数十分の一程度であり、我々が年単位で目撃してきた巨大資本の激流は、実はデフォルメされた映像でもあったわけです。

新時代の幕開けと思われたのは、凸レンズで拡大された映像だったと言う事になりますが、今はその凸レンズの向こう側からこちら側に資本が戻ると言う”資本還流、Repatriation”の動きが世界金融市場に暴風雨をもたらしているのです。

日曜日はいよいよ参院選の投票日。選挙結果次第では間違いなく暴風雨が強まりそうです。早めに投票をしないと、先ずは天気からして荒れそうだとの予報なのですが、どうなることやら・・・・・・・・

2007年7月28日土曜日

What a Midsummer Night's Dream.

とんだ真夏の世の夢・・・・

恐るべし日本の夏・・・・

ニュースを見ていても日本列島各地の最高気温は殆ど30℃代後半の体温並みで、地球温暖化がこのままのペースで進めば数年後には気温が40℃を超えるのは不可避なような気がします。間違いなく私が海外に居た10数年の間に日本の夏は4℃~5℃は気温が上昇したのではないでしょうか。こんな温度は記憶にありません。

通勤は一時間弱なのですが、朝も駅について電車を待っている間に汗が噴出す感じですし、電車がこれまた弱冷房と言うのでしょうか、「冷房が効いているの?」と言いたくなるような省エネモードで出勤するだけで疲れます。

今週は相場も激しくて仕事も忙しかったせいか帰宅してからもここに新たな投稿をする体力も無い感じで本当に疲れたのですが、実は週後半は喉から首にかけて発疹と痛みが出てきてとても苦しい思いをしていました。

ヘルペスじゃないか・・・?

最初はカミソリ負け程度に思っていたのですが、徐々にひどくなり、最後は痒いと言うよりも痛いと言う感じのほうが強くなったところで妻にも耳の付け根の変色を指摘され、遂に本日皮膚科に行ってきました。

妙に頬や顎周辺の肌も乾燥してしまった感じで、私は複数の友人が疲労困ぱい時に発疹してのた打ち回るような痛みを感じると言うヘルペスだと思い、妻は子供たちが赤ん坊の頃に詳しくなったと言うアトピーだと思ったという症状だったのですが・・・・・・

「汗疹です」

医師にそう言われて、拍子抜けと言うか、とにかく驚きました。

「あせも・・? ですか・・?」 思わず聞きなおしてしまいました。

少量のステロイドと抗生物質の軟膏を処方してもらって帰ってきましたが、それでまた滝のような汗が出てしまいました。

10年振り以上の日本の夏は、間違いなく温度も湿度も強力になっていました。

大人が、大の男が、汗疹で医者に・・・・

とんだ真夏の世の夢でした。

本当にひどいわ・・・